エルガー/エニグマ変奏曲〜何が謎なのか

2000年6月24日 初版作成
2023年5月28日 第88回定期に向けて大幅に改訂

 次の定演(第88回)で、20数年ぶりにエルガー作曲「エニグマ変奏曲」を演奏します。
 前回(第43回、2000年5月)から23年経ち、インターネット上には様々な情報があふれるようになりました。2000年ごろの状況とは雲泥の差です。
 いまさら新しい情報もないのですが、古いままになっていた記載内容を最新の情報でアップデートしておきたいと思います。

 サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(1857〜1934)


1.略歴

 まずはエルガーの生涯を簡単にまとめてみます。

1857年6月2日:イギリスのウスター近郊で誕生。父はピアノ調律師、楽器商を営んでいた。エドワードは7人兄弟の4番目。
そんな環境で、幼少のころからピアノとヴァイオリンを習っていたようである。
1872年(15歳):学校を卒業し、地元の弁護士の事務員として働き始めるが、気に入らずにすぐに辞め、父の店を手伝う。父とともに地元のグリークラブ(合唱団)で歌うとともに、ヴァイオリン演奏、作曲・編曲、指揮などを行う。
1879年(22歳):ウスター近郊のポウィックの小編成オーケストラの指揮者となり、特殊編成用に作曲、編曲を行った。
1880年(23歳):初めてフランスを旅行し、サン・サーンスのオルガン演奏を聴く。
1882年(25歳):ライプツィヒを訪問。シューマン、ブラームス、ワーグナーなどの管弦楽曲を聴く。
1883年(26歳):ライプツィヒ音楽院で学んでいた友人ヘレン・ウィーヴァーと婚約。しかし翌年破談。
1885年(28歳):父のあとを継いでウスター教会のオルガニストとなる。
1887年(30歳):後に妻となるキャロライン・アリス・ロバーツにヴァイオリンを教えるようになる。
1889年(32歳):キャロラインと結婚。エルガーは「愛の挨拶」を贈る。
1890年(33歳):ウスターの音楽祭からの依頼で「フロワサール」を作曲。
1892年(35歳):「弦楽セレナード」。この頃から音楽出版のノヴェロ社から楽譜を出版するようになる。
1899年(42歳):「エニグマ変奏曲」がハンス・リヒターの指揮で初演され、一躍作曲家とし認められるようになる。
1900年(43歳):オラトリオ「ゲロンティアスの夢」。
1901年(44歳):行進曲「威風堂々」第1番をロンドンの「プロムス」(夏のプロムナード・コンサートのシリーズ)でヘンリー・ウッドの指揮により初演。熱狂的に歓迎され、2度もアンコールされた。国王エドワード7世の戴冠式を祝うコンサートで、トリオに「希望と栄光の国」の歌詞を付けて歌われた。
1904年(47歳):ナイトに叙される。
1905年(48歳):「序奏とアレグロ」。演奏旅行で訪れたアメリカでイェール大学から博士号を授与。
1906年(49歳):オラトリオ「神の国」。
1908年(51歳):交響曲第1番。
1910年(53歳):ヴァイオリン協奏曲(フリッツ・クライスラーからの委嘱)。クライスラーの独奏、エルガーの指揮によりロンドンで初演。
1911年(54歳):交響曲第2番。
1913年(56歳):交響的習作「フォルスタッフ」。
1919年(62歳):チェロ協奏曲。
1920年(63歳):妻アリスが肺がんで死去。
1922年(65歳):バッハの「幻想曲とフーガ・ハ短調 BWV537」を管弦楽編曲。(もともと1920年にR. シュトラウスと、幻想曲をR. シュトラウスが、フーガをエルガーが編曲することにしたが、R. シュトラウスがなかなか約束を果たさないのでエルガーが全曲を編曲した) 1926年(69歳):この頃から、電気式マイクを使った録音を開始。ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団を指揮した「エニグマ変奏曲」の録音も含む。
1934年(76歳):2月23日、大腸がんのため死去。

 

2.エニグマ変奏曲の「謎」について

 上記の略歴からも分かるように、「エニグマ変奏曲」はエルガーが作曲家としてイギリスの内外を通じて認められるきっかけとなった記念碑的な曲です。(それまでも作曲していたが、あくまで「地元での地方の名士的な存在」に過ぎなかった)

 「エニグマ変奏曲」は、正式名称が「創作主題による管弦楽のための変奏曲 Op.36」であり、エルガー自身の作である「主題」に基づく変奏曲です。
 「エニグマ」はギリシャ語に基づく「謎」という意味であり、表面的には各変奏曲が表す「エルガーの親しい知人」がイニシャルで示されているが直接明かされていないことに由来しますが、さらには「演奏されない、別の大きな主題がある」というエルガー自身の説明にも由来します(自筆稿を見ると、エルガー自身がこの主題のタイトルに「Enigma」と記載している)。この「大きな主題」は「イギリス国家」だの、イギリス(ブリテン)の建国神話を歌った「ルール、ブリタニア!」(ブリタニアよ、統治せよ!)だの、スコットランド民謡「オールド・ラング・ライン」(いわゆる「蛍の光」)だのといろいろ詮索されていますが、本人が明かさなかったため迷宮入りとなっています。
 そういったことが「謎(エニグマ)」の由来です。

 参考までに、イギリスの国民的愛唱歌(愛国歌)である「ルール、ブリタニア!(Rule, Britannia!)」。イギリスのBBC主催で毎年夏に行われる「Proms(プロムナード・コンサート)」の「Last Night(千秋楽)」での熱狂です。
 歌詞はこちら。リフレインの部分の「never, never, never」の部分がエニグマ主題のモチーフに似ていることが理由のようです。
 ついでに、エルガーの「威風堂々第1番」、「Land of Hope and Glory」という歌詞で歌われます。歌詞はこちらのうちの第2節。
 最後に歌われる「Auld Lang Syne:蛍の光」
 それにしても、毎年恒例でこんなことをやっているのですね、イギリス国民は。

 曲を少しでも理解するために、Eulenburgのミニチュアスコアの解説を中心に、概要を載せてみることにします。(ミニチュアスコアの解説を「斜字体」で記載します)

 この中で、少し解説を要することがありますので、先に書いておきます。「音の埋め込み」についてです。
 この曲の主題には、「Bach」の名前が埋め込まれている、という記述があります。曲の冒頭で提示される主題の最初の音が「B」、2小節目の最後の2つの音が「A」「C」、7小節目の主題の最終音が「H」、というわけで、音名で「Bach」が潜んでいる、ということです。
 シューマンの「音楽的暗号」というのもでてきます。これは、同様に言葉のスペルをそのまま音名に当てはめたもので、ピアノ曲の「アベッグ変奏曲Op.1」や「謝肉祭Op.9」、「子供のためのアルバムOp.64」の中の「ノルウェーの歌」などに使われているものです。「アベッグ変奏曲」では、女性の名前であるアベッグ(ABEGG)、「謝肉祭Op.9」ではかつての恋人のいる町の名前Asch(音名でA-Es-C-H)、「ノルウェーの歌」では何とかのニールス・ゲーゼ先生(GADE。横フィルで、98年に交響曲第5番を日本初演しました。メンデルスゾーンの後を継いでライプチヒ・ゲヴァントハウスの指揮者だったので、シューマンとも親交があったのでしょう。でも、出身はノルウェーではなくデンマークでしたよね?)が主題として使われています。
 このテクニック、かなり歴史が古く、バッハ先生も自分自身の主題(B-A-C-H)を遺作である「フーガの技法」に持ち込もうとしました。まさに、この主題を書いたところで世を去り、自筆スコアに息子のP.E.バッハの手で「このフーガで、対位主題にBACHの名が持ち込まれたところで作曲者は死去した」と書かれたことは有名です。
 「B-A-C-H」というのはスムーズな音の動きなので、リスト、マックス・レーガー、オネゲルなどに「バッハの名による・・・」という曲があるそうです。
 かのショスタコヴィチも、自分自身のイニシャル(D.Sch.=D-Es-C-H)を曲の中に埋め込んでいます(交響曲第10番の第3楽章など)。

 エルガーも、この変奏曲の主題に「Edward Elgar」のイントネーションを用い(解説の中に、最初の2小節が「Edward Elgar」の発音のリズムを表している、というのが出てくる)、そこにBachの名を埋め込むことで、バッハとに自分自身を結び付けようとしたのかもしれません。

 さらには、第9変奏「ニムロッド」で語られるように、この主題自体がベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」の第2楽章の主題と共通点を持っています。(下記の譜面参照)

 つまり「創作主題」は、「エドワード・エルガー」の発音のリズムとイントネーション、そして「Bach」の名前と、ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」の主題を含んで作られている、ということです。
 ある意味で、「バッハ、ベートーヴェンを引き継ぐのは、『ドイツ3大B』のブラームスではなく俺だ」という尊大な宣言を盛り込んだ「主題」です(「エニグマ」のスコアを送って初演を指揮したハンス・リヒターは、『ドイツ3大B』を唱えたハンス・フォン・ビューローの弟子筋)。エルガーの言う「演奏されない、別の大きな主題」とは、そういったエルガー自身の「思い入れ」とか「自負」とか「壮大な野望」だったのかもしれません。


ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」第2楽章のテーマ


エニグマの主題と「悲愴ソナタ」第2楽章のテーマの関係。
エニグマの主題を長調にして、対応する音を「赤」で示す。「悲愴」の変イ長調を、半音下げたト長調にしている。


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 エドワード・エルガーは、「創作主題による管弦楽のための変奏曲Op.36」の自筆スコアに、「1899年2月19日完成」と書いている。2日後、エルガーはスコアを有名なワグネリアン指揮者のハンス・リヒターに送った。リヒターは、自分が高く評価する作品しか指揮しないことで知られていたが、この「変奏曲」は1899年6月19日の彼の次のロンドン演奏会に登場した。この作品は熱狂的に受け入れられ、オーケストラのレパートリーの人気曲となった。ビクトリア女王時代(*1)を通して、音楽界ではイギリスの管弦楽作品は全く注目されなかったので、これはエルガーの偉大な業績であった。初演後、オーガスト・イェーガー(エルガーの親しい友人であり助言者で、「Nimrod」変奏曲に描かれている)は、エルガーにフィナーレが短すぎると指摘した。エルガーは、ト長調は「使い尽くされ」「再び主題をもたらすことはない」と説明して、変えるのを嫌がった。しかし、数週間後、エルガーは練習番号76に続く100小節を追加し、イェーガーにこの新しい「しっぽ」に満足してると言っている。

(注*1:在位1837〜1901)

 この「変奏曲」の成功は、エルガーの作品が国際的評価を得るようになったという点で、イギリス音楽の勝利というだけでなく、エルガーの個人的業績でもあった。「変奏曲」はヨーロッパで演奏され、1904年秋にはロシアにまで達した。「変奏曲」に先立つ10年間、エルガーの主な作品は合唱と管弦楽のためのものであった。その中には、「黒い騎士」(1892)、「人生の光」(1896)、「オラフ王」(1896)、「カラクタクス」(1898)があり、これらはイギリスの音楽祭で演奏され、国内での評価を確立するのに役立った。ある評論家は、この「変奏曲」の最大の謎は、この曲がそれまで傑作を生むことのなかった42歳の作曲家から湧き出したことである、と言っている。他の評論家は、「いい加減に話された」合唱作品の後に、エルガーは変奏曲の「鍛錬」(ただし、主題と変奏との関係は、クラシックの感覚からは厳格なものとは言い難いが)が必要だと悟ったのだ、と言っている。

 1904年に、エルガーは騎士(Knight)に叙せられた。この名誉は、我々の持つエルガーのイメージ−−最も英国的な作曲家−−に寄与している。だが、エルガーの独特の天分は、英国の先輩や同輩から生まれたものを超越し、彼の後継者はエルガーの明らかな19世紀の形式や作曲技法を修正したり(ブリス、ウォルトン)、反発したり(ホルスト、ヴォーン・ウィリアムス)したことから、そのイメージは矛盾している。ただし、エルガーの音楽に前向きの傾向は見られない、と言うべきではない−−リヒャルト・シュトラウスは、彼のことを「最初の英国の進歩的音楽家」と呼んだのだから。

 この「変奏曲」に、外部からの影響を見つけるのは難しくない。例えば、ジャンルの問題は考えるに値する。ウィーンの作曲家は、変奏曲を交響曲(ハイドン、ベートーベン)や協奏曲(モーツァルト)のフィナーレに使ったが、独立したオーケストラの変奏曲のジャンルは19世紀にできた。エルガーが作曲するに当たってはパリー(*2)の交響的変奏曲(1897)を考えたであろうが、オーケストラの変奏曲またはオケと独奏楽器のための変奏曲の有名なモデルとしては、ブラームス、ドボルザーク、フランク、チャイコフスキーのものがある。19世紀の交響詩、例えばリスト、スメタナ、R.シュトラウスなども、エルガーの「変奏曲」の刺激になっただろう。シューマンの音楽的暗号(*3)や、音楽以外のものへの連想が明白であることから、おそらく何よりも増してワーグナーの楽劇も。

(注*2:パリーは1848〜1918のイギリスの作曲家。プロムスのラスト・ナイトの最後に、エルガーの「威風堂々」や「ルール!ブリタニア」とともに、パリーの歌曲「エルサレム」が歌われる)

(注*3:前文参照)

 この作品は、「この中に描かれた友人たち」に献呈されており、後に自筆スコアの最初のページにに「エニグマ」(謎)を書き加えた。これにより、エルガー自身はそう呼んだことがなかったにもかかわらず、この変奏曲は「エニグマ(謎)変奏曲」として知られるようになった。それでは、何が「謎」か? エルガーは、初演のプログラムノートにこう書いている:「謎について、私は説明しないだろう。その「暗示」(dark saying)は、解明しないままにしておくべきだ。主題と変奏の明確な関係はとるに足らないもので、さらに全曲・全セットを通して別のより大きな主題(演奏されない)が進行する、と言っておこう」。エルガーは、これ以上のヒントを与えたり、このパズルを解いたという人に対して明確な答を与えることをしたがらなかった。この「秘密」はいろいろに解釈されてきた。エルガーがこの曲を作曲した頃の芸術家としての「寂しさ」と主題の「哀調を帯びた特徴」の関連が言われてきた。また、それはエルガーの自分自身の見方(「私や私からみんなへの影響のように、いつも不吉だ」)を反映しているかもしれない。開始のフレーズのリズムが「Edwrd Elgar」の自然な発音のリズムを表していることも観察されている。この変奏曲は、おそらくブルガタ訳版聖書(*4)のコリント人への手紙−−その訳の中に「dark」の言葉が含まれている−−にも霊感を受けた。

(注*4:この辺の聖書の話には詳しくありませんが、4世紀にヒエロニムスによってラテン語に訳された聖書のこと)

 「進行するより大きな主題」は、明確にはされていないが、実在する主題に暗に含まれた対位主題と理解されている。他にもいろいろ提案されているが、「Auld Lang Syne」(*5)が最もポピュラーな推測である。ただし、何人かの学者は、主題とともに進行する「隠された音」が変奏曲全体には合致しそうもないこと、そして、いずれにしても、エルガーは大きな主題が特定の音であるとは言っていないことから、このアプローチを差し控えている。
 「大きな主題」は、友情を指しているのかもしれないし(隠れた音が「Auld Lang Syne」であれば十分妥当である)、一般的な音楽体験(バッハの音楽のような)を思い起こしているかもしれないし、あるいはエルガーは意識的にバッハの名前を埋め込むことにしたのかもしれない(主題はBで始まりHで終わり、AとCはこれらの間にテヌートが付いている)。(*6)

(注*5:「楽しかった昔」=日本名「蛍の光」)
(注*6:前文参照)

 エルガーの謎の全貌は解明できないが、エルガーはスコアの中で、各変奏の上のイニシャルやあだ名で変装させることで、「この中に描かれた友人たち」の名前を明らかにする証拠を示している。エルガーは、友人12人と、妻、自分自身の音楽的スケッチを描いたのである。
 

1. (C.A.E. )Caroline Alice Elgar = キャロライン・アリス・エルガー

 エルガーの妻である。

 キャロライン・アリス・エルガー

 オーボエ、ファゴットに現れる3連符は、エルガーが帰宅するときに合図としていた口笛なのだそうです。アリスと作曲者だけが知る「親しい呼びかけ」ということ。

 

 

2. (H.D.S-P ) Hew David Steuart-Powell = ヒュー・デイヴィッド・スチュアート=パウエル

 エルガーとBasil Nevison(*7)とでトリオを組んでいたピアニスト。この変奏は、彼の「独特の全音階が、調を逸脱している」さまを描いている。

(注*7:第12変奏に登場するチェロ奏者。エルガーはヴァイオリンを弾いた。)

 ヒュー・デイヴィッド・スチュアート=パウエル

 このピアニストが、演奏前のウォーミングアップに弾く音形を模して茶化しています。

 

 

3. (R.B.T.) Richard Baxter Townshend = リチャード・バクスター・タウンゼンド

 オックスフォードの奇人。この部分は、彼の「低い声が舞い上がって、時として『ソプラノ』の音色になる」ことを思い出させる。

 リチャード・バクスター・タウンゼンド

 タウンゼンドはアマチュアの俳優で、エルガーのゴルフ友達だったそうです。俳優として、いろいろな声色・音域を使い分けられたようです。  

 

4. (W.M.B. ) William Meath Baker = ウィリアム・ミース・ベイカー

 その日の予定を見て、大あわてで不注意にドアをばたんと閉めて音楽室から飛び出して行く・・・。

 リチャード・バクスター・タウンゼンド

 多忙で活動的な人で、動作がドタバタしていたのでしょうね。

 

 

5. (R.P.A. )Richard Penrose Arnold = リチャード・ペンローズ・アーノルド

 詩人 Matthew Arnold の息子で、「気まぐれで機知に富んでいる」。

 リチャード・ペンローズ・アーノルド

 独学でピアノを弾いたようです。落ち着いたまじめな語り口の中に、ときどき気まぐれで「笑い声」のような軽い口調が混じる、そんな会話を表わしているようです。

 

 

6. (Ysobel ) Isabel Fitton = イザベル・フィットン

 弦を飛び越えた跳躍を練習しなければならないヴィオラ奏者。

 イザベル・フィットン

 アマチュアのヴィオラ奏者。「ヴァイオリンはみんなが弾くから」とヴィオラに転向したとか。ヴィオラが活躍し、練習曲の「移弦」とそれを称賛する(茶化す?)ファゴット。
 なお、イザベルはエルガーをアリスに紹介した人だそうです。
 タイトルは「イザベル」の古風な言い方「イゾベル」に言い替えています。

 

 

7. (Troyte )Arthur Troyte Griffith = アーサー・トロイト・グリフィス

 打楽器は、彼の「ピアノフォルテを弾こうとする不器用な試み」を表現している。

 アーサー・トロイト・グリフィス

 本職は建築家。エルガーとは凧上げやハイキングを楽しんだようです。
 エルガーがピアノを教えていたがなかなか上達しなかったようです。むきになって弾いている、そんな様を茶化しているようです。

 

 

8. (W.N. ) Winifred Norbury = ウィニフレッド・ノーベリー

 この変奏は、まさに彼女の平和に満ちた18世紀の家庭を描いたものである。

 ウィニフレッド・ノーベリー

 ウースターシャー・フィルハーモニック協会の事務員で、エルガーの楽譜の清書なども行ったようです。おっとり、のんびりした性格だったらしく、平穏で拍子感のはっきりしない、悪く言えば「間延びした」曲調です。

 

 

9. (Nimrod ) August Johannes Jaeger = アウグスト・ヨハネス・イェーガー(英語読みだと「オーガスト・ジョアネス・ジェイガー?)

 Jaegerは、ドイツ語で「狩人」なので、「Nimrod」(*8)。エルガーは、Jaegerに「私は、あなたの外見的なものではなく、内にある善良で愛すべき正直な魂だけを見てきた」と書いている。

 アウグスト・ヨハネス・イェーガー

 Nimrod = ニムロデ。ノアの子供で狩の名人。聖書の常識を知らない異教徒の我々には通じない例えなのでしょう。なお、Jaegerは、エルガーの最大の友人で、日の目を見ない頃にエルガーを励まし続けた。楽譜出版のノヴェロ社の人。このエニグマ変奏曲の初版はノヴェロ社から出版。
 ベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の第2楽章を変奏主題に絡ませて用いているのは、そんなことをイェーガーと語り合ったからという。
ちなみに、ドヴォルザークの交響曲第8番も、それまでのベルリンの出版社「ジムロック」ではなくこの「ノヴェロ社」から出版したことから「イギリス」と呼ばれることもある)

 

 

10.「間奏曲」(Dorabella ) Dora Penny = ドーラ・ペニー

 エルガーの彼女に対するニックネームが「ドラベラ」。モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」からの引用と説明している(*9)。彼女はどもりだった。

(注*9:モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ(女はみんなこうしたもの)」には、恋人への忠誠を試される美人姉妹として、フィオルディリージとドラベラが登場する。)

 ドーラ・ペニー

 第4変奏に登場するベイカーの姪で、エルガー夫妻がたいそう可愛がったそうです。
 現代では「差別」といわれる可能性が高いですが、この曲の木管楽器による「テヌートとスタカートの付いた4つの十六分音符」は、彼女の「どもった口調」を表現しているようです。その前後の弦楽器は彼女の笑い声。彼女自身は「自分の特徴を音楽にしてくれた」と喜んだといわれていますが・・・。
 最後には「落ち着いて話せば、こんな風にふつうにしゃべれる」という音形が現れます。
 彼女は、第2変奏のスチュアート=パウエルの夫人となったそうです。

 

 

11. (G.R.S. ) George Robertson Sinclair = ジョージ・ロバートソン・シンクレア

  1899年にHereford教会に任命されたオルガン奏者。この変奏は、オルガンや教会や、ちょっとした点を除いてG.R.S.には何も関係ない。最初の数小節は、彼の大きなブルドッグ「ダン」を暗示している。

 ジョージ・ロバートソン・シンクレア
  〜愛犬「ダン」とともに

 ブルドッグのダンが、川に落ちて必死にもがいている様とのこと。最初の小節で川に落ちて、2小節間もがいて、4小節目で水から上がり、5小節目で「ブルブル」と体の水を吹き飛ばす・・・。

 

 

12. (B.G.N. ) Basil G. Nevinson = ベイジル・G・ネヴィンソン

 「大変親しい友への賛辞」(*10)

(注*10:Basil Nevisonは、第2変奏の解説にも登場する、エルガーとピアノトリオを組んだアマチュアのチェロ奏者。

 ベイジル・G・ネヴィンソン

 前奏とコーダにチェロ独奏でその抒情的な表現を讃えています。
 後年の名曲チェロ協奏曲は、このネヴィンソンに触発されて作曲しました。

 

 

13.「ロマンツァ」(*** )

 これは、アスタリスクが付けられただけの変奏である。エルガーは、伝記作家に、献呈者は音楽上の友人であるLady Mary Lygonであるとし、実際に最初は、変奏曲の説明書の見出しには、1913年に出版された注記の草稿ではイニシャルL.M.L. を与えていた。最近では、音楽に秘められている人は、美しく才気あふれたアメリカ人、Julia Worthington −−エルガーの密かな恋人だったかもしれない−−といわれている。たびたび現れるクラリネットのメンデルスゾーン「静かな海と楽しい航海 Op.27」からの引用は、おそらくミステリーへのたくらみである。

 メアリー・ライゴン

 メンデルスゾーンの「静かな海と楽しい航海 Op.27」からの引用は「航海」を暗示しています。弦楽器による「波」やティンパニの「船のエンジン音」も。
 Lady Mary Lygon は、この曲の作曲中にオーストラリアに航海しているそうです。
 別の説では、1883年から84年にかけて一時エルガーと婚約していた Helen Weaver ではないかとも言われています。彼女も婚約破棄後ニュージーランドに移住しています。
 なお、Helen Weaver はライプチヒに留学していたことがあり、メンデルスゾーン=ライプチヒの連想ゲームとの説もあるそうです。
 いずれにせよワイドショー的な話題なので、あまり深入りは不要でしょう。
 一方で、不吉な「13番目」なので、特定の名前を付けなかった、という説もあるようです。

 ヘレン・ウィーヴァー

 

 

14. (E.D.U. ) Elgar himself = エルガー自身

 作曲者エルガー自身。Eduは、妻アリスとの間の呼び名(*11)。

(注*11:アリスはエルガーのことを「エドゥ」と呼んでいたらしい。)

 エルガー自身

 主題の変奏だけでなく、全曲のコーダとしての位置も占めます。第1変奏「アリス」、第9変奏「ニムロッド」の回想を含み、最後はアドリブで「オルガン」も加えて盛り上がります。いかにも「大英帝国」的な響き・・・。

 変奏曲の謎へのエルガーの警句的な言及に強い関心があることに対しては、作曲者自身のこの問題への感覚を思い出すのがよいだろう。「パーソナリティな謎をいくら解いても、芸術的・音楽的センスとしては何も得られない。聴衆は音楽を音楽として聴くべきで、演奏曲目の複雑さで悩むべきではない。私にとって、いろいろなパーソナリティはインスピレーションの源であり、その理想化は楽しみであった。それは、年とともにますます強くなっていた。」

 この変奏曲のスコアは、ロンドンのノヴェロ社から1899年に出版された。エルガーの自筆スコアは大英博物館に保存されている。

    -- Esther Cavett-Dunsby
 

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参考まで:

エルガー協会(The Elgar Society):http://www.elgar.org/
  エルガーに関する諸々のこと、伝記、代表曲の解説、など。


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