サン・サーンスのちょっと寄り道 〜次回(第65回)の演奏曲のちょっといい話〜

2011年02月14日 作成


 横浜フィルハーモニーの次回(第65回)演奏会では、フランスものを演奏します。

   フォーレ/劇音楽「シャイロック」より
   プーランク/バレエ音楽「牝鹿」より
   サン・サーンス/交響曲第3番「オルガン付き」

 サン・サーンスの交響曲第3番を演奏するので、サン・サーンスの全体像とその他の曲についても寄り道してみましょう。

 サン・サーンスというと、小学校か中学校で音楽の時間に「動物の謝肉祭」を聴かされるので名前は良く知っているのですが、よく聴く曲、好きな曲は何か、と聞かれると、意外と普段聴こうと思う曲がないことに気付きます。
 これではもったいないので、あらためてサン・サーンスの音楽を眺め直してみることにしました。

 サン・サーンスは、とても器用で職人的な技術を持った作曲家なので、完成度の高い、きれいで傷や欠点のない曲を作りますが、音楽的な中身は今一つ、と言われることが多いようです。確かに、そういう側面はあります。
 サン・サーンスはフランス人なので、よく「フランス風のエスプリ」とか「軽妙洒脱」といった形容詞で語られますが、私の印象はむしろ、そういった「フランス風」の魅力には乏しく、「フランスらしくない、むしろ構成がしっかりしていて、音の重心が低いドイツ風」というものです。
 そんな、フランス風を求めると裏切られ、かといってドイツ音楽の範疇で聴く訳にもいかない、という分類学的あいまいさで、サン・サーンスは随分損をしているのではないかと思います。特に、ドイツ音楽を正統派として尊重し、フランス音楽をそのアンチテーゼとして対立させてドイツ音楽にはない要素を見出そうとする日本の音楽愛好家の中では。
 この際、国籍を無視して、純粋に音楽として聴いてみればよいのではないでしょうか。
 そんなサン・サーンスの、ちょっと寄り道です。



0.サン・サーンスの人生・生涯

 一般向けの「伝記」のようなものもあまり出ていないのではないでしょうか。
 手っ取り早く知りたい向きには、この個人のHPに少し詳しく出ていました。

 あまり情報はありませんが、ウィキペディアはこちら

1.交響曲

 フランスの作曲家で、交響曲を得意とした、あるいは交響曲を作曲した人は、意外と少ないように思います。その中にあって、サン・サーンスは番号付きのものが3曲、番号なしの完成品が2曲の、計5曲を作曲していて、結構多い方です。

 フランスの交響曲として、ロマン派音楽の創始者のようなベルリオーズは、標題交響曲の代表格である「幻想交響曲」を作曲しましたが、生涯で作曲した交響曲はこれ1曲です。しかも、もともと、失恋した若者を主人公とした「幻想交響曲」作品14と、これに続く「レリオ、あるいは生への復帰」作品14bisで、全体で完結する一種の連作交響詩のようなものをイメージしていたのではないかと思います。

 また、サン・サーンスの先輩格であるグノーは、交響曲を2曲作っています(グノーは1818〜1893年、サン・サーンスより17歳年上)。
  グノー/交響曲第1番(1854年)
  グノー/交響曲第2番(1856年)

 さらに、グノーに影響され、若き日のビゼーも交響曲を1曲書いています(ビゼーは1838〜1875年、サン・サーンスの3歳年下)。
  ビゼー/交響曲ハ長調(1855年、ただし初演は1935年)

 そして、サン・サーンスが交響曲を書き始めるのも、同じ頃なのでした。
 サン・サーンスには、番号付き交響曲が3曲ありますが、これ以外に完成された習作が2曲あり、全部で5曲の交響曲があります。私の持っているマルティノンの交響曲全集(2枚組)には、この5曲が入っています。

  サン・サーンス/交響曲
   ・交響曲イ長調(1850年頃、なんと15歳!)
   ・交響曲第1番 作品2(1851年、16歳)
   ・交響曲ヘ長調「首都ローマ」(1856年、21歳)
   ・交響曲第2番 作品55(1858年、28歳)
   ・交響曲第3番 作品78(1886年、51歳)

 これを見ると、有名な第3番以外は、20歳代の若書き、習作であることが分かります。交響曲第2番は、作品番号こそ「55」ですが、これは出版されたのがずっと後になってから、という事情のようです。
 第2番以前のものは、確かにオーケストレーションは達者なのですが、これといった特徴に乏しく、どちらかというとシューマン、メンデルスゾーン、リストを混ぜ合わせたような作風です。少なくとも、フランス風ではありません。
 もっぱら第3番ばかりが演奏される理由も、聴いてみれば納得します。

 フランス人作曲家の交響曲としては、その後のものに次のようなものがあります。サン・サーンスの第3番とともに、いずれも1871年設立の「フランス国民音楽協会」の影響下で作曲されたものと思われます。でも、フランスにおいてはやはり交響曲は主流ではなく、フランク以外はめったに演奏されませんね。

    ヴァンサン・ダンディ/フランス山人の歌による交響曲 作品25 (1886年)
    フランク/交響曲ニ短調 (1888年)
    ショーソン/交響曲変ロ長調 作品20 (1890年)
    デュカ/交響曲ハ長調 (1896年)

2.ヴァイオリン協奏曲

 サン・サーンスがやや個性的な曲を書くようになる最初の作品は、ヴァイオリンと管弦楽のための「序奏とロンド・カプリチオーソ」作品28(1863年)あたりのようです(28歳)。
 この「ロンド・カプリチオーソ」は、ヴァイオリンの名手サラサーテのために作曲されました。
 この前後に、ヴァイオリン協奏曲が3曲書かれています。

  サン・サーンス/ヴァイオリン協奏曲
   第1番 作品20 (1859年、24歳)
   第2番 作品58 (1858年、23歳) (作品番号は58だが、若書き)
   第3番 作品61 (1880年、35歳)

 このうち、第3番が最も有名で、演奏頻度も多いと思います。冒頭から情熱的な、テンションの高い曲です。個人的には、サン・サーンスの曲の中では1番好きかもしれません。
 この分野でも、最初の2曲はやはり若書きで、個性的な魅力には欠けるようです。

 私は、ウルフ・ヘルシャーのヴァイオリン、ピエール・デルヴォー指揮フィルハーモニア管のヴァイオリン協奏曲全集を聴いていますが、第3番だけなら、グリュミオーのヴァイオリンキョン・チョンファのヴァイオリンも良いようです。

        

3.ピアノ協奏曲

 サン・サーンス自身が優れたピアニストでもあり、自分自身で演奏するためにピアノ協奏曲が5曲書かれています。

  サン・サーンス/ピアノ協奏曲
   第1番 作品17 (1858年、23歳)
   第2番 作品22 (1858年、23歳)
   第3番 作品29 (1869年、34歳)
   第4番 作品44 (1875年、40歳)
   第5番 作品103 (1896年、61歳)

 このうち、第2番は初期の代表作ということで結構ファンはいるようです。あくまでもピアノが主役の曲で、第2楽章がなかなか軽妙洒脱な感じですが、全体としては「ドイツ・ロマン派」を感じさせる曲です。
 第4番は、完成度の高い曲とされているようです。全体が2部構成で、各部分が前半・後半に分かれ、全体として4楽章構成である点、全曲を通して循環主題が登場するという点で、交響曲第3番に共通するところがあります。堂々としていて、充実した響きのする佳い曲だと思います。(その意味で、やはりドイツ・ロマン派風。曲の冒頭に出てくる循環主題は、R.シュトラウスの管楽セレナードの主題を思わせます・・・)
 晩年の第5番は、「エジプト風」とのタイトルが付いており、特に第2楽章が「ナイル河の夜景」といった感じのエキゾティックな曲調です。ハーモニーやリズムが異国情緒たっぷりな上に、ピアノ旋律の一部に、主旋律の上に奇妙な倍音を乗せた部分があり、不思議な響きがします。サン・サーンスの個性が発揮された、かなり佳い曲だと思うのですが、実際に演奏会で取り上げられることはほとんどないと思います。

 私は、フィリップ・コラールのピアノ、プレヴィン指揮ロイヤル・フィルのピアノ協奏曲全集を聴いていますが、パスカル・ロジェのピアノ、デュトワ指揮の全集も良いようです。

     

4.チェロ協奏曲

 サン・サーンスは、チェロ協奏曲を2曲作曲していますが、私は第1番の方しか聴いたことがありません。

  サン・サーンス/チェロ協奏曲
   第1番 作品33 (1873年、38歳)
   第2番 作品119 (1902年、67歳)

 第1番は、チェロ協奏曲という分野自体に曲が少ないせいか、比較的演奏頻度は高いようです。

 私が聴いているのは、ジャクリーヌ・デュプレのEMI録音セットの中のバレンボイム指揮のものです。

  

5.交響詩

 古典的ロマン派を自認していたサン・サーンスは、リストばりの交響詩をいくつか作曲しています。でも、実際に演奏されることはほとんどありませんね。(「死の舞踏」が、動物の謝肉祭の「化石」にそのテーマが使われている縁で、多少聴かれる程度でしょうか)

   交響詩「オンファールの糸車(Le rouet d'Omphale)」 作品31(1871年)
   交響詩「ファエトン(Phaeton)」 作品39(1873年)
   交響詩「死の舞踏(Danse macabre)」 作品40(1874年)
   交響詩「ヘラクレスの青年時代」作品50

     

 その他の管弦楽曲として、
   アルジェリア組曲(Suite algerienne)作品60 (1879年 - 1880年)(4曲)
があります。
(実は、横フィルが1994年に行った地域向けのコンサートで、今は超有名になった下野竜也氏の指揮で演奏したことがあります!)

6.歌劇、劇音楽、バレエ音楽

 サン・サーンスは、歌劇を13曲、劇付随音楽を7曲、バレエ音楽を1曲、さらには映画音楽を1曲(!、1908年)作曲しているようですが、今日演奏されるのは

   歌劇「サムソンとデリラ」 作品47 (1872年)

だけといってよいでしょう。でも、このオペラ、フランス国内では評価されず、全曲初演は、リストの推薦により、ドイツ語でヴァイマールで行われたとのことです。(フランス初演はその13年後)  この歌劇歌劇の中の管弦楽曲である「バッカナール」が演奏会ピースとして演奏されることが多いようです。
(先日放映されていたベルリン・フィルの2010年ジルヴェスター・コンサートでも、グスターヴォ・ドゥダメルの指揮で演奏されていました)

 バレエ音楽が少ないのは、フランスの作曲家としては珍しいことだと思います。

7.動物の謝肉祭

 この曲が、サン・サーンスの代表曲とされるのは、サン・サーンスに対して失礼かつ残念なことのように思います。(この点、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンの代表作が「青少年のための管弦楽入門」とされているのと似ています)

 「動物の謝肉祭」は、次の14曲から構成されています。

   第1曲「序奏とライオン王の行進曲」 (Introduction et marche royale du lion)
   第2曲「雌鶏と雄鶏」 (Poules et coqs)
   第3曲「騾馬」 (Hemiones)
   第4曲「亀」 (Tortues)
   第5曲「象」 (L'elephant)
   第6曲「カンガルー」 (Kangourous)
   第7曲「水族館」 (Aquarium)
   第8曲「耳の長い登場人物」 (Personnages a longues oreilles)
   第9曲「森の奥のカッコウ」 (Le coucou au fond des bois)
   第10曲「大きな鳥籠」 (Volieres)
   第11曲「ピアニスト」 (Pianistes)
   第12曲「化石」 (Fossiles)
   第13曲「白鳥」 (Le cygne)
   第14曲「終曲」 (Finale)

 このうち、「ピアニスト」については、ほとんどの解説で「サン・サーンスは、下手なピアニストも動物の仲間に入れた」「下手なピアニストに対する痛切な皮肉」と書いていますが、そうだろうか、と思っています。ピアニストを皮肉るのに、「ピアニスト」というタイトルは付けないと思いますよ、普通なら。
 私は、特に根拠はありませんが、これは「猿」なのだと思っています。器用な猿(チンパンジーやオランウータン)は、手と足(前足と後ろ足というべきか)の両方の指をうまく使いこなすので、ここでは「4手」を1人(1匹)で弾いている、というコンセプトなのだと思います。それを、実際の演奏で、2人の人間が「上手く」弾いては猿にならないので、楽譜には

  「ピアニスト2人は、たどたどしく初心者の不器用さを模倣すること」

と注記されています。いかにも、猿が前足・後ろ足でたどたどしく弾いているように・・・。
 もっとも、「世の中の大半のピアニストは、4本の手を持った猿よりも劣る」といった皮肉を言いたかったのかもしれませんが。

 これは、この曲の他のタイトル、たとえば第8曲で「ロバ」を示すのに「耳の長い登場人物」と言ったり、第10曲で鳥たちを示すのに「大きな鳥籠」と言っていることからも、あながち間違っていはいないと思います。(耳の長い=よく聴こえる=音楽評論家、という連想なのでしょうね)

 でも、理解できないのは、第12曲の「化石」です。
 「骨」であることは「死の舞踏」の主題とシロホンの演奏で分かるのですが、どうして「動物のお祭り」に化石? 「動物園」とは言っていないので、骨になっても昔は「動物」だった、ということなのでしょうか?
 真相は、作曲者に聞いてみないと分かりませんけれど。

8.室内楽曲

 サン・サーンスの室内楽、ピアノ曲、歌曲は、残念ながらあまり聴いていません。
 最近、管楽器を含む室内楽集のCDが出たので買いました。演奏しているのは、パリ管弦楽団の首席奏者を主体としたメンバーです。(そのためか、CDジャケットには、フランスの管楽器メーカーのロゴが並んでいます。マリゴー Marigauxビュッフェ・クランポン BUFFET-Cramponセルマー SELMERヴァンドーレン Vandorenクルトワ Courtois

 おもな収録曲は、

  ・七重奏曲Op.65(トランペット、2Vn、Va、Vc、Cb、ピアノ)(1881年)
  ・フルートとピアノのためのロマンスOp.37
  ・ホルンとピアノのためのロマンスOp.36、p.67
  ・デンマークとロシアの歌による奇想曲 作品79(1887年) (ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット)
  ・トロンボーンとピアノのためのカヴァティーヌOp.144
  ・オーボエ・ソナタOp.166
  ・クラリネット・ソナタOp.167
  ・ファゴット・ソナタOp.168

 七重奏曲Op.65は、見て分かるとおり、極めて珍しい編成です。トランペットの一人相撲にならないよう、エレガントさと繊細なセンスが求められるようです。「導入曲」「メヌエット」「間奏曲」「ガヴォットと終曲」という、舞曲集のような形をとっています。
 また、最晩年の1921年に、Op.166〜168の管楽器のためのソナタを集中的に作曲しています。3曲とも、最晩年(86歳!)とは思えない若々しさと輝かしさをもった曲です。でも、この曲の作曲当時、後輩のドビュッシーはすでに亡くなっていましたし、フランス6人組やストラヴィンスキーがパリで活躍していました。そんな時代です。
 プーランクも同様に、最晩年にも管楽器のためのソナタを集中的に作曲しています(フルート、クラリネット、オーボエのソナタ)。そういえば、ドビュッシーも最晩年に一連のソナタを作曲しようと試み、道半ばで逝去しています(第1番:チェロ・ソナタ(1915)、第2番:フルートとヴィオラとハープのためのソナタ(1915)、第3番:ヴァイオリン・ソナタ(1916)まで完成。さらに「オーボエとホルンとクラヴサン」、「トランペット、クラリネット、ファゴットとピアノ」、「コントラバスと様々な楽器」という構想もあったらしい)。最晩年に最もシンプルな構成の室内楽を残そうとするのは、フランスの伝統なのでしょうか。

 サン・サーンスの室内楽としては、これ以外に

   ・ピアノ五重奏曲イ短調 作品14(1858年)
   ・ピアノ四重奏曲ロ長調 作品41(1875年)
   ・ピアノ三重奏曲第1番ヘ長調 作品18(1869年)
   ・ピアノ三重奏曲第2番ホ短調 作品92(1892年)
   ・弦楽四重奏曲第1番ホ短調 作品112(1899年)
   ・弦楽四重奏曲第2番ト長調 作品153(1919年)
   ・ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調 作品75(1885年)
   ・ヴァイオリン・ソナタ第2番変ホ長調 作品102(1896年)
   ・チェロ・ソナタ第1番ハ短調 作品32(1871年 - 1872年)
   ・チェロ・ソナタ第2番ヘ長調 作品123(1905年)

などがあります。

9.まとめ

 以上、いろいろと書いてみましたが、サン・サーンスの私的ベストは、次のようのものでしょうか。
 何かのご参考になれば幸いです。

  ・交響曲第3番「オルガン付き」
  ・ヴァイオリン協奏曲第3番
  ・ヴァイオリンと管弦楽のための「序奏とロンド・カプリチオーソ」
  ・ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」
  ・ピアノ協奏曲第4番
  ・交響詩「死の舞踏」
  ・七重奏曲Op.65(トランペット、2Vn、Va、Vc、Cb、ピアノ)

 せっかくサン・サーンスに近づける機会ですので、興味があったら少し深入りしてみるのもよいかと思います。
 掘り出し物が見つかるかもしれません。



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