グリーグは、日本では「ピアノ協奏曲」と「ペール・ギュント」組曲ぐらいしか演奏されないので、私も長い間「あまり重要ではない作曲家」などと高をくくっていました。
その認識を改めさせられたのは、ピアノ曲「抒情小曲集」です。この曲集は、初期の「作品12」(結婚の年1867年、24歳)に第1集の8曲が作られた後、生涯にわたって慈しむように作曲され続け、20世紀の1901年まで通算10集、全部で66曲の珠玉の名品が残されました。これを聞くと、グリーグの音楽の本質はこういうところにあったのだ、と思います。
グリーグは、1843年に、スウェーデン統治下のノルウェーのベルゲンで生まれました。
1858年、15歳のときに、ヴァイオリニストのオーレ・ブルに才能を見出され、3年半の間ライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学びます。また、1863年から3年間、デンマークのコペンハーゲンで作曲家ニールス・ゲーゼに学びます。
1867年(24歳)に、従妹でソプラノ歌手のニーナ・ハーゲルップ(1845〜1935年)と結婚します。この年には、クリスチャニア(現オスロ)のフィルハーモニー協会の指揮者に就任し、そして翌1868年にピアノ協奏曲を作曲します。
このころが、グリーグの作曲の最盛期で、代表作の劇音楽「ペール・ギュント」作品23は、1874〜75年に作曲されて1876年に初演され、その後上演の都度改訂していくとともに、1888年に第1組曲・作品46、1892年に第2組曲・作品55にも編曲しています。
1884年(41歳)のときに、ベルゲン近郊のトロルハウゲン(妖怪の丘)に住家を建築し、以後ずっとここに住み続けることになります。「トロル」とは、ノルウェーの伝説の妖怪で、グリーグの様々な曲に登場するとともに、背の低かったグリーグ夫妻は、自分たちのことを「小さなトロル」と呼んでいたそうです。お気に入りのキャラクターだったのでしょう。(注)
グリーグ自身も、自分の音楽の趣向はサロンなどでの小品と考えていたようで、完成して生前に発表したオペラや交響曲はなく、管弦楽曲や協奏曲、舞台作品は限られた少数のものとなっています。
1905年のノルウェー独立を見届けたあと、1907年ベルゲンで没しました。
(注)この妖怪「トロル」は、宮崎駿氏の「トトロ」原形となっています。ひょっとして、フィンランドの「ムーミン」とも共通点があるのかもしれません。
こんなイメージらしいです。
2.ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
何といってもグリーグの全作品中で、最も演奏頻度の高い曲でしょう。グリーグ25歳の1868年に、結婚直後のみなぎるモチベーションで作曲され、当時の音楽界・ピアノ界の巨星フランツ・リストにも賞賛されたとのことです。
この曲で、一気に作曲家としての名声を確立したことになります。
グリーグは、その晩年の1907年に、オーストラリア出身の作曲家・ピアニストであったパーシー・グレインジャー(1882〜1961年)の訪問を受け、ピアノ協奏曲を改訂して、グレインジャーのピアノで演奏旅行する計画だったそうですが、結局グリーグの死去によって実現しなかったようです。グレインジャーとニーナ未亡人との交流はその後も続き、グリーグの遺品の金の懐中時計を贈られているそうです。
3.劇付随音楽「ペール・ギュント」
『ペール・ギュント』は、ノルウェーを代表する作家イプセンが1867年に書いた戯曲作品です。元は上演を目的としないレーゼドラマ(朗読用)として書かれたようで、本来は舞台向きでないこの作品の上演に当たって、イプセンは音楽によって弱点を補うことを考え、1874年に当時作曲家として名を上げつつあった同国人のグリーグに、劇音楽の作曲を依頼したそうです。
グリーグは自分の作風が小品向きであり、劇的でスケールの大きな舞台作品には向かないと考えていて、一旦は依頼を断わろうともしましたが、報酬と、民族的な題材への作曲に興味を引かれたこともあり、作曲を引き受けました。作曲は同年に開始したが難航し、翌1875年に完成しました。
『ペール・ギュント』の舞台上演は1876年2月24日、クリスチャニア(現オスロ)の王立劇場で初演が行われました。上演は、イプセンの狙い通りに音楽のおかげもあって成功を収めましたが、一方で近代性を備えた風刺的なイプセンの戯曲に対してグリーグの音楽がロマンティックに過ぎることへの批判もあったようです。
グリーグはその後、再演のたびに改訂を行い、1885年、1887〜88年、1890〜91年、1901〜02年に改訂されています。
このため、「全曲版」といっても、版によって何種類かあるようで、指揮者の選択も含めて、曲の有無・順番などいくつか異なる演奏があるようです。
基本的には、1988年にドイツのペータース社から出版された最新の全曲版に基づき、下記のような「26曲」で構成されると見なすのが一般的なようです。
(第1幕)
第1曲「婚礼の場で」
第1幕への前奏曲です。
冒頭に華やかな結婚式の主題が出て、ペール・ギュントの帰りを待つ「ソルヴェイグの歌」の旋律が対比され、その間にノルウェーの民族楽器ハンダンゲル・フィドルを模倣したヴィオラの独奏が入ります。ハンダンゲル・フィドル模倣の1回目は2拍子の「ハリング」、2回目は速い3拍子の「スプリンガル」です。(各々、第2曲、第3曲の「さわり」の部分のみの「ちょい演奏」です)
(参考)日本グリーグ協会のホームページに、「ハリング」、「スプリンガル」の踊りの画像リンクが掲載されていました。
(追加曲)「花嫁の行列」
前奏曲の後の結婚式の場面の前に、ピアノ曲集『人々の暮らしの情景』作品19の第2曲を、グリーグの姪の婿であるハルヴォルセンが管弦楽編曲して1886年に追加したものが挿入されることもあるようです。この曲は、1908年に最初に出版された全曲版に含まれているようです。
第2曲「ハリング舞曲」
結婚式の場面での踊りで、2拍子のノルウェー民族舞曲です。
ハンダンゲル・フィドル(ノルウェーの民族楽器)を模したヴァイオリン独奏により、開放弦5度の上に民族的な旋律が弾かれます。旋律は、前奏曲に出てきたものです。
第3曲「スプリンガル舞曲(跳躍舞曲)」
これも、ハンダンゲル・フィドル(ノルウェーの民族楽器)を模したヴァイオリン独奏によります。
これも結婚式の場面での踊りで、速い3拍子ですが、チェコのフリアント舞曲のように2倍に引き伸ばした3拍子と交錯します。
(第2幕)
第4曲「花嫁の略奪とイングリッドの嘆き」(第2組曲、第1曲)
第2幕への前奏曲です。第1幕の演奏曲の冒頭と同じ結婚式の主題が短調で激しく登場した後、イングリッドの嘆きが切々と奏でられます。イングリッドは、ペール・ギュントが結婚式から奪い去った他人の花嫁で、イングリッと自信もペールには気があったようです。でも、ペールはすぐに飽きて、彼女を捨てて冒険に出かけてしまったのです。
第5曲「ペール・ギュントと山羊追いの女たち」
花嫁を略奪したペールを追う村人から逃れる途中、山で出会う山羊追いの3人の女性の歌です。女声による三重唱です。
伴奏に「山の魔王」の主題が見え隠れし、山の魔王の関係者であること暗示します。
第6曲「ペール・ギュントと緑衣の女」
さらに、緑の服を着た少女に出会います。山の魔王の娘と名乗ります。ペールは、この娘と結婚しようと、山の魔王の宮殿に出かけて行くことにします。
完結した曲ではなく、ちょっと「場つなぎ」的なもので、森と小鳥のさえずりのような部分と、オーボエによる(後でモロッコ海岸で出てくる)「朝の気分」に似た主題とが現れます。
第7曲「ペール・ギュント『育ちのよさは馬具見りゃわかる』」
「緑衣の女」と山の魔王の宮殿に向かおうとする場面で、ペールが自分のまたがる馬具を見せびらかしてこのセリフを言うようです。
このセリフを合図にプレストの音楽が始まり、娘は豚の背に乗って魔王の館に入っていきます。あっという間に終わります。
第8曲「ドヴレ山の魔王の広間にて」(第1組曲、第4曲)
組曲にも含まれるおどろおどろしい曲ですが、舞台版では合唱が加わり、最後の部分では合唱の中から山の魔王の手下の妖怪トロルの叫び声があちこちから飛び出します。
第9曲「ドヴレ山の魔王の娘の踊り」
山の魔王の歓迎の饗宴で娘たちが踊ります。教会旋法(ドリア調)のような民謡的旋律です。
第10曲「ペール・ギュントはトロルに追い回される」
ペールが魔王の娘との結婚を断ったため、妖怪トロルに追いかけられます。「山の魔王」の主題に基づきます。
第11曲「ペール・ギュントとベイグ」
前曲から続きます。さんざん妖怪トロルたちに追い回された後、夜が明けて朝の教会の鐘が鳴ると、妖怪どもは退散します(この辺は、ムソルグスキーの「禿山の一夜」と同じ構図か)。そこに残ったベイグという姿の見えない妖怪と、ペールとの間で、問いかけ話が交わされ、その間にホルンのゲシュトップを伴う奇怪な音楽が流れます。
最後には、ベイグも鐘の音で退散します。
(第3幕)
(番号なし)「ソルヴェイグの歌」
全曲の出版譜にはないようですが、ここに歌なしでオーケストラだけの「ソルヴェイグの歌」が入ることがあるようです。
第12曲「オーセの死」(第1組曲、第2曲)
ペールは故郷に戻り、ソルヴェイグと暮らし始めます。
そこで、母オーゼを看取ります。これも組曲の中で有名です。
(第4幕)
第13曲「朝の気分」(第1組曲、第1曲)
第4幕への前奏曲で、放浪を続けるペールが、アフリカのモロッコの海岸で迎える朝の場面です。組曲の中でも最も有名な曲です。
第14曲「盗賊と密売者」
盗賊と密売者が交互に歌う、短い歌です。ほとんど抑揚のない、同じ音による「語り」のような歌です。
ペールは、彼らの盗品を横取りし、それを持ってアラビアに向かいます。
第15曲「アラビアの踊り」(第2組曲、第2曲)
エキゾチックな曲で、トルコ風の打楽器やピッコロが活躍します。舞台版では、中間部に女声二部合唱と独唱(アニトラ)が加わります。
第16曲「アニトラの踊り」(第1組曲、第3曲)
アラビアの女アニトラが、ペールを誘惑して踊ります。アニトラは、ペールを誘惑して全財産を奪います。
第17曲「ペール・ギュントのセレナーデ」
ペールのアニトラに対する愛の歌です。バリトン独唱。
第18曲「ペール・ギュントとアニトラ」
ペールと財産目的のアニトラとの諍いで、ペールは全財産を取られてしまいます。
場のつなぎのような音楽です。
第19曲「ソルヴェイグの歌」(第2組曲、第4曲)
組曲でも有名な曲。
舞台版では、ペールの夢の中に出てくる場面で、ソルヴェイグ役のソプラノ歌手が舞台裏で歌います。
第20曲「メムノン像の前のペール・ギュント」
第4幕の最終場面、アラビアからエジプトに行った場面への導入のためのラルゴの音楽で、弦楽とホルンとによって演奏されます。
(第5幕)
第21曲「ペール・ギュントの帰郷」(第2組曲、第3曲)〜「海の嵐の夕方」
今度はカリフォルニアで金鉱を掘り当てたペールが、意気揚々と故郷に戻る途中、嵐にあって難破します。激しい嵐の場面で始まり、不穏な風が吹きすさびます。難儀な航海であることが示されます。
第22曲「難破」 嵐の中で船は難破、命からがら陸にたどり着きますが、全財産を失います。
第23曲「小屋でソルヴェイグが歌っている」
故郷の小屋では、ペールの帰りを待ちわびるソルヴェイグが歌っています。
第24曲「夜の情景」
ペールの周りには森の不気味な魑魅魍魎が集まって来て責めます。ウェーバーの「魔弾の射手」の「狼谷の場面」をほうふつとさせる音楽です。
「オーゼの死」の主題で、オーゼの最期のときの戒めの言葉も聞こえて来ます。
第25曲「ペンテコステ(聖霊降誕祭)の賛美歌「祝福の朝なり」」
村人たちが聖霊降誕祭の教会で歌う讃美歌です。無伴奏による合唱で歌われます。
第26曲「ソルヴェイグの子守唄」
ソルヴェイグのもとに戻ったペールは、ソルヴェイグの歌う子守唄(ゆりかごの歌)を聴きながら昇天します。
最後にソルヴェイグの歌う子守唄に讃美歌が重なり、静かに幕を閉じます。
全曲盤
組曲版のCDははいろいろと出ているので、ここでは全曲版(ほぼ全曲の抜粋版も含む)をご紹介しておきます。
ブロムシュテット/サンフランシスコ響/語り・歌入り抜粋盤(26曲中20曲)
4.抒情小曲集
グリーグの愛すべきピアノ曲集です。ある意味で、私の中では、グリーグの最高傑作かもしれません。
ピアノ協奏曲を作曲する1年前の1867年から、死の直前の1901年(20世紀!)まで、第1集から第10集まで、合計66曲の小品を一生の間書き続けました。
日々のささやかな喜怒哀楽を綴るとともに、ノルウェーの民族音楽の踊り「ハリング」(速い2拍子)、五度のオスティナートが伴奏する3拍子の「スプリンガル」を何曲も作曲しています。また、妖怪である「トロルの行進」や「小さなトロル」といった曲、恩師ニールス・ゲーゼの死に寄せた「ゲーゼ」など、様々なタイトルのついた佳曲ぞろいです。
第5集・作品54のうち、4曲をグリーグ自身が管弦楽に編曲して、「抒情組曲」作品54としています。はっきり言って、管弦楽版よりもピアノ独奏の方がずっと魅力的です。
そして、最終の第10集では、グリーグ自身もこれで筆を置くと悟ったのでしょうか、最終曲である第7曲目は、第1集第1曲の「アリエッタ」(4拍子)の旋律を洒落た3拍子のワルツにして、最後は静かなフェルマータで終えて、タイトルも「余韻」としました。
第1集・作品12
1867年、グリーグ24歳の作。
8曲からなり、第1曲「アリエッタ」は最終第10集の最終曲「余韻」に再現されています。
第2集・作品38
1883年、グリーグが作曲家として成功した後の40歳の作。
8曲からなります。
第3集・作品43
トロスドハウゲンに住むようになった後の1886年、43歳の作。
6曲からなり、第1曲「蝶々」、第6曲「春に寄す」などが含まれます。
第4集・作品47
1888年、45歳の作。
7曲からなります。
第5集・作品54
1891年、48歳の作。
6曲からなり、最初の4曲「羊飼いの少年」「ノルウェーの農民行進曲」「トロルの行進」「夜想曲」は、管弦楽に編曲されて「抒情組曲」作品54となっています。
第6集・作品57
1893年、50歳の作。
6曲からなり、第2曲は師ニールス・ゲーゼ(1817〜1890)の思い出として「ゲーゼ」と名付けられています。
第7集・作品62
1895年、52歳の作。
全6曲からなります。
第8集・作品65
1896年、53歳の作。
全6曲からなり、第6曲「トロルドハウゲンの婚礼の日」が特に有名です。初めて聴いたときに、思わず「おっ」と惹かれた曲です。
第9集・作品68
1899年、56歳の作。
全6曲からなります。
第10集・作品71
1901年、58歳の作。
これがこの曲集の最終集となる心づもりだったのでしょう。全7曲からなり、第1曲「昔々」、第3曲「小さなトロル」、第6曲「過去」など、自分の人生を振り返るような曲が並びます。そして、最終第7曲が「余韻」。第1集の第1曲「アリエッタ」をワルツにして出発点に回帰して、最後は「フェルマータ」でそれこそ余韻を残して幕を閉じます。
CDとしては、全66曲から抜粋したものが多く、選曲にもそのピアニストの個性や主調が反映されるようです。
私が聴いているのは、作曲者と同じノルウェー出身のピアニスト、ホーカン・アウストボの全集です。このピアニストは、音がとてもきれいで、この曲集向きだと思います。
ゲルハルト・オピッツのグリーグ・ピアノ曲全集にも全曲が収められています。
抜粋では、ロシアの巨匠エミール・ギレリスも愛していたようです。
現時点ではこの人、ノルウェー生まれのピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスでしょうか。
5.その他
(1)組曲「ホルベアの時代から」作品40
グリーグの曲の中で、好きな曲です。原曲はピアノ曲の組曲「ホルベアの時代から」で、これをグリーグ自身が弦楽合奏用に編曲したのが有名です。短縮して「ホルベルク組曲」とも呼ばれます。
タイトルとなっている「ホルベア」とは、ノルウェーの作家者ルズヴィ・ホルベア(1684年〜1754年)のことで、生誕200年の記念行事用に1884年にピアノ曲を作曲し、翌1885年に弦楽合奏用に編曲しています。元がピアノ曲とは思えない、卓越したアレンジとなっています。
ホルベアの生きた時代を模して、バロック組曲として、「プレリュード」「サラバンド」「ガヴォットとミュゼット」「アリア」「リゴードン」から成ります。
(2)ヴァイオリン・ソナタ
3曲のヴァイオリン・ソナタを作曲していますが、いずれも清楚なたたずまいの中に情熱と民族性を秘めた佳曲です。特に第3番が有名か。
(3)「2つの悲しい旋律」作品34
弦楽合奏用の小品ですが、「2つの歌曲」(作品33-3, 33-2)を編曲したものです。
(4)交響曲
グリーグは、コペンハーゲンでニールス・ゲーゼに師事している間の1863〜64年(20〜21歳)に交響曲の3つの楽章を書き、何回か演奏でも取り上げましたが、1871年にスヴェンセンの交響曲第1番の初演を聴いたグリーグは、自分の交響曲はドイツ的であることを理由に撤回して、その後2度と演奏も出版もすることはありませんでした。
時代的には、ブラームスの交響曲第1番が1876年、チャイコフスキーの交響曲第4番が1877年に完成していますから、それらと同時代の作曲です。
未亡人の元に残された手稿譜は、1981年になってようやく蘇演・出版されました。封印されてから110年後のことでした。
曲は、ゲーゼの指導もあってか、メンデルスゾーンやシューマンの雰囲気を漂わせた堂々としたものです。