カリンニコフは、世代としてはマーラー(1860〜1910)、ドビュッシー(1862〜1918)、リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)、シベリウス(1865〜1957)などと同じで、サティ(1866〜1925)と同い年ですが、早世したために残した曲も少なく、演奏される曲、聴かれる曲はごくわずかです。
交響曲第1番は、その中では最近やや演奏されるようになってきました。
ということで、今回はカリンニコフについて少しだけ。
ヴァシリー・セルゲイエヴィチ・カリンニコフ(1866〜1901)
Vasily Sergeyevich Kalinnikov
1.カリンニコフの生涯
カリンニコフは、1866年の帝政ロシアの時代に、モスクワとキエフの中間に位置するオリューリという田舎の貧しい警吏の家に生まれました(文豪ツルゲーネフと同郷ということらしい)。
18歳でモスクワ音楽院に入学するも学費が払えずに数ヶ月で退学し、音楽の普及や振興のために設立されたモスクワ学友協会の音楽学校に奨学金を得て通いながら、オーケストラでファゴットを演奏していたといいます。苦学生だったのですね。
在学中から、同郷のツルゲーネフの詩に曲を付けたり、オーケストラ曲を作曲していました。
1892年(26歳)の頃に、チャイコフスキーに認められ、モスクワのマールイ劇場の指揮者に推薦されて就任しましたが、翌1893年に結核であることが分かり、気候の温暖なクリミア半島のヤルタで療養しながら作曲を続けることになりました。
療養地ヤルタで1894〜95年にかけて作曲されたのが、交響曲第1番です。初演は1897年にキエフで行われていますが、カリンニコフ自身は聴きに行けなかったようです。
この曲は、ラフマニノフなどの尽力により、1900年にモスクワの出版社から刊行され、経済的な支えになったようです。
カリンニコフは、さらにヤルタで1895〜97年に交響曲第2番を作曲しています。
しかし、療養むなしく病状が悪化し、1901年に35歳の誕生日を目前にヤルタの地で没しています。
このような生涯であったことから、代表作となった2曲の交響曲以外には、小規模な管弦楽曲、ピアノ曲、声楽曲がある程度で、2曲の交響曲も最近になって演奏されるようになった程度であり、その他の曲が演奏されることはほとんどないようです。
2.カリンニコフ/交響曲第1番の音源
この曲が聴かれるようになる契機となったと言われているテオドール・クチャル指揮ウクライナ国立交響楽団の録音(1994年)。
国際的な廉価版である「NAXOS」レーベルの隠れたベストセラーといわれています。
カリンニコフ/交響曲第1番、第2番 テオドール・クチャル指揮ウクライナ国立交響楽団
一般的な演奏ということであれば、父さんヤルヴィによる
ネーメ・ヤルヴィ指揮/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(1987年)の演奏でしょうか。上記のクチャル版に先立つ録音です。
カリンニコフ/交響曲第1番、第2番 ネーメ・ヤルヴィ指揮/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
新しいところでは、EXTON レコードの
山田和樹指揮/チェコ・フィルの演奏(2012年の録音)。
カリンニコフ/交響曲第1番、グラズノフ/交響曲第5番 山田和樹指揮/チェコ・フィル
3.スコア情報
国内版も出ています。
No.334 カリンニコフ 交響曲 第1番 ト短調 (Kleine Partitur)日本楽譜出版社 ¥2,200