マーラー 交響曲第10番 ものがたり

2004年10月24日作成
2006年6月24日 一部追加(「冥王星」付き「惑星」の新録音)


 次回の53回定期で、マーラーの交響曲10番を演奏することになりました。そこで、マーラーの交響曲第10番に関して、その生い立ちと全曲復元の試みに関してまとめて書いてみたいと思います。
 ここには、アルマ・マーラー夫人は当然として、ブルーノ・ワルター、クルシェネク、ツェムリンスキー、ショスタコーヴィチ、シェーンベルク、そしてデリック・クックといった名前が登場します。そして、その歴史とそこに携わった人たちの活動は、決して過去のものではなく、つい最近まで続いていた、そして今でも進行中だということに気付きます。
 関連する話題が出るたびに、あちらこちらに寄り道しますが、単なる無駄知識として気楽にお読み下さい。



1.マーラー第10交響曲の生い立ち
 マーラー(1860〜1911)は、交響曲第8番(一千人の交響曲)を作曲後の1907年に、5歳の長女マリア・アンナを亡くし、ウィーン宮廷歌劇場を辞職(ほとんど解職に近い)するとともに、自身が心臓病であるとの診断を受けます。災難の年でした。
 この頃、詩集「中国の笛」(李白や孟浩然といった唐の時代の漢詩のドイツ語への意訳)を知り、これをテキストに1908年に9つ目の交響曲を完成します。マーラーは、ベートーヴェンや先輩ブルックナーが第9交響曲で他界したというジンクスに恐れを抱いていたという話は有名で、そのため、この交響曲には番号を振らず「大地の歌」という表題交響曲にしました。
 「大地の歌」は、この当時の厭世的な心情を反映して、特に最終第6楽章では「告別」「別離」がテーマとなっています。

 とりあえず第9番のネーミングを避けたものの、翌1909年には、さらにもう1曲の交響曲が完成してしまい、これを第9番と命名せざるを得ませんでした。この第9番も、「大地の歌」路線を踏襲した「告別の交響曲」です。第4楽章(フィナーレ)はアダージョで、最後は昇天するように消えていきます・・・。
 小澤征爾氏が、ウィーンに赴くためにボストンを去る最後の演奏会でとりあげたのも、マラ9でした。(この最後の消え入る場面で、咳払いが多いのには興ざめ・・・)

 告別の交響曲である第9番を世に出した直後から、マーラーは第10交響曲に着手します。しかし、全5楽章のピアノスケッチと第1楽章のオーケストレーションを終えたところで、マーラーは51歳の誕生日を待たずに他界します。やはり、第9番のジンクスは破れなかった・・・。
 残された第10番の第1楽章「アダージョ」は、第9番のフィナーレの「アダージョ」とうり2つの雰囲気をもっています。「大地の歌」、第9番に続き、この世への告別に満ちた音楽・・・。(この厭世的な雰囲気は、人生への諦念というよりも、長女の夭逝後不倫に走った妻アルマ(注1)に抱いていた諦念かもしれません・・・)
 しかし、完成された第10番全体を聴いてみると、この世への告別とあの世への憧れ、といった「大地の歌」や第9番と違って、この第10番には不条理を乗り越えようという意思や生きようという執念が感じられます。第9の壁を越えたマーラーは、アルマとの関係を修復して、新たな再出発への意欲を持っていたのではないか・・・。

 この辺のマーラーの作曲過程は、マーラーの伝記や、CDの解説、いろいろなサイトに詳しく載っていますので、そちらを参照して下さい。

(注1)恋多きアルマ夫人について
 アルマ夫人(1879〜1964)が、マーラー存命中から、建築家ヴァルター・グロピウスと不倫仲にあったことは有名で、これで精神的ダメージを受けたマーラーは、ウィーンの精神分析医フロイトの診察を受けています。「大地の歌」、第9番、そして第10番という厭世的な晩年作品は、こういった精神状態だったからこそ生まれた、という逆説的な言い方もできるでしょう。(満ち足りた精神状態だったら、これらの傑作は生まれなかった?)

 このアルマは、若い頃から美人で知的な女性だったようで、マーラーと結婚する前には、画家のクリムトや、作曲家ツェムリンスキーなどとの恋愛関係もあったようです。
 さらに、マーラーの死後、アルマは一時画家ココシュカ(1886〜1980)との恋愛・同棲を経て、1915年に前の不倫相手だった建築家グロピウス(1883〜1969)と再婚します。
 グロピウスとの間には、娘マノンが生まれましたが、このマノンは1935年に18歳で夭逝します。マノンを追悼して、アルマと親交のあったアルバン・ベルクはヴァイオリン協奏曲を作曲します。(20世紀の名曲!)このヴァイオリン協奏曲には「ある天使の思い出のために」という副題が付けられていますが、天使とは、もちろんマノンのことです。
(推薦盤:ベルク「ヴァイオリン協奏曲」パールマン(Vn.)、小澤/ボストン交響楽団(カップリングはストラヴィンスキー「ヴァイオリン協奏曲」
 アルマはグロピウスと離婚し、1929年(50歳!)に作家で詩人のフランツ・ヴェルフル(1890〜1945)と再婚します。芸術家にインスピレーションを与え続けた恋多き人生・・・。アルマは第2次大戦前からアメリカに住み、1964年にニューヨークで85年の生涯を終えます。

 アルマが書いたマーラーの評伝は、自分に都合の悪いところを隠して多分に美化している、とも言われますが、人生の伴侶として最も近くにいた人の生々しい記録であり、マーラーに興味のある人には必読でしょう。
「グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想」アルマ・マーラー・ヴェルフル著、石井 宏・訳(中公文庫)中央公論社

 なお、アルマとかかわりのあったココシュカや、後述する第10番の復元に関連したクルシェネクが、意外とつい最近まで生きていた、ということに驚かされます。



2.第10交響曲の全曲完成への道
 未完成に終わった第10は、直弟子であったブルーノ・ワルターが公表したり手を加えることに反対したことから、草稿が未亡人アルマの手に残されました。

(1)第1の完成のチャンス
 1923年になって、音楽学者リヒャルト・シュペヒトの勧めで、手書稿の写真版が出版されました。また、アルマ夫人は、マーラーとの間の次女アンナ・ユスティーネと結婚していた作曲家エルンスト・クルシェネク(注2)に、比較的完成に近い形で残されていた第1、第3楽章の補筆完成を依頼しました。こうして、第1,3楽章のクルシェネク版が完成し、1924年にフランツ・シャルク(注3)指揮ウィーン・フィルによって初演されました。(作業にはツェムリンスキーやシャルクも加わった)
 1924年中に、メンゲルベルクがオランダ初演、クレンペラーがベルリン初演、ツェムリンスキーがプラハ初演を行いました。

(注2)クルシェネク(1900〜1991)という名前でピンと来る人は少ないかもしれませんが、2002年に小澤征爾氏がウィーン国立歌劇場の音楽監督になって初のプリミエとして取り上げたのが、クルシェネク作曲のオペラ「ジョニーは演奏する」(Jonny Spielt auf)でした。このオペラ、初演は1927年で、ジャズの要素を取り入れて人気を博しましたが、ナチスに「頽廃芸術」に指定されて演奏禁止となり、小澤征爾氏が取り上げるまで70年以上埋もれていたそうです。

(注3)指揮者フランツ・シャルクは、ブルックナーの交響曲に手を加えたことで悪名が高いですね。(でも本人はブルックナーの高弟で、師匠の交響曲が広く演奏されるようにとの善意で行った)

(2)第2の完成のチャンス
 クルシェネク版の公開で全曲完成の機運は高まりましたが、ドイツ・オーストリアではナチスが政権を握り、マーラーは社会的に葬り去られ、復元はなかなか進展しなかったようです。
 1942年には、ニューヨーク・マーラー協会会長であった音楽学者ジャック・ディーサーが、ショスタコーヴィチに完成版作成を依頼しましたが、多忙という理由で断られたようです。(この頃のショスタコーヴィチは、1936年のプラウダ批判を翌年1937年の第5交響曲で何とかかわしたものの、社会的には微妙な立場にありましたし、1941年から1943年はドイツ軍のレニングラード包囲に苦しめられている頃で、他人の、それもドイツ系作曲家の補筆完成の仕事など、引き受けられる状況ではなかったのだと思います)

(3)第3の完成のチャンス
 1949年に、アルマ夫人はシェーンベルクに会い、自筆草稿を渡して全曲の完成を依頼しました。しかし、シェーンベルクも完成は不可能、と断ったようです。

(注4)マーラーとシェーンベルク(1874〜1951)は、同時代にウィーンで活動しており、ツェムリンスキー(1871〜1941)とシェーンベルクが設立した「創造的音楽家協会」の名誉会長として、マーラーは嘲笑と非難の的であったシェーンベルクの音楽を紹介するとともに擁護したそうです。ちなみに、シェーンベルクの作曲の先生がツェムリンスキーで、アルマ夫人もツェムリンスキーに作曲を師事していました。つまり、アルマ夫人とシェーンベルクは同門の兄弟弟子だったわけです。
 さらに付け加えると、シェーンベルク夫人マチルデはツェムリンスキーの妹です。(このマチルデも、シェーンベルクの絵の先生と駆け落ちするというスキャンダルを引き起こします・・・)

(4)第4の完成のチャンス
 ここで、イギリスの音楽学者デリック・クック(1919〜1976)が登場します。クックは、マーラーの交響曲第10番の著作権を引き継いだアルマ夫人とはまったく別個のところで、完成作業に着手します。
 クックは、イギリスBBC放送の仕事をしていて、マーラー生誕100年の1960年に、記念の企画として、交響曲第10番の紹介番組を依頼されます。ラジオ番組なので、音にしないと紹介もできない、ということで、手書草稿から演奏できる形にし、第1,3,5楽章は全曲、第2,4楽章は不完全な形で、1960年12月19日にオンエアされました。(ドイツ出身の作曲家ベルハルト・ゴルトシュミット指揮のフィルハーモニア管弦楽団)

 アルマ夫人の知らないところで全曲が復元演奏されたことを聞いて、アルマ夫人は激怒し、以後再放送や補筆完成の試みを一切許可しないと通告したそうです。最も信頼するシェーンベルクにすら不可能であることが、できるはずがないと考えたようです。
 しかし、前述のニューヨーク・マーラー協会会長であった音楽学者ジャック・ディーサーと指揮者のハロルド・バーンズはクックの仕事を高く評価し、1963年4月にアルマを訪問し、BBCの放送録音を聴くよう説得しました。アルマは、全曲を聴いた後、終楽章をもう一度聴きたい言い、再度聴き終えたときに「ヴンダーバー!(すばらしい!)」とつぶやいたそうです。(なんか、映画にでもなりそうなシーン!)
 これにより、アルマ夫人は素直に考えを変え、クックの復元版の演奏に全面的な承認を与えるとともに、娘のアンナとフランスのマーラー学者ラ・グランジェ男爵が発見して所持していた未発表の草稿をクックに提供しました。クックはこれを利用して第2稿を完成し、1964年8月13日に、ゴルトシュミット指揮ロンドン交響楽団により初演されました。

 さらに、クックは、ゴルトシュミットと若いマーラー学者コリン&デイヴィット・マシューズ兄弟の協力によりクック版最終稿(第3稿)を完成しました。これは1972年10月15日にウィン・モリス指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によって初演されるとともに、1976年に出版されました(このスコアはアルマ・マリア・マーラーの追憶に捧げられている)。ちなみに、クックは1976年に他界していますが、その後マシューズ兄弟とゴルトシュミットがさらに一部修正を加え、1989年にクック版第3稿第2版が出版されています。

(注5)このデリック・クックは、この第10番の全曲完成で有名ですが、実はヴァーグナーの楽劇「ニーベルンクの指輪」のライトモチーフの分析でも有名です。ショルティ指揮ウィーン・フィルによるデッカの歴史的録音CDには、クックのライトモチーフ解説が付録として付いています。このライトモチーフ解説だけで、CD3枚分です。
 私の持っているものは、ナレーション部分を日本語に吹き替えたものですが、輸入盤ではデリック・クック自身の肉声でナレーションを聞くことができます。調べてみたら、ライトモチーフ解説盤のみの分売もされているようですので、興味のある方はどうぞ。
ワーグナー/「指輪」ライトモチーフ集(ショルティ/ウィーン・フィル、デリック・クックのナレーション)(輸入盤2枚組み)

(注6)クックを手伝ったマシューズ兄弟のうち、コリン・マシューズは、有名なホルスト作曲/組曲「惑星」の補筆完成も行っています。えっ?、「惑星」は未完成ではなく、きちんと完成していたはず・・・。
 実は、ホルストが「惑星」を作曲した当時、太陽系の最も外側を回っている「冥王星」は未発見でした。従って、ホルストの「惑星」は9個の太陽系惑星のうち、地球と冥王星を除く7曲から構成されています。
 これに、ホルスト作曲後に発見された「冥王星」を加えて完成させる、という試みを行ったのが、このコリン・マシューズです。依頼したのは、指揮者のケント・ナガノで、2000年に初演されています(2003年には日本初演もされたとか)。CD録音も出ています。(これは、英国人特有のユーモアなのでしょう・・・)
ホルスト「惑星」(「冥王星」追加版)デイヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(Naxos )

(追記:2006年6月24日)
 何と、こともあろうに、かのサイモン・ラトルが、ベルリン・フィルを指揮して、この「冥王星」追加版「惑星」を録音したそうです。(2006年3月録音)
 これで、このコリン・マシューズ補筆版が、一躍メジャーレパートリーの仲間入りをすることになるかもしれません。
 詳しくは、下記サイトをご覧下さい。
冥王星つき『惑星』他 ラトル&ベルリン・フィルの注目盤が登場!



3.第10交響曲の現状
 以上の経過から、交響曲第10番には、下記3種類およびその他の版が存在します。

(1)国際マーラー協会全集版
 最も正統的なマーラーの出版譜です。現在刊行されているマーラーの全集では、交響曲第10番は自筆原稿に基づき完成された第1楽章「アダージョ」のみが出版されています(1964年)。これは、全集を刊行したときの国際マーラー協会会長であったエルヴィン・ラッツが、補筆を認めず、クックによる全曲復元にも反対の立場をとっていたからです。
 現在でも、交響曲第10番はあくまで第1楽章だけであり、クック版は認めない、という立場の指揮者もいます。

 なお、「アダージョ」のみの演奏は、数多く出ています。通常の交響曲全集にも、このアダージョは必ず入っています。
(私の持っているテンシュテット指揮ロンドン・フィルの全集にも入っている)
マーラー「交響曲全集」テンシュテット/ロンドン・フィル(EMI輸入盤)(No.1〜9、No.10アダージョ、11枚組)

(2)クルシェネク版
 クルシェネク、ツェムリンスキーが一部加筆して完成させた第1、3楽章。1951年にニューヨークのA.M.P.から出版。
 クルシェネク版による録音はほとんど出ていません。1958年録音のジョージ・セル盤が、この版によるものです。
マーラー「交響曲第10番 1&3楽章(クルシェネク版)」セル/クリーブランド管

(3)クック版
 上述のような経過をたどってクックが完成させたもので、1976年出版の「第3稿」または1989年の「第3稿第2版」。
 なお、クック自身はこれを「第10交響曲の構想による実用版」と呼んでおり、マーラーに代わって全曲を補筆完成することではなく、マーラーによって残された交響曲第10番の構想を、音として演奏できる形にすることが目的だと言っています。
 従って、クック版の演奏を聴いてみると、マーラーの響きとしてはやや物足りなさや、これはマーラーではない、という違和感もあります。しかし、クック版の目指したものからして、それはそれで良いのだと割り切って聴くべきなのでしょう。

 最近、クック版の録音も増えてきました。
 私の持っているエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送響の全集には、マーラー協会版のアダージョと、クック版の全曲の2種類が入っています(クック版は1976年版)。
(分売版)
マーラー「交響曲第10番(クック完成版)」エリアフ・インバル/フランクフルト放送響(国内盤)
(全集版)
マーラー「交響曲全集」エリアフ・インバル/フランクフルト放送響:(No.1〜9、大地の歌、No.10が「アダージョ」版とクック全曲版の両方入っている15枚組。演奏も録音もよく、お買い得版なのでお薦めです)

 レヴァイン盤、シャイー盤も1976年版による全曲盤。
マーラー「交響曲第10番(クック完成版)」シャイー/ベルリン放送響(輸入盤)

 サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル盤(1999録音)は、1989年の第3稿第2版による演奏とのことです。
マーラー「交響曲第10番(クック完成版)」ラトル/ベルリン・フィル(輸入盤)
(ラトルには、1980年にボーンマス交響楽団と録音したクック全曲盤もありますので、お間違えのないように)

 なお、2001年にルドルフ・バルシャイ(ショスタコーヴィチと親交があった)が、ユンゲ・ドイッチュ・フィルを指揮した「バルシャイ版」のCDが出ています。私は聴いていませんが、クック版をベースに、大量の打楽器を追加したもの、とのことです。興味のある方は聴いてみて下さい。(マラ5とのカップリングの2枚組)
マーラー「交響曲第10番(バルシャイ完成版)」ルドルフ・バルシャイ/ユンゲ・ドイッチュ・フィル
 このHMVのサイトには、マラ10の全曲完成の履歴が詳しく記載されていて参考になります。

(4)その他の版
 全曲完成版としては、アルマ夫人のお墨付きを得たということでクック版が正統派と見られていますが、その他にも次のような版があるようです。各々リンク先から購入可能です。

 ・ウィーラー版(ホイーラー版)(1959年完成、1965年初演、その後も改訂されている)
    オルソン指揮ポーランド放送交響楽団(Naxos)
 ・カーペンター版(1966年完成、1983年初演)
    加筆に控えめな学術的なクック版に比べ、演奏効果的なカラフルさ、派手さを持った版とのこと。
    リットン指揮ダラス交響楽団(輸入盤)

    ディヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(交響曲全集・輸入盤)

 ・マゼッティ版(1989年完成・初演)
    ロペス・コボス指揮シンシナティ交響楽団(輸入盤)(amazon)



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