ムソルグスキー ちょっと寄り道 〜歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」〜

初版作成:2006年8月27日


 第56回定期演奏会で、ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」を演奏するついでに、ムソルグスキーの代表作・歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」にちょっと寄り道してみましょう。

 ムソルグスキーの素朴で土臭く荒削りの音楽は、洗練やアカデミズムとは対極にあるもので、不思議な魅力を持っています。
 その代表作といわれているのが、歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」です。



1.ロシア語表記と発音

 本論に入る前に、ちょっと一息。
 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」は、カタカナ表記で「ボリス・ゴドノフ」と書かれることも多いようです。確かに、日本語的には「ボリス・ゴドゥノフ」というのは発音しにくい・・・。ちなみに、「ボリス・ゴドゥノフ」とは、主人公の人名です。英語表記では " Boris Godunov " です。
 ということで、本来の発音はどうなのか調べてみました。

 オリジナルのロシア語の表記をあたってみたら、英語表記はロシア語表記をそのまま相当するアルファベットに移したものでした。ロシア語では、

 Борис Годунов   (発音としては、「バリース・ガドゥーナフ」が近いのかも)

でした。
 ちなみに、他のロシア人作曲家の表記と発音を当たってみました。ムソルグスキーなど、かなり発音のニュアンスが違っています・・・。

 ムソルグスキー= Мусоргский (ムーサルクスキィ)
 プロコフィエフ= Прокофьев (プラコーフィイェフ)
 チャイコフスキー= Чайковский (チャィコーフスキィ)
 ショスタコーヴィチ= Шостакович (シャスタコーヴィチ)



2.歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の成立過程と異稿について

 ムソルグスキーは、もともと地主出身ながら、農奴解放などで土地を失い、生活のためにペテルブルグで下級役人勤めをしていたディレッタント作曲家で、アルコール依存症により42歳で若死にしているため、完成した作品はそう多くはないようです。没後、残された作品の多くは、同じロシア5人組のメンバーであったリムスキー・コルサコフの手によって編曲・出版され、この「ボリス」もリムスキー・コルサコフの管弦楽編曲でレパートリーに残りました。そういえば、「展覧会の絵」のピアノ譜も、リムスキー・コルサコフが校訂して出版したものでした。「編曲」「改変」という功罪はあるにせよ、仲間の音楽を整理して演奏できる形で世に送り出したという意味で、リムスキー・コルサコフの功績は大きいものと思います。(同じムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」や歌劇「ホヴァンシティーナ」、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」なども同じくリムスキー・コルサコフの編曲)

 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の成立過程と演奏される版はいささか複雑なようです。
 最初にムソルグスキー自身で完成した1871年の第1稿は、プリマドンナが登場しないなどの理由で劇場から演奏を拒否されました。このため、ポーランド貴族の娘が登場する「ポーランドの場」(第3幕。有名な「ポロネーズ」はここで演奏される)を追加した第2稿を作り、ようやく1873年に抜粋版が、1874年に全曲が初演されました。(初演した場所は、当時のペテルブルグ、マリンスキー劇場。ソ連時代は「キーロフ劇場」と改称されていましたが、ソ連崩壊後また元の名称に戻り、現在ゲルギエフが音楽監督ですね)
 さらに、これ以外にも、オペラの上演に当たっては省略された部分も含むピアノスコア版も、初演前に出版されて存在します。

 ムソルグスキー没後、遺稿を整理したリムスキー・コルサコフは、ムソルグスキーの第2稿は「管弦楽法が未熟」と考え、これをオーケストレーションし直して1896年に再演・出版したのでした。この版にはかなり省略があったらしく、その後、1908年に省略部分もオーケストレーションして改訂版を出しています(これがR.コルサコフ版)。これが、当時の伝説的バス歌手・シャリアピンによって、世界的なレパートリーに押し上げられました。(シャリアピンは、帝国ホテルが考案した「シャリアピン・ステーキ」にその名を留めています・・・)

 さらに、1927年に「コーカサスの風景」で有名なイッポリトフ・イワーノフが、第1稿→第2稿の段階で削除された「聖ワシーリー教会前の広場」の場面(第4幕第1場)をオーケストレーションし直して追加し、いわゆる「ボリショイ劇場版」(R.コルサコフ/イッポリトフ・イワーノフ版)が完成して、本場ボリショイ劇場で長らく上演されてきました。

 ムソルグスキーを尊敬していたショスタコーヴィチは、R.コルサコフ/イワーノフ版に満足せず、自分自身でオーケストレーションを行なっています(ショスタコーヴィチ版、1959年初演。ただし作業を行っていたのは第2次大戦中らしい。ショスタコーヴィチには、ボリスとスターリンが重なって見えていた)。この辺の事情は、「ショスタコーヴィチの証言」にも出てきます。この中でショスタコーヴィチは、独自のオーケストレーションを施すのが目的ではなく、「ムソルグスキーは職人的な確実さに欠けていて、多くの箇所が単に不出来」との理由から、ムソルグスキーの意図を忠実に再現するため、ムソルグスキーのスコアを見ずにピアノスコアからオーケストレーションし、出来上がった結果をムソルグスキー自身のオーケストレーションと比較し、より良い方を選択したとのことです。有名な「ポロネーズ」についても、ムソルグスキーの編曲は「無惨なもの」だと言っています。

 ムソルグスキーのオリジナル初演版の再演は、結構古く1928年に行われているようです。しかし、ショスタコーヴィチのオーケストレーションの件からも分かるように、ムソルグスキーのオリジナルでは完成度が低いとみなされ、その後も実演では主にR.コルサコフ版が上演されてきたようです。
 最近、といってもソ連崩壊前後から、クラシック音楽界全体にわたる原典版志向・初演時のオリジナル志向の流れに沿って、この「ボリス」もムソルグスキーのオリジナルで演奏すべき、という流れが1つの主流になってきています。これをR.コルサコフ版などと区別する意味で「原ボリス」と呼ぶようです。この場合、一般には初演が行われた第2稿を指すようですが、上述のように、オリジナルとしては第1稿、第2稿、ピアノスコア版があるわけで、「原ボリス」といってもどことれを指すのかに注意が必要です。

 なお、言語がロシア語という特殊なもので、演じる方も見る(聴く)方もなじみにくいという事情から、現在でもロシア以外での上演はかなり少ないようです。(その意味で、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」や「スペードの女王」なども同じ運命にあります。その中にあって、カラヤンが1971年にスタジオ録音ながら全曲録音しています。カラヤンの録音はR.コルサコフ版です)
 と書いていたら、2006年4月からブリュッセルのモネ劇場で大野和史指揮の上演が始まっているようですし、2007年5月からはウィーン国立歌劇場でも上演するようです。

 私が観て(聴いて)いるのは、DVDになっている1987年のボリショイ劇場ライブ(R.コルサコフ/イワーノフ版)。ボリショイ劇場の緞帳に「ソ連」マーク(ハンマーと鎌)と「CCCP」の文字が織り込まれているのが歴史的記録です。
 DVDとしては、他にゲルギエフ/キーロフ歌劇場もあります。



3.あらすじ

あらすじ(第2稿、オリジナル初演版に基づく)

プロローグ
第1場:モスクワに近いノヴォジェヴィーチ修道院の中庭
 1598年、前皇帝フョードル1世が没して帝位継承者がいなくなり、摂政で実権を握っていたボリス・ゴドゥノフが、帝位継承者であったフョードル1世の異母弟ディミトリーを暗殺したと噂されているという暗黙の了解のもとに始まる。
 ボリスは、帝位を固辞してモスクワ郊外の修道院に隠棲している。修道院の前では警官が民衆に「ボリス・ゴドゥノフを皇帝に」と連呼するよう強制している。ボリスは、民衆による皇帝即位の嘆願に答えるという大義のもと、即位を受け入れる。

第2場:モスクワのクレムリン広場
 民衆は、帝位に就いたボリスを歓呼する。戴冠式を執り行い、新皇帝となったボリスが姿を現し、不安を抱えつつも歓呼の声に答える。

第1幕
第1場:老僧ピーメンの部屋
 深夜の僧院で、老僧のピーメンがロシアの年代記をつづっている。彼は、皇帝ボリス・ゴドゥノフによるディミトリー暗殺と皇位奪取の物語を最後にこの年代記が終わると言う。傍らに寝ていた若い修道僧のグリゴリーは、ディミトリーが生きていたら自分と同年齢だったことを聞き、ある計略を思いつく。そして、人々に恐れられるボリス・ゴドゥノフといえども、神の裁きを免れることはできないとつぶやく。

第2場:リトアニア国境の宿
 異端的な言動から修道院を脱走したグリゴリーが、乞食僧ヴァルラームとミサイルとともに国境近くの宿にたどり着く。宿の女将は、モスクワからの逃亡者を捕らえるために国境では厳しい検問が行われていると言い、抜け道を教える。そこに、グリゴリーの逮捕状を持った警吏が現れる。文盲の警吏はグリゴリーに書面を読み上げさせ、グリゴリーはとっさに人相書きをヴァルラームに似せて読み上げるが、不審に思ったヴァルラームは自分でたどたどしく人相書きを読み上げ始め、グリゴリーは窓から逃亡する。

第2幕:クレムリン宮殿の皇帝の居間
 皇帝ボリスの娘クセーニャが、亡くなった婚約者をしのんで泣くので、乳母と弟フョードルがひょうきんな歌で慰める。ボリスが現れて娘を慰め、息子フョードルに最高権力を得た今の気持ちを歌って聴かせる(ボリスのモノローグ)。しかし、ボリスは、ディミトリー殺害の罪の意識から、良心の呵責にさいなまれている。
 主席書記のシュイスキー公爵がやって来て、リトアニアにディミトリーと名乗る若者が現れ、ポーランドの王族が彼を担いで進撃して来ると伝える。ボリスはシュイスキー公爵に死んだのが間違いなく幼いディミトリーであったことを確かめるが、死体の生々しい場面の報告を聞くうちに心理的に圧迫され、大時計の音に恐怖をつのらせ錯乱状態となる。

第3幕(いわゆる「ポーランドの場」。第3幕は第2稿で追加され、第1稿にはない)
第1場:マリーナの部屋
 リトアニアのサンドミルにあるポーランド貴族の城。ポーランド貴族の娘マリーナは、グリゴリーが偽ディミトリーだと知りながら、ロシア皇后になる野心から結婚をもくろむ。
 そこにイエズス会の高僧ランゴーニが現れ、カトリックをロシアに広めるもくろみから、グリゴリーをロシア正教からカトリックに改宗させるようマリーナに迫る。

第2場:噴水のある庭
 城内の庭にグリゴリー(偽ディミトリー)がやって来る。イエズス会の高僧ランゴーニは、マリーナが彼を愛していることを告げる。そこにマリーナと貴族たちがやって来てポロネーズに打ち興じ、間もなく去って行く。マリーナは、グリゴリーにロシア皇帝になる気があるのかと迫る。恋に酔って目的を忘れていたグリゴリーは、マリーナを手に入れるためボリスを打ち負かす決心を取り戻す。二人は、二枚舌の愛を告白しあう。

第4幕
第1場 クレムリン宮殿の広間(ボリスの死)
 貴族たちが、グリゴリー(偽ディミトリー)が率いる反乱軍の対処を議論しているところに、シュイスキー公爵が皇帝乱心の報を告げる。幻影にとりつかれた皇帝ボリスが現れる。策略を抱くシュイスキー公爵は老僧ピーメンを呼び、ピーメンがディミトリー皇子にまつわる夢の話をすると、ボリスは罪の意識から再び錯乱する。死を予感したボリスは、息子フョードルを呼び、国を託して別れを告げる。教会から葬送の鐘の音が響きわたり、ボリスは錯乱の中で息を引き取る。

第2場 モスクワ近郊のクロームイの森(革命の場)
 農民や暴徒に捕らえられた貴族がなぶりものにされている。乞食僧ヴァルラームが現れて、新皇帝にディミトリーを迎えようと扇動する。そこに偽ディミトリー(グリゴリー)が率いる軍隊が通りかかり、民衆を従えてモスクワへと進軍して行く。  白痴と呼ばれる聖愚者が現れ、巡り来るロシアの暗黒時代を予言する。

 
(注)R.コルサコフ版では、上記第4幕の2つの場が順序を逆転し、「第1場:モスクワ近郊のクロームイの森」「第2場:クレムリン宮殿の広間(ボリスの死)」となっており、ボリスの死で幕を閉じることになります(第2稿初演版では、上記のように民衆の蜂起とロシア暗黒時代の予言で幕が閉じており、「民衆」に焦点を当てているのに対し、R.コルサコフ版はボリス個人のみに焦点が当たり、意味合いが大きく異なる)。さらに、ボリショイ劇場版では、その前の第4幕の最初に、第1稿にあって第2稿で削除された下記の「第1場:聖ワシーリー教会前の広場」がイッポリトフ・イワーノフ編曲で挿入されることもあります。
 この辺の構成に関しては、ロシア革命前・革命後の政治的な背景もあるようです(R.コルサコフ版が成立したのは、革命前の帝政ロシア時代・・・)。ショスタコーヴィチは、スターリンがこのオペラを気に入っていて、よくボリショイ劇場に見に行っていたという事実に対して、何がスターリンを惹きつけたのか疑問を呈しています。ショスタコーヴィチには、クレムリンの主スターリン=ボリスと映っていたのに、スターリン自身は自分を民衆の側とみなしていたのでしょうか・・・。

ボリショイ劇場版の第4幕・第1場:聖ワシーリー教会前の広場
 農民たちがディミトリーの進軍とボリス軍の敗走を噂している。白痴と呼ばれる聖愚者が現れて子どもたちにいたぶられる。教会から出てきた皇帝ボリスが何事かと尋ねると、白痴は「銅貨を奪った子どもたちを殺すよう命じてくれ、お前が幼い皇子を殺したように」と答える。驚いたシュイスキー公爵は白痴を捕らえよと命ずるが、ボリスはこれを制止し、白痴に向かって自分のために祈ってくれと言う。白痴は、「ヘロデ王のためには祈れない、聖母様はお許しにならない」と答える。



4.ムソルグスキー特有の「鐘」のモチーフ

 ムソルグスキーの曲に何故か共通に立ち現れるのが、教会の「鐘」のモチーフ。「展覧会の絵」の「キエフの大門」にも現れます。「キエフ大門」の場合は、原曲のピアノで聞いても、ここは教会の鐘だということがはっきり分かります(その直前が、ロシア正教の聖歌風コラールなので)。
 よく「展覧会の絵」と同じCDにカップリングされている歌劇「ホヴァンシティーナ」前奏曲(「モスクワ河の夜明け」などというロマンチックな題名も付いています)の中にも「鐘」のモチーフが登場します。この曲、オーケストレーションはR.コルサコフで、ラヴェル編曲の「キエフの大門」とはかなりイメージが異なりますが、「鐘」であることは疑いの余地はありません。

 「ボリス」にも、第1幕・第2場のクレムリン広場の場面で、鐘のモチーフがはっきりと現れます。
 さらに、「第4幕・第1場:クレムリン宮殿の広間」でのボリスの死の場面にも、葬送の「鐘」が鳴らされます。
 R.コルサコフ編曲のものは、「ホヴァンシティーナ」前奏曲とよく似ています。



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