リムスキー=コルサコフのちょっと寄り道 〜リムスキー=コルサコフの交響曲〜

2013年 5月 9日 初版作成


 リムスキー=コルサコフの作品は、便宜上2つのグループに分けられる〜「非常によく演奏されるもの」と「ほとんど知られていないもの」〜といわれています。
 リムスキー=コルサコフは近代管弦楽法の大家として有名ですが、実は、通常レパートリーとして演奏される管弦楽曲は極めて少なく、交響組曲「シェエラザード」を除くと、

  「スペイン奇想曲」 作品34 (1887)
  序曲『ロシアの復活祭』 作品36 (1888)

ぐらいではないでしょうか。

 管弦楽法の腕の見せ所として代表的なものは、いわゆる「交響曲」です。リムスキー=コルサコフには3曲の「交響曲」がありますが、何故かしら「ほとんど知られていないもの」の方に分類されます。
 ここではそれを取り上げてみましょう。

リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)



1.はじめに

 リムスキー=コルサコフ(ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ: Николай Андреевич Римский-Корсаков、1844〜1908)には、番号付きの交響曲が3曲あります。
 いずれも、初期に作曲され、円熟期に改訂された、という経緯があります。

  交響曲No.1 Es-moll 作品1 (1861〜65作曲/1884改訂)
  交響曲No.2 「アンタール」 作品9 (1868作曲/1897改訂)
  交響曲No.3 C-dur 作品32 (1866〜73作曲/1886改訂)

 ここで、交響曲の作曲・改訂や、代表的な管弦楽曲を年代順に並べてみましょう。

  交響曲No.1 Es-moll 作品1 (1865)
  音画「サトコ」 Op.5(1867年)
  交響曲No.2 「アンタール」 作品9 (1868)
  交響曲No.3 C-dur 作品32 (1873)

  交響曲No.2 「アンタール」 の改訂(1875)
  交響曲No.1 の改訂(改訂によりEs-moll→E-moll)(1884)
  交響曲No.3 の改訂(1886)
  「2つのロシアの主題による幻想曲」 ロ短調 作品33(Vn.と管弦楽) (1886〜87)
  「スペイン奇想曲」 作品34 (1887)
  交響組曲「シェエラザード」作品35 (1888)
  序曲『ロシアの復活祭』 作品36 (1888)
  交響曲No.2 「アンタール」の改訂(交響曲→交響組曲)(1897)
  サルタン皇帝の物語のための音画 作品57(1899) (オペラより編曲)

 こうして見てみると、作品32(1873)から作品33(1886)までが、異様に空白であることに気付きます。(13年間も!)
 1873年は、それまで兼業であった海軍を辞め、音楽に専念するようになった年にもかかわらず、です。どうやら、1871年(27歳)にペテルブルク音楽院の教授に任命されたことから、専門知識不足を痛感してアカデミックな勉強に忙しくなり、未熟さを痛感して作曲しなかった、ということのようです。
 そのため、ブランク期間の後半には、次の新しい作品を作曲するよりも先に、まず既作の交響曲を改訂することに注力しているのです。

 これら交響曲の改訂を通じて、ようやく管弦楽法に自信を持ったのでしょうか、1887年(43歳)から1888年(44歳)にかけて、代表作となる管弦楽曲を作曲します(といっても作品34〜36の3曲ですが)。
 また、これと並行して、1881年に亡くなったムソルグスキー、1887年に亡くなったボロディンの残した作品の出版のための補筆やオーケストレーションも開始します。(ムソルグスキーの「禿山の一夜」(1886)、歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」(1896/1906)や「ホヴァンシチナ」(1886)、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」(1890)など)

モデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー(1839〜1881)

アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(1833〜1887)

 しかし、これらの大仕事を成し遂げた後は、以降、大規模な管弦楽曲は作曲していません。ほとんどオペラと歌曲だけで、管弦楽曲はわずかにオペラや民謡の編曲程度です。

 こうやって眺めてみると、「管弦楽法の大家」とは、理論書である著書「管弦楽法原理」や数曲の管弦楽曲、弟子たち(プロコフィエフ、グラズノフ、ストラヴィンスキー、レスピーギなど)の活躍、同僚作曲の作品の編曲や補筆の功績に基づく称号のようで、作曲家としての実績としては作品が少なく、この称号には看板倒れの感があることも否めません。

(注) リムスキー=コルサコフ著「管弦楽法の原理」について
 最初に書かれたのは1873年ですが出版はされず、初版の出版はリムスキー=コルサコフ没後の1913年のようです。IMSLPにあるロシア語のPDFファイルは、モスクワで1946年に出版された版のようです。ここで英語版も入手できます。
 これによると、作曲者没後、未完成で残されたものを、弟子で娘婿のマキシミリアン・シテインベルグ(1883〜1946)が1912年に完成させたとのこと。

日本語版は、かつて下記が出版されていたようですが、現在は絶版です。

「管絃楽法原理」ニコライ・リムスキーコルサコフ著/マキシミリアン・シテインベルク編纂/小松清訳
創元社 昭和14年 作曲家理論叢書
B5版ハード二分冊338頁 共函




 現在出版されていませんが、東京文化会館・音楽資料室にあるようです。

 なお、英語版であれば、現役でDover版が入手可能なようです。

 

2.交響曲を聴いてみよう!

 では、実際に交響曲を聴いてみましょう。

(1)交響曲第1番

 まだ海軍在籍中の1861〜65年(17〜21歳)に作曲されました。
 海軍兵学校を卒業した1861年の11月に、リムスキー=コルサコフはバラキレフを紹介され、そのグループに加わります。バラキレフはリムスキー=コルサコフがそれまでに書き溜めていた曲を褒めちぎり、さらに書き続けて交響曲に仕上げるように激励したそうです。バラキレフの助言を容れて、リムスキー=コルサコフは交響曲の作曲を続けました。
 1862年にロシア帝国海軍によって、士官候補生として3年がかりの世界一周の遠洋航海に出されるまでに、第1楽章とスケルツォ楽章、フィナーレが完成していたようです。緩徐楽章はイングランドに上陸中に作曲し、船旅に戻る前にその総譜をバラキレフの許に郵送しました。
 1865年にサンクトペテルブルクに戻るや否や、バラキレフは交響曲の改作を指示した。リムスキー=コルサコフは交響曲の改作を行って完成させました。
 この交響曲は、1865年12月にバラキレフの指揮により初演されました。これはチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」(1866年)に先立っています。五人組の一人で音楽評論家のキュイは、リムスキー=コルサコフの交響曲第1番を指して「ロシアで初の交響曲」と賞賛したとか。(実際には、ペテルブルグ音楽院を創設したアントン・ルビンシテイン(1829〜1894)が作曲した交響曲第1番(1849)、第2番「大洋」(1855)のほうが先ですが、五人組に言わせると、これは「ロシアの」交響曲ではないということらしい)

ミリイ・アレクセエヴィチ・バラキレフ(1837〜1910)


ツェーザリ・アントノーヴィチ・キュイ(1835〜1918)

アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン(1829〜1894)

 この曲の成功により、リムスキー=コルサコフの作曲家としての道が定まったようです。

 ただし、1871年にペテルブルク音楽院の教授に任命された後、この交響曲を「恥ずかしい作品」と思うようになったようです。その結果として、リムスキー=コルサコフは1884年にこの交響曲を徹底的に改訂し、交響曲の調性そのものを変ホ短調からホ短調に移調するとともに、緩徐楽章とスケルツォ楽章の順序も入れ替えました。前に述べたように、他の曲を作曲するよりも、この交響曲の改訂を優先させたようです。
 全体として、そこそこ魅力的な部分はあるものの、やはり「習作」の域を出ない出来栄えかな、というところです。管弦楽法としては、そこそこ熟達はしているものの、「並み」という感じです。
 改訂版では、以下のように伝統的な4楽章制度を採っています。

第1楽章 Largo assai - Allegro ホ短調

 序奏を持つソナタ形式。ちょっとシューマンを思わせる序奏、主部への移行部と第1主題開始部分はまるでメンデルスゾーン。クラリネットに出る第2主題は、ロシア的でなかなか美しいものです。型どおり提示部を繰り返し、展開部に入ります。
 展開部の後に、型どおりの再現部。第2主題はホルンが演奏します。
 その後に、明るく華やかな、やや長めのコーダに転じて終結します。
 終始テンションが高くてにぎやかですが、緩急のバランスも欲しいところ・・・。。

第2楽章 Andante tranquillo ハ長調

 まるで、チャイコフスキーのバレエ音楽を思わせる緩徐楽章です。始め、スケルツォを第2楽章にしていたようですが、改訂時に緩徐楽章と順序を交換して一般的な形に戻したようです。
 中間に、3連符を伴うやや暗めの部分をはさみ、これに最初のテーマが絡んで優雅に幕を閉じます。

第3楽章 Scherzo: Vivace- Trio  ホ短調

 緊張感の高いスケルツォと、憂いに満ちた(しかし弛緩はせず緊張感は高い)2拍子のトリオからなる三部形式。最後にコーダが付きます。

第4楽章 Allegro assai ホ長調

 コーダを持つソナタ形式。全体を通して華やかな舞踏会を思わせる3拍子で、まるで、バレエのフィナーレを思わせる雰囲気です。交響曲のフィナーレでなくとも、単独の演奏曲にもなりそうです。
 最後は、トランペットが華やかなきざみを吹き鳴らし、華麗に幕を閉じます。
 

(2)交響曲第2番「アンタール」 (あるいは 交響組曲「アンタール」)

 1868年に作曲されましたが、後に1875年に改訂され1880年に出版しています。その後、リムスキー=コルサコフは1897年に大幅に改訂し、タイトルも「交響組曲」に改めていますが、出版社は全てを受け入れず、部分的な改訂で1903年に出版してしまったようです。最終的に作曲者の意図に忠実な内容として出版されたのは作曲者没後で、娘婿であるシテインベルグの編集によるものだそうで、これを「1897年版」と呼ぶようです。
 従って、1903年の出版譜が最終稿ではなく、「1897年版」と呼ばれるものが事実上の最終稿とみなされているようです。

 この改訂で、作曲者は、この曲が交響曲としての形式を満足しないと考えたからか、「アンタールは交響曲ではない」として、「交響組曲」として、第2番は欠番にしたようです。従って、作曲者の意図を尊重すれば、少なくとも1897年版を使う限りは、アンタールの正式名称は「交響組曲」とするのが適切なようです。(ただし、現在では「アンタール」を交響曲第2番と呼ぶのが通例)

 曲は4つの楽章からなり、6世紀アラビアの詩人アンタール(アンタラ・イブン・シャッダード、Antara Ibn Shaddad)の見る夢と、彼が夢の中で実現を約束される3つの願望を表しています。「シェエラザード」同様、リムスキー=コルサコフ好みの東洋趣味あふれた作品です。

 「シェエラザード」同様に、ストーリーを持った音楽絵巻として楽しめますが、「シェエラザード」の華麗さ、完成度からすると、「二流」の感はまぬかれません。もっと演奏される機会があってもよいかな、と思いますが。



標題のあらすじ
 アンタールとは6世紀に生きたアラビアの詩人で、現世をはかなんでパルミラの廃墟に隠遁していた。ある日、夢の中に一頭のカモシカが現れ、大きな鳥がそれを狙っている。アンタールは槍を投げつけて鳥を追い払い、カモシカを救う。カモシカの正体は、パルミラの妖精の女王ギュル・ナザールの化身であった。
 アンタールは、女王の宮殿に招待されて、彼女から礼として「人生の3つの喜び」を贈ると約束される。(3つの喜びとは「復讐の喜び」「権力の喜び」「愛の喜び」)
 最後に、アンタールは、パルミラの廃墟でギュル・ナザールと「愛の喜び」にひたりながら抱き合い、息を引き取る。

構成

第1楽章「アンタールの夢」 Largo - Allegro - Largo - Allegretto - Adagio - Allegretto - Largo

 ファゴットの不安なハーモニーとティンパニの3連符で提示される「廃墟」の主題。次にチェロに出てくるのが、全曲を通して何度も出てくる「アンタールの主題」。
 テンポが上がりフルートの東洋風のテーマが「女王の主題」。低弦の唸りで始まる「鳥の攻撃と撃退」(ちょっとムソルグスキー風)。
 テンポが落ちて「アンタールの主題」。
 鳥のさえずりが出てきて、カモシカの駆けるような軽快なヴァイオリンのテーマと、ホルンに「アンタールの主題」が出てきてこれを追いかける。「宮殿」の情景。
 クラリネットに妖しいテーマが出てきて「女王とアンタールの会話」。
 少しだけ「宮殿」の情景。
 曲の冒頭の雰囲気に戻って「廃墟」の主題。「アンタールの主題」が出てそのままあっけなく終止。

第2楽章「復讐の喜び」Allegro - Molto allegro - Allegro - Molto allegro

 弦のうねり、とちょっと下品な金管のバカ騒ぎ。次に出てくる低弦や金管の主題は「アンタールの主題」の変形。バスドラムが大活躍。この楽章も、最後はあっけなく終止。

第3楽章「権力の喜び」Allegro risoluto alla marcia

 ほとんど吹奏楽そのものの行進曲で開始。
 中間部のチェロによる妖しいテーマは東洋風(シェエラザードの第3楽章「若き王子と王女」の雰囲気)。そこに「アンタールの主題」が出て、華やかに祝祭的になる。
 再び行進曲に戻るが、ここにも「アンタールの主題」が絡む。この楽章も、最後はあっけなく終止。

第4楽章「愛の喜び」Allegretto vivace - Andante amoroso

 鳥のさえずりで開始。「女王の主題」がコールアングレに登場。誘惑するような妖艶な主題が続く。ああ、美と安楽と癒し!
 フルートに「アンタールの主題」。
 弦楽器に誘惑の妖艶な主題。アンタールに最後の高まりが! そして人生に疲れ果てたアンタールに、女王との愛の喜びの中で最期の瞬間が。幸福に満ちた至福の瞬間・・・。
 

(3)第3番ハ長調作品32

 最初1866年に作曲されましたが、公表されたのは1873年、初演は1874年に行なわれています。
 さらに1886年に改訂されています。
 この曲も、内容としては若い頃の習作で、後に円熟した管弦楽法によって改訂されたという経過をたどります。円熟した管弦楽法により外面的・表面的にはそこそこの出来栄えですが、音楽の内容としてはやはり「二流」で、現在演奏されることはまずありませんね。

第1楽章:Moderato assai - Allegro

 ロシア民謡風の序奏で開始されます。
 アレグロの主部に変わり、第1主題は序奏の主題に基づいています。クラリネットに安らぎに満ちた第2主題が出ますが、ややロシアの憂鬱を思わせます。
 ホルンのファンファーレで展開部に入り、金管で盛り上がって再現部に突入します。
 再現部の第2主題は、提示部に比べ暗く憂鬱さが増幅しています。
 アンダンテにテンポを落としたコーダで、不安の中に幕を閉じます。

第2楽章:Scherzo:Vivo - Trio:Moderato

 いかにもロシア的な速い5拍子のスケルツォ。これはちょっとユニークです。
 トリオは、これまたロシアの憂鬱を思わせる気だるい3拍子。
 再び5拍子のスケルツォに戻りますが、今度はこの上に2拍子のオブリガートが乗ります。

第3楽章:Andante

 小市民的な安らぎを感じさせる緩徐楽章。中間部でやや盛り上がるものの、全体を通してほとんど変化なく推移し、最後で少し盛り上がるとそのまま第4楽章になだれ込みます。

第4楽章:Finale:Allegro con spirito

 第3楽章からアタッカで開始します。ソナタ形式で、第1主題はシンコペーションが特徴の祝祭的なもので、対として現れる優雅な第2主題は、第1主題を倍に引き延ばしたものです。
 展開部は短く、あっという間に再現部になります。
 再現部の後、フェルマータの何度か登場するコーダに入ります。コーダの最後では、第1楽章の第1主題も高らかに演奏され、「循環主題」のフランス式交響曲の様式を取り入れているようですが、これが作曲当初からか、改訂のときかは分かりません。
 

3.その後のこと

 第3交響曲を作曲し、満足の行く改訂(1884-86)をしたことで、リムスキー=コルサコフは、務めを果たしたと明らかに感じたようです。そして、もう二度と交響曲を書こうとは思わなかったようです。事実、「ロシアの謝肉祭」序曲を書いた1888年以降、管弦楽の大規模な作品も作曲していません。残された約20年間、リムスキー=コルサコフはもっぱらオペラ作曲家、そして教育者であったようです。
 

4.CDの紹介

 リムスキー=コルサコフの交響曲は、「シェエラザード」に比べると、「管弦楽の大家」と呼ばれる割には全くといってよいほど恵まれていません。
 私が持っているのは、ネーメ・ヤルヴィ指揮/エーテボリ交響楽団の演奏ですが、これ以外には、下記のほんの数種類の交響曲全集の録音があるだけではないかと思います。
 少なくとも、メジャーな指揮者はほとんど取り上げていません。
 

ネーメ・ヤルヴィ指揮/エーテボリ交響楽団の交響曲全集(2枚組)

ドミトリー・キタエンコ指揮/ベルゲン・フィルの交響曲全集(2枚組)

スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団の交響曲全集(2枚組)

交響曲No.1&2、アニハーノフ/サンクトペテルブルク国立響(Naxos)


交響曲No.3、アニハーノフ/サンクトペテルブルク国立響(Naxos)



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