マイケル・ティペット「我らの時代の子」 〜「水晶の夜」70周年にちなんで〜 

2008年11月10日 初版作成
2008年12月 2日 一部追加

 2008年11月 9日は、ナチス政権下のドイツで「水晶の夜」事件が起こってからちょうど70年でした。ドイツやオーストリアでは追悼集会が行なわれたとニュースが伝えています。
 「水晶の夜」事件ということで、それにちなんだイギリスの作曲家マイケル・ティペット作曲のオラトリオ「我らの時代の子」について書いてみたいと思います。
 オーケストラ愛好家は、声楽の入った曲を聴くことが少ないかもしれませんが、この曲は20世紀を象徴する名曲だと思いますので、興味があれば是非聴いてみて下さい。そのためのガイドとなれば幸いです。


1.はじめに〜「水晶の夜」とは

 「水晶の夜」(独:Kristallnacht、クリスタルナハト)とは、1938年11月9日夜から10日未明にかけて、ナチス党員・突撃隊がドイツ全土のユダヤ人住宅、商店地域、シナゴーグなどを襲撃、放火した事件です。

 事件の直接のきっかけは、その2日前の1938年11月7日に、ドイツ生まれの17歳のポーランド系ユダヤ人少年が、パリでドイツ大使館書記官を射殺した事件によるものとされます。その動機は、ドイツに住んでいた彼の両親が国外追放を強制されたことへの恨みでした(1938年10月にポーランド系ユダヤ人一万七千人に対して国外追放令が布告された)。
 ところが、ドイツ政府の宣伝相ゲッベルスは、これを国際社会のユダヤ人のドイツに対する敵対行為であると宣伝し、ドイツ人の反ユダヤ感情をあおりたてました。その結果、11月9日の夜に、ドイツのいたるところで、ユダヤ教会が焼かれ、ユダヤ人の商店が破壊され、90人の死者が出るという悲劇が引き起こされました。
 警察・消防はドイツ当局から介入を禁じられたため、無法状態となってナチスに同調した非ユダヤ系国民によるユダヤ人商店・住宅の打ち壊し・強奪が拡大したようです。破壊され砕け散った窓ガラスが月明かりに照らされて水晶のように輝いたことから「水晶の夜」(クリスタルナハト)と言われていますが、実際には殺害されたユダヤ人のおびただしい血や遺体、壊された建造物の瓦礫等で、現場は凄惨なものだったといいます。

 この事件の後、ナチスはユダヤ人の迫害を加速させていくこととなり、ドイツ国民の中にも反ユダヤ的感情が抵抗なく受け入れられていくことになります。

 より詳しく知りたい方は、歴史の本やこんなサイトを参照下さい。
 

2.ティペット作曲「我らの時代の子」と「水晶の夜」との関係

 このような国際情勢、特にドイツにおけるユダヤ人迫害に心を痛め、怒りを覚えたイギリスの作曲家マイケル・ティペットは、このユダヤ人少年による外交官殺害事件を題材として、オラトリオ形式の「我らの時代の子」(A Child of Our Time)を作曲しました。

 作曲者のサー・マイケル・ティペット(Sir Michael Tippett, 1905〜1998)は、ベンジャミン・ブリテンとほぼ同世代で、そのブリテンより20年以上も長命でした。音楽以外での共通点として、ブリテンと同じ恋愛思想を持つところ(要するに同性愛者)と、潔癖なまでの平和主義者であるところ、良心的兵役拒否者であるところがあるそうです。
 世代的には、ショスタコーヴィチやメシアンと同じ世代ですね。でも、音楽としては、保守的というか、親しみやすいというか、安心して聴けるものです。

マイケル・ティペットサー・マイケル・ティペット(1905〜1998)

 ティペットは、はじめ詩人のT.S.エリオット(1888〜1965)にテキストを依頼したそうですが、逆に自分の言葉で語るようアドバイスをもらい、自身でテキストを書いたとのことです。
 作曲は、ドイツによるポーランド侵攻の1939年からヨーロッパ全土が戦場と化した1941年にかけて行なわれ、初演は1944年3月にロンドンで行われました。
 作曲が進められた時期は、ドイツが優勢でフランス、ソ連までがドイツの占領下にあった頃であり、初演のときですら連合国側が勝利するかどうかは未知数でした(連合国軍のノルマンディ上陸は、初演後の同年6月です)。しかし、ティペットのテキストには、正義や純粋な魂は勝利するとの確信、そして「冬の時代」の中に「春」への希望が存在することが歌われています。歴史を経た今となっては既定の事実ですが、先の見えない冬の時代の真っ只中に、怒りと弾劾の激しい感情に押し流されずに、人間への信頼と希望を信じ続けていたことに感動します。その意味で、この曲は第2次大戦という人類の悲劇とそれを乗り越えてきた人類の不屈の精神を象徴する重要なモニュメントであり、後世に残すべき名曲だと思います。

(注)音楽は人を感動させますが、純粋に音楽のみで人は感動するか、と言われると、残念ながらそうではないのでしょう。その音楽に、何らかの個人的な感情移入をすることで、我々は感動することができるのです。特にこの曲のような「言葉」を伴った音楽は、その言葉が再現する人間模様の追体験による共感と、そして言葉と音楽とが呼び起こす喜怒哀楽の感情との相乗作用により、純粋な器楽による音楽に比べ、人をより深い感動に誘うのだと思います。その意味で、こう言っては何ですが、この曲の純音楽的な「できの良さ」によってではなく、テキストによって提示される歴史的事実によって、我々は感動するということなのでしょう。

 20世紀のモニュメント、と書きましたが、その悲劇は20世紀に留まらず、21世紀までも続いています。
 2001年のPROMS(イギリスで、BBCによって行なわれる夏のシーズンオフの大衆向け音楽祭。プロムナード・コンサーツを略してこう呼ぶらしい)のラストナイト(シーズンの千秋楽)が9月15日にロイヤル・アルバート・ホールで行なわれましたが、この年のラストナイトは、恒例のお祭り騒ぎ(威風堂々といった大英帝国時代の国威発揚的盛り上がり)を取りやめ、急遽バーバー「弦楽のためのアダージョ」と、このティペット「我らの時代の子」の最終部の黒人霊歌が演奏されました。そう、直前の9月11日に、ニューヨークで同時多発テロが引き起こされたためです。
 対立と復讐に明け暮れた20世紀を乗り越え、明るい希望の21世紀を迎えることを人類は希望していたはずなのに、そこには20世紀を引きずった、ある意味ではより拡大した対立と抗争が待っていたのでした。
 その意味で、この「我らの時代の子」は、現代にも明確にメッセージを伝え続けていると思います。憎悪と復讐のスパイラルを、人類の英知で断ち切らねばならない・・・。
 

3.「我らの時代の子」の内容について

 「我らの時代の子」(A Child of Our Time)は、ヘンデルの「メサイア」やバッハの受難曲をモデルとした、3部からなるオラトリオ形式となっています。第1部では、マイノリティや異端者たちの不幸を歌い、第2部では、我らの時代の子=17歳のユダヤ人少年にまつわる出来事や思いが歌われます。そして、第3部では、引き起こされた悲劇に対する終わることのない嘆きや悲しみを包む希望が感動的に歌われます。
 バス(あるいはバリトン)独唱が弁者(ナレーター)となり、テノール独唱がユダヤ人少年、ソプラノ独唱がその母、バス独唱とアルト独唱がユダヤ人少年の伯父と叔母、合唱が迫害する群集や虐げられる人々となります。

 この辺は、バッハの「マタイ受難曲」と作り方がそっくりです。
 そして、バッハの受難曲で各場面の最後に置かれるコラールの代わりに、黒人霊歌が置かれています。バッハの受難曲でも、バッハの作ではない既存のコラールを持ってきて、その場の雰囲気や感情を共有できるようになっています。これと同じ目的で、抑圧されたマイノリティの苦悩が、アメリカにおける黒人霊歌で歌われる訳です。もっとも、黒人霊歌自体も、実は迫害されたユダヤの民の歌を、黒人が同じ立場として歌っているものが多いので、突き詰めるとユダヤ人の心に行き着く、というところを作曲家は意図したのかもしれません。
 この黒人霊歌が、単純で素朴なだけに、いっそうの感動を誘います。(自作ではなく借りものではないか、という批判もあるようですが、前述のように、バッハも使っている手法です・・・)

 黒人霊歌は、巧みにその場に合ったものが選択されています。

 第1部では、特にユダヤ人に限った内容ではなく、世界全体に蔓延する不公正と、社会や国家から抑圧され、虐げられている人々について歌われます。ここに、虐げられた人々の心情として、黒人霊歌「Steal away, steal away, steal away to Jesus(イエスのもとに逃げろ)」が置かれます。

 第2部では、まず、外交官を殺害したユダヤ人少年を「我らの時代の子」として取り上げ、迫害する民衆、母親の手紙、少年の復讐心が歌われます。ここに、黒人霊歌「Nobody knows the trouble I see(誰も知らない私の悩み)」が置かれます。
 続いて、少年による外交官殺害、それに対する民衆の報復テロの場面(ここが「水晶の夜」に相当)。ここに置かれるのが、復讐に燃えた黒人霊歌「Go down, Moses(行け、モーゼよ)」。この中では、ユダヤの民を虐げるエジプト王に対し、「我が民を解き放て、さもなければお前の子を殺すだろう」とのモーゼの言葉が語られます。
 その後に、刑務所に捕らえられた少年の後悔、母の嘆き、さらには人類としての後悔が歌われます。ここに置かれるのが、黒人霊歌「Oh, by and by, I'm going to lay down my heavy load(おお、まもなく私は重荷を降ろすつもりだ)」。

 第3部では、世界はますます冷え込むが、冬の寒さは内なる暖かさで芽生えてくる種子の温床であることなど、人類の希望が歌われます。そして最後に、「The moving waters renew the earth. It is spring.(流れる水は大地を新しくする。春だ。)」と感動的に歌われたあと、黒人霊歌「Deep river (深い川)」が置かれます。ここでは、「深い川よ、私の故郷はヨルダンの彼方にある。私は越えて集いの地に行きたい。その福音の祝宴に、約束された土地に、すべてが平和であるその土地に、行きたくないのか?」と歌われ、静かに曲を閉じます。
 

 ここで虐げられた人々の共通の心情として歌われている黒人霊歌ですが、その「黒人」の立場が、自由と平等をうたったアメリカですら、公民権を得るまでにはさらに20年近くかかること(公民権法の成立は1964年)、そして、この時点では迫害される側だったユダヤ人が、第2次大戦後のイスラエル建国で逆にパレスチナ人の悲劇を引き起こすことは、この時点ではまだ誰も知る由はありませんでした。

 ということで、私は、この曲がいろいろな意味で20世紀を凝縮したような、20世紀という時代を明確に刻印した音楽だと思うのです。
 

4.「我らの時代の子」のCD

 この曲、おそらく現時点では国内盤CDは出ていないのではないでしょうか。非常にマイナーな曲だし、聴かれることの少ない「20世紀の音楽」だし、CDを出しても売れる可能性は非常に低いですから。

 ということで、手に入るのは輸入盤です。
 私は、CD初期の頃に買った、サー・ジョン・プリッチャード指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルの輸入盤CDをずっと聴いていました。1958年の演奏ですので、それほど良い音質ではありませんが、演奏はなかなか良いと思います。(録音された1958年は、この曲の初演から14年後です)
 そして、最近になって、ロンドン交響楽団の自主制作レーベルである「LSO」(London Symphony Orchestraそのままですね)から、
サー・コリン・デイヴィス指揮による2007年12月のライブ録音が出ました。アルトをドイツを中心に活躍している藤村実穂子さんが歌っています。早速買って聴きましたが、演奏も録音もなかなか良いようです。

サー・コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団&合唱団
インドラ・トーマス(ソプラノ)
藤村実穂子(アルト)
スティーヴ・ダヴィスリム(テノール)
マシュー・ローズ(バス)
2007年12月16&18日、ロンドン、バービカンホール(ライヴ)

 コリン・デイヴィスは、この曲を2003年にドレスデン国立歌劇場でもライブ録音しており、さらに1975年にはBBC交響楽団とも録音していますので、この曲への思い入れはかなり大きいようです。

サー・コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン国立歌劇場合唱団
ウテ・ゼルビヒ(ソプラノ)
ノラ・グービシュ(アルト)
ジェリー・ハドリー(テノール)
ロベルト・ホル(バス)
2003年7月7,8日、ドレスデン、ゼンパーオーパー(ライヴ)

 お聴きになるのであれば、この2つのうちのどちらかをお勧めします。

 さらに、作曲者による自演盤もあります(録音は作曲者晩年の1991年10月、バーミンガム市交響楽団・同合唱団と。Naxosから出ています)。
 


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