居眠りする大家 ヨハネス・ブラームス
歴史上の人物を診る第35回  Medical ASAHI 2012 08
ブラームスはひどいイビキと居眠りが持病だった
 ・彼の体型はでっぷり太ってあごひげをはやしていた。
・1880年演奏旅行を共にしたバリトン歌手の、ジョージ・ヘンシェルが『演奏会が終わった後、もっとも重要なのはブラームス先生より早く寝ることだ』と記載している。
・ブラームスは昼間によく居眠りをすることで有名
 ・1853年リストの演奏を聴きながら居眠りしたため、リストは以後ブラームスに会わなかった。
 ・1890年マーラーの指揮の演奏を聴きながら客席でいびきをかいて眠った。
・この症状からSAS(Sleep Apnea Syndrome)だったようだ。
・ブラームスは30才までは小柄で痩せていた
 ・師匠の妻クララに失恋したあと、肥満していった
・晩年には顔面神経麻痺、構音障害、歩行困難など症状があった
 ・SASには脳血管障害が多くみられる
・さらに若い頃は快活な青年だったが、晩年は気むずかしく、怒りっぽい老人だった。
 ・親友のバイオリニスト、ヨゼフ・ヨアヒム、外科医ビルロートと些細なことで喧嘩をしている
 ・SASでは慢性的な睡眠不足で抑鬱、易怒性がよく見られる
・彼の死因は肝臓がんだった
参考)
ヨゼフ・ヨアヒム
ヨーゼフ・ヨアヒム(ドイツ語: Joseph Joachim)、ヨアヒム・ヨージェフ(ハンガリー語: Joachim Jozsef, 1831年6月28日 - 1907年8月15日)は、ヴァイオリニスト・指揮者・作曲家。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演ヴァイオリニストとして後世に名を残している
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細

ビルロート
クリスティアン・アルベルト・テオドール・ビルロート(Christian Albert Theodor Billroth, 1829年4月26日 - 1894年2月6日)は、ドイツ出身のオーストリアの外科医。胃癌切除手術に初めて成功した。
作曲家ヨハネス・ブラームスの親友でもあった。
順天堂の3代目の堂主となった佐藤進(陸軍軍医監、のちに軍医総監)は、明治2年から7年まで、ベルリン大学でビルロートに師事し、アジア人で初めて、ドイツの医学博士号を取得した。
残胃と十二指腸の吻合法を改良したものが、現在「ビルロートI法」として知られる術法である。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
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