45歳で医の道へ、生老病死の本質問う
読売新聞 2005.5.11 夕刊「こころ」より
対本 宗訓 つしもと・そうくん
元臨済宗彿通寺派曹長1954年、愛媛県生まれ。
京都大を卒業後、京都・嵯峨の天龍僧堂で修得。
93年に臨済宗彿通等派管長に就任。2000年4月、帝京大医学部入学。同年11月、同派管長辞任。著書に「禅僧が医師をめざす理由」など。
元臨済宗彿通寺沢管長
 38歳の若さで就いた臨済宗の教団トップから、1人の医学生へ。
その劇的な転身に込められた意味を探ろうと、聴講生500人は熱心に聞き入り、質問も相次いだ。

 現在、帝京大医学部6年に在学中。入学したのは45歳の時。僧侶の父や、その仏弟子を看取った経験から、緩和ケア(終末医療)や生命倫理に強い関心を持っていた。しかし医学知識の不足から歯がゆさも感じていた。

 「症状がわかってこそ、心や魂のケアにふさわしい言葉が出てくる。僧侶にも医学の目が必要」と考えた。目指したのが、宗教と医療の橋渡し役となる<僧医>だ。

 医の倫理が問題視されるように、医師は患者の体を見て、宗教者は現実の人間の生命に関与できていない、そんな状況を打破したいとの考えだ。

 講義では「生老病死」の最前線に立ったことでの思索の深まりを感じた。生命科学は人間と他の生物に本質的な違いはないとする。

仏教も「生きとし生けるもの」の闇に隔たりを認めず「医学と仏教は深いところで共鳴している」。

 そこから、安楽死など自分で命をコントロールする「自己決定権」の考え方に疑問を投げかける。

食物連鎖で、自分の命が他の生命の犠牲の上に成り立つことがわかる。だからこそ「他の犠牲になった命の分まで一生懸命に生きよう」という考えが生まれてくる。

社会的にも、人は家族や友人と支えあって生きている。仏教で言えば「縁起」。「1人だけの命なんてどこにもない」のだから「自分で決めればいい」などとは言えなくなると説く。

 聴講した女子学生は「私がこれまで生きてきた中でどれだけの命が犠牲になっただろう。私ひとりの命とは思わないようにしたい」と言った。まったく同感だった。

 <僧医>として「主に緩和ケアに携わっていこうと考えている」と言う。死に向かう患者に学歴やキャリアは一切意味をなさず「問われるのは人間としての成熟」。
「魂を深く耕すことができていれば、自分の言葉で語りかけることができるはず」と説く。
 「なぜ今、死ななくてはならないのか」。こうした切実な問いに、いずれ「正面から向き合っていきたい」と話す。

 医学と宗教のはぎまで真摯に思索する姿勢に感銘を受けた。
私見)
しかし、キリスト教では僧医はめずらしいことではないはず。聖書「ルカによる福音書」のルカは医者と聞いているし、ルカ由来のルークという名前は医師に多い洗礼名と聞いている。知識不足かもしれないが? 
 仏教があまり医学面に熱心ではないから日本に僧医が少ないのではないか。病院のクリスチャンの入院患者に牧師さんが話をするために来たのを2回ほど経験したがお坊さんが来たのを経験したことはなかった。
 読売の記者さんも上面だけの記事を書くだけでなくもっと深く勉強していただきたい。

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