中国の食は薬食同源に始まる
(新宿医院院長 新居 裕久) 
日本経済新聞 2005.6.18朝刊 『医食同源』より
 中国の食文化は、薬食同源思想に基づいて築き上げられているようだ。それは歴史が物語っている。

 紀元前2780年ごろ、新石器時代に神農という伝説上の人物がいた。当時人々は飢えをみたすために、各種の物を食したが、病気になったり死亡したりする人が多かった。そこで神農はこれを見て、みずから実験台になり、一日70回も毒にあたりながら、これは食物これは薬物と区別し民に教えた。

 紀元前1700年ごろ、段(いん)の時代に湯王の宰相を務めた伊尹は料理法に造詣が深く、神農の薬学知識に基づいて、湯液(スープ)を作って病を治した。

 同200年ごろ、西周時代に食医と呼ばれる医師と栄養士を兼ねた職ができ、国王の身体状況に応じて健康維持のための食物を配合し美味な食事を作り提供した。2千年くらい前の後漢時代に著された中国最古の薬物書『神農本草経』には365種の薬物や食物が挙げられている。それぞれに、寒熱の性質(気)。酸、苦、甘、辛、鹹(塩からい=かん)の五味、効能が記され、これらを念頭に薬物や食物をバランスよく組み合わせる必要性が書かれている。

 その後もこの種の薬物書や医学書が沢山著され現代に至っている。大変有名なのは、明の時代1578年に李時珍が著した『本草綱目』で、これには1892種の植物、動物、鉱物の気味、効能が述べられている。

 中国人の多くが日常の食事で病気を予防し治療しようという考え方を持っているのはこの特異な食文化からきているのだろう。


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