「証文の出し後れ」では
 日比野守男(東京新聞・中日新聞論説委員)
206.1.5 日医ニュース 1064号 オピニオン No.27
医療制度改革について、政与党は2005年12月1日、「大綱」をまとめた。焦点の一つだった、医療費の伸び率を国内総生産(GDP)の伸び率に連動させて抑制する「総額管理」については、ひとまず退けられたといってもいい。

 「総額管理」は経済財政諮問会議をはじめとする財政当局が強く主張してきた。厚生労働省は、それが6月21日の「骨太方針」に盛り込まれることは阻止したが、9月11日の総選挙での小泉自民党の圧勝で、その勢いに乗って息を吹き返した。

 財政当局は、GDPの伸び率との関係で医療費の伸び率を問題にするが、GDPに占める総医療費の割合については、あまり口にしたがらない。

 その割合が7.9%と、経済協力開発機構(OECD)加盟国中17位で、欧米諸国に比べてずっと低い水準だからだろう。

 GDP比が低いにもかかわらず、世界保健機関(WHO)がわが国の「健康寿命」や「健康達成度」は世界一であると称賛している。このことは大いに誇りにしてもいい。

 GDPの伸び率が下がったからといって、病気にかかりにくくなるわけではない。その意味で、医療費の伸び率とGDPの伸び率をストレートに関係づけるのはおかしい。

この当たり前なことを「大綱」は認めた。

負担増に終始した大綱
心配されるのはこれからだ。我が国の高令化は世界一の早さで進んでいる。厚労省は従来、医療費の伸びを過大に見積もり、危機感を煽る傾向にあるが、それを割り引いても、現行制度では受診回数の多い高齢者の増加に、医療技術の高度化も加わり、医療費が今後も増えることは間違いない。

 公的年金制度では高齢者(受給者)の増加に伴う負担増を従来、現役世代に押し付けて改革を先送りしてきた。

 このためどうにもならなくなり、やっと2004年の法改正で「マクロ経済スライド」の導入という荒療治を行い、年金給付額の伸びを抑えるようになった。

 高齢化の急速な進行は以前から分かっていただけに、もっと早く改革に着手すべきだった。そうしておけば、公的年金課税の強化などには至らなかったかも知れない。

 医療についても、同様である。だが、政府・与党での論議は、当座の医療費を抑制し、いかに財政当局からの批判をかわすかに多くの精力が費やされ、高齢者の窓口負担の引き上げに集中してしまった。

 窓口負担の引き上げは、当面の財政対策として医療費抑制の一時的効果はあっても、長続きしないことは過去の例が示している。求められていたのは、窓口負担という「出口」での抑制だけではなく「入り口」、つまり高齢者医療制度そのものの抜本改革についての議論だったはずだ。

 「大綱」はこれについて、10月19日に公表された「厚労省試案」をほとんど丸のみである。2003年3月28日に閣議決定された「基本方針」に沿い、75歳以上の後期高齢者用と、65〜74歳の前期高齢者用に二分しているが、両制度とも保険者に求める財政支援のルールが不明確だという、当時から出されていた疑問には、ほとんどこたえていない。

 現行の「拠出金」制度とそれほど変わらない以上、保険財政が悪化すれば財政当局から再び「総額管理」を持ち出され、自己負担の引き上げという愚を繰り返す恐れがある。給付と負担、現役から高齢者への財政支援のルールを明確にしてこそ改革だが、「大綱」にはそれが見られないのだ。

日医に期待すること
振り返ってみると、今回の改革論議ほど、日本医師会(日医)の影が薄いことは、最近ではなかった。財政再建を目指す小泉首相の勢いに押されたとはいえ、それだけではないだろう。

 植松治雄会長は2005年11月9日、日本記者クラブで、この問題に関して講演した。

会長がわが国の医療の将来を心配する気持ちは十分に伝わってきて、賛同できる点は少なくないが、それでも医療制度をどう改革したいのかが見えてこなかった。

 日医は「試案」や「大綱」に対して、「国民医療」「国民皆保険制度」を守る運動を全国的に展開したが、2004年末の混合診療拡大反対の際ほどには国民の心を掴めなかった。その理由を日医は真剣に反省する必要がある。

 その日医は医療保険制度改革の対案に相当する「生涯を通じた医療と保健と福祉」を2005年暮れまでにまとめ、全国に配布する予定という。だが、せっかくの対案も「大綱」決定後では「証文の出し後れ」だ。「大綱」の前に国民に選択肢を示せなかったのは日医執行部の怠慢である。

 同様に、この間の論議を見ていると、日医がどこまで改革に本気か疑問を抱かせることが少なくなかった。

 例えば、厚労省の課長がある公の場で、「領収書を出さないのは銀座のバーと医療機関ぐらいだ」と語っていたが、実際はどうあれ、医療機関が国民からこう見られていることを肝に銘じ、「試案」や「大綱」で指摘される前に、領収書を発行するように、日医は傘下の医療機関に指導力を発揮すべきだろう。

 中医協などでの日医の言い分を聞いていても、領収書発行の問題点を並び立てるだけで、発行しないための言い訳にしか聞こえてこない。医療費の分析などを容易にするのに役立つレセ電の普及についても、日医の発言からは積極的な姿勢がうかがえない。

 総じて日医からは、国民の目線に立ち国民の疑問にこたえて改善しようという真摯な姿勢が伝わってこない。現状維持に汲々としていると国民の目に映っては、そっぽを向かれてしまうだろう。

 今からでも遅くはない。新しい年を迎え、改革に向けた日医の奮闘を期待する。


もとに戻る