インフォームド・コンセントは「バカの壁」
養老 孟司
Nikkei Medical 2006.4
世の中の多くの人が医者と患者の関係がおかしくなっていると感じていると思う。典型的なのは「患者様」というやつね。どう考えても異常ですが、その異常なことが実際に起こっている。これは医者と患者のどちらか一方の問題というより、社会全体の問題だと僕は思っていま来社会の常識みたいなものが変容してきて、その間題が医者・患者関係の中に投影されているんです。

 社会全体の問題というのは、僕が『唯脳論』の中で書いたように、根本的には現代が脳化社会になっているということ。「意識的に考える」ということだけが正しいという社会を作ってきたから、医者と患者の関係が「人間関係」から「別の関係」に変わってしまった。医療が情報化した。

具体的にいうと、医者が人間ではなぐ情報ばかり相手にするようになったということです。

 検査結果は代表的な情報ですが、情報というのは必ず過去なんですよ。一方、患者というのは生きている、現在進行形なんですっ情報を重視するあまり、医学に過去しか存在しなくなっちゃった。医者が「今生きている」「将来生きていく」ということを見なくなっちゃったんですね。

 だいたいインフォームド・コンセントとか言っているけど、人と人が話し合ったときに、どれだけのことがお互いに分かるかというようなことを本気で考えたことがあるのか。人が面と向かって話すときには、それ自体に様々なインフォメーションが入っている。「これはきちんと説明した」「あれは話した」というのはただの訴訟対策でしょう。インフォームド・コンセントにかっこを付けて「バカの壁」と書いておけばいい。あれくらい典型的な「バカの壁」はないんだから。

患者側からすれば、医者を信頼できなくなっているといえると思いますが、これも社会全体の問題でしょう。社会全体が権威というものを消してきたからですっどの世界でもそう。教師にしても政治家にしても。僕は先生と呼ばれる人はやっぱり偉くなきゃいけないと思う。もちろん人間という意味では対等だけど、医師対患者という状況では強弱がある。患者は弱っているんだから、現場では同じ立場のはずがない

 大事なのは、医者は弱者を扱うんだから、それに対する倫理がなきゃいけないということなんです。だけど医療の倫理は医者しか決められないはずなのに、安楽死問題では裁判所が出てきてしまう。人の生き死にの状況が何で医者より裁判官の方が分かるんだろうと思うけど。

 医者に本当の意味でのエリート意識というものが希薄になってしまったことも原因だと思う。医者という仕事は、自分のやったことで他人の生命を左右する。そのことをしっかり受け止められているかどうか。安易な気持ちで医学部に入ってはいけない。エリートは楽じゃないんですよ。

僕が臨床医にならなかったのは結局そこです。自分が患者を殺してしまうかもしれないということに責任を持てなかった。そういう意味で、僕は臨床のお医者さんって尊敬しているんだけどね。ひっくり返していえば、よくあんなことできるよなと。

大きな病院の外科系で本気で働いているお医者さんをきちんと評価してあげたいね。彼らは非常によくやっているのに報われない。たぶん寿命も短いはずなんですよ、オーバーワークで。何とかしてあげたい。

 女房の親父が80歳ぐらいのときに胃癌の手術をしたんです。手術はうまくいった。5年後、先生にお礼を言いに医局に久しぶりに行ったら「その先生はもう亡くなりました」と言われて。「何で亡くなったの?」と聞いたら「胃癌です」と。80歳過ぎのじいさんがぴんぴんしていて、なんで働き盛りの医者の方が死ぬんだよ

でも、そういうことって笑い事じゃなくてよくあることだと思いますよ。

 医療界の中でその辺りの価値をはっきりさせることが大事だと思う。医者の代表は医師会ということになっているけど、自分の業界を本当に支えているのは誰なのかということをやっぱり業界の人がきちんと知っていないといけない。そうしないと業界がダメになっていくよね。

 自分の寿命を縮めて人の命を救っている医師にはそれにふさわしい待遇をしてあげるべきだし、それから、褒めてあげればいいと思うけどね。

色々な業界で褒貰ってあるでしょ。医者の世界でも本当に日本の医療を支えている現役の臨床医に賞をやったらいいと思う。それが今の医療界に対して一番言いたいことだな。
ようろう たけし氏
1962年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年同大医学部教授を退官。著書「バカの壁」は400万部を超える大ベストセラー。

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