市民感覚に合った診療報酬を
勝村久司 中央保健医療協議会委員
Nikkei MEDICAL 2005.5 オピニオンより
 私は1990年12月に、長女の星子(せいこ)を陣痛促進剤被害で亡くした。初めての子供を失ったショックから立ち直ることは大変だった。
死んでしまった子は帰らないが、「星子の死によって、それ以降、子供が同じような事故で死ぬことがなくなったよ」と報告することができれば、この子の命を生かすことができる。そう感じたとき、親として少し前向きに生きていけるような気がした
(参考:『ぼくの「星の王子さま」へ〜医療裁判10年の記録』幻冬社刊)。

医療被害の背後に診療報酬
 だが、いまだに星子と同じような悲惨な陣痛促進剤被害の報告が続いている。漫然と被害が繰り返される理由は数多くあり、それらをすべて改善しなればいけない。私のホームページ(http://homepagel.nifty.com/hkr/)を見ていただければ分かるように、原点を忘れないようにしながら、様々な医療問題にかかわり厚生労働省や文部科学省と交渉してきた。そしてこの4月、連合の推薦で中央社会保険医療協議会の委員に就任することになった。

 日本の病院では自然のリズムと異なる、陣痛促進剤などの使用による平日の昼間の出産が多い。土日や夜間に人手を確保することは、病院にとってコスト高であるからだ。

 医療被害の背後に診療報酬の問題があることを忘れてはならない。
事故を繰り返している病院ほど黒字になり、患者のために誠心誠意取り組んでいるところほど赤字になる。

 本来、診療報酬は個々の医療行為の単価であり、単価とはその価値を決めるものである。ところが、この診療報酬が患者の価値観と合っていない。それが不本意な医療の元凶であり、その極みが医療被害だ。通常の市民感覚で患者にとって価値があると考えられる医療行為に、診療報酬では価値が付けられておらず、その道の価値が付けられている。それをごまかすために、医療界は情報公開にも執拗(しっよう)に抵抗してきたような面があったのではないか。

 私の子供が事故に遭った15年前と比べ、国民医療費は倍増し30兆円を超えた。しかし、15年前に患者のための医療をするが故に赤字で苦しんでいた病院が、現在黒字になっただろうか。不健全な診療報酬という単価を変えない限り、総額をいくら増やしても、価値観のおかしな医療行為の総量が増えるばかりである。レセプト開示は進んでおらず、患者や国民は、診療報酬単価を知ることも、その改善の議論に参加することもできないままだ。

被害者と医療者の思いは同じ
 ごく普通の良心的な医療者は皆、この診療報酬の不健全さに気付いている。つまり、医療被害者たちが求めている医療改革と通常の医療者が求めているものは一致している。しかし、それを変えることができなかったのは、医療者が国民や患者にそのことを伝えようとしなかったからだ。私たちが、陣痛促進剤被害をなくすためにまずレセプト開示に取り組んだ理由はそこにある。

 現在、規制改革・民間開放推進会議が医療改革の提言をしているが、やはり医療によってお金を得る側の論理にすぎず、患者や国民は置き去りにされている。「患者のための医療」がおかしな経済観念に引きずられて「医療のための患者」にされてはたまらない。医療事故防止のためにも、市民感覚に合った健全な診療報酬制度の構築が必要である。


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