医療・保健・福祉分野への株式会社の進出がもたらすもの
大阪府医ニュース 2007.6.27 『時事』より
 日本医師会の中川俊男常任理事は、6月13日の記者会見で、・コムスンの介護事業所の指定取り消しなどの問題について「医療・福祉の分野に営利追求型の市場原理主義を持ち込むことの誤りが明らかになった」との日医の見解を示した。

 介護保険制度における同社の振る舞いを、「株式会社が病院経営を行った時」「特定健診や特定保健指導に民間営利企業が大挙して参入した時」に重ね合わせて見ている方も多いと思われる。同社の設立から追ってみた。 

(1)もともとコムスンは、1988年に榎本憲一氏が資本金300万円で九州に設立した会社だった。92年に24時間巡回介護を全国に先駆けて開始し厚生省(当時) のモデル事業の指定を受け、94年には創業地の福岡市で補助事業指定を受けた。

96年にはこれらがモデルとなり新ゴールドプランの24時間ホームヘルプサービスにつながり、同年東京に進出。97年、グッドウィルの折口雅博氏が副社長に就任し、資本参加。

 折口氏は、商社員としてディスコのジュリアナ東京を手がけ、独立後はヴェルファーレを経営、95年に人材派遣業のグッドウィルを設立していた。

99年、創業者の榎本氏が宮城県内の自治体主導の介護サービス会社社長に就任し、コムスンを去る(1年で辞任し北九州に戻り、社会福祉法人の理事長に就任)。数カ月後、グッドウィルはグッドウィル・グループと社名を変更し店頭登録、同時にコムスンを完全子会社化。折口氏が筆頭株主として実権を握った。

(2)介護保険法施行(00年) をはさみ急激な事業の拡大と縮小が話題を呼んだ。13カ所から1208カ所に拠点を拡大したが、法施行直前になって訪問介護に折衷型が突然設定されたことも災いし、報酬単価の高い身体介護の利用が少なく業績が伸びなかった。わずか2カ月で477カ所への統廃合と全社員の約40%に当たる1600人の従業員のリストラを発表したため、労働争議まで発生する混乱となった。

(3)その後も経営方針については、いろいろ取りざたされていた。01年、折口会長は「介護報酬が低い家事援助だけを求める利用者とは契約せず、身体介護など同社の他のサービスも利用する場合に限り家事援助を提供している。家事援助だけでは株式会社はやっていけない。NPOにお任せしたい」と発言したと報じられた。

また、新規利用者の月4人確保や介護報酬額の単価設定など、現場責任者らに厳しいノルマを課していたこと、更に、自社のケアマネジャーに自社施設の利用者を増やした場合の報奨金制度を設けていたことも分かった。

 この件、少し角度を変えてみれば、意欲的な医療者と、ある種のベンチャー企業経営者が出会った時の、ひとつの不幸な姿、あるいはモデル事業での成果を急速に全国展開することの危うさをも示唆しているのかもしれない。 
私見)株式会社参入の問題点が指摘された内容でした。

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