天平人のトイレ 毎日新聞 2010.03.30夕刊 |
・黒崎 直(富山大教授)寄稿 ・平城京は面積約24平方キロ、推定人口約7万人 ・人口密度は3000人弱で現在の柏原市か宇治市に相当する ・人間は1日に約200ccのうんち(小便は除く)をする ・平城京では毎日1万4000Lのうんちが排出される ・当時はうんちを肥料にする考えがない ・それでは屎尿処理はどうしていたのか? ・藤原京の遺構では2つの方法 ・地面に掘った土坑(土坑式)にうんちを埋める ・側溝から水を引き込んだ水洗式でうんちを川に流す ・水洗式が主流のようだった ・なぜ発掘したものがトイレと分かるのか? ・後始末のくそべら(籌木:ちゅうぎ)や瓜の種だ出てきた ・黒い土が出てきて内部に回虫や鞭虫などの卵が出てきた(これはうんち) ・大量のうんちが側溝に流されるが渇水期には流れが悪くなりとんでもない悪臭になっただろう ・藤原京が短命だった理由のひとつだったのでは・・・ ・平城京でも平安京でもこの処理システムは改良されなかった ・このうんち処理システムでは人口が増えた平城京では10年もたなかったはず ・平城京の役所や貴族の住まいでは明確なトイレの跡が見つからない ・彼らはオマルや溲瓶(しびん)を使っていたようだ ・しかし、それらのうんちも溝へ流されたはずなので平城京の溝はうんちで充満したはず ・『平城遷都1300年』ではなく『うんち汚染公害1300年』ともいえる |
私見) 『三銃士』という映画でオマルでとったうんちを窓から道路に落とす場面があった。 当時のパリでも平城京と同じ状態だったことが分かる。 たしか、ハイヒールが道路でうんちを踏まないようにということで考案されたということも聞いている。 どこの国でもうんち処理システムは後回しにされたようだ。 ベルサイユ宮殿でもトイレがあったようには思えないのだが・・・ |