米医療保険制度改革@ ケネディ家と医療保険制度改革
続アメリカ医療の光と影
週刊 医学界新聞 第2877号
・オバマのすぐ後ろに法案署名に招待された故エドワード・ケネディ上院議員の夫人ビッキー・ケネディが立っていた
・ケネディは民主党予備選で支持をした以外に理由がある
・第35代大統領ジョン・F・ケネディメディケア(公的高齢者用医療保険)の創設を内政の最優先目標とした
・しかし、同法案は1965年ジョンソン大統領の下で可決
・皆保険制度を生涯の目標とした理由は個人的理由もある
 ・エドワード・ケネディ自身の怪我:1964年搭乗機が墜落し瀕死の重傷
 ・1973年に長男テディJrが12才で骨肉腫、ダナ・ファーバー癌研究所の手術・放射線治療で救命
 ・次男パトリックの喘息
 ・2002年長女カラの肺癌
・このような経緯で無保険者の現状を目の当たりにした
・1970年初めて『皆保険法』を提案
・米国民の『大きな政府嫌い』の考え方で実現出来ず
・民間保険依存型の現実改革へ方針転換
・1966年HIPPA(:Health Insurance Portability and Accountability Act):退職・転職時の保険継続および医療における個人情報保護
・1997年SCHIP(State Children's Health Insurance Program)小児メディケア加入要件の緩和
・2008年5月ケネディは悪性神経膠腫の診断をうける
・オバマは支援してくれたケネディとの約束を果たすため皆保険制度を最優先課題とした
・しかし、共和党および民主党保守派の反対が強く進まない
・2009年8月保険改革の成立を見ずにケネディは死亡
・彼の死後7ヶ月目の2010年3月23日やっと成立
・次男のパトリック・ケネディ下院議員は法案成立の日、父の墓に手書きのカードを置いた
 書かれた内容:Dad the unfinished business is done
・法案には保険会社への規制強化も入っている
 @既存症を理由に保険加入拒否または保険料の割り増し
 A保険加入後の疾病罹患を理由とした保険取り消し
 B保険給付額の『生涯上限額』の禁止
  ※例えば生涯上限額100万ドルの保険が多いが、ガンなど高額治療を繰り返しうける患者は保険給付が打ち切られる。


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