高田集蔵先生について


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「娘 慈雨子との 往復書翰」(高田集蔵)


はしがき

 「高田集蔵往復書翰集」は、個人通信紙「竹鄰だより」(昭和二十四年十二月から昭和三十五年十月まで、六百九十三信にわたって発行された) に掲載された往復の書簡を個人別に編纂して著書刊行会から昭和五十一年に第一輯、その後第十一輯まで発行されたものです。
 慈雨子は前妻房子との間に大正五年に生まれたが幼くして両親は別居、父親とともに暮らす。昭和八年、生方氏と結婚、七人の子供に恵まれるが、昭和二十六年頃、千葉である男性とめぐり会い、一子、武美を得る。
 後妻吉子とは昭和三年結ばれ、御鈴(このなかで「みいちゃん」と呼ばれている)、恵寿男、満穂の三子を育てている。
 
 
「娘 慈雨子との 往復書翰」(高田集蔵往復書翰集 第二輯より抜粋)
 
■慈雨子へ(昭和二九・九)
 そうあせらずにゆっくりとウチであそんでいたらよいではないか。
 仕事は天のお授け、やきもきしてさがしあるいたとて得られるものではない。家人に重宝がられ、子供を立派にそだてる以上の善き仕事なし。まア落ち着くこと落ち着くこと。
 おばアさん、手術をせずにすんだよし、よかったなア。福島の愛生園の先生から、父さんにあてゝ手紙でも来ているなら、こちらに転送するよう、おばあさんに言ってください。
 金の無心や急場のがれの依頼状の外に、一切手紙が書けぬような利己主義者にならぬこと。
 人の力きわまりし時は天の父に祈るべし。まごゝろもて祈り求めなば、きかれざることなし。
 阿呆になれ。
 
■慈雨子より(昭和二九・一二・一二)
 前略 出立に際しましては色々とお心配りいたゞきまして、ありがとう存じました。綾部と福知山で乗り換え、昨夕四時半当地に着きました。どうぞ御安心下さいませ。
 あれから大竹にまいりましたら、丁度神楽坂のおばアちゃんも来ておりまして、姉さんと一緒に駅まで来てくれました。でも発車ちかくには気持ちがわるいと言って待合室の方で休んでいらしった様でした。
 お父様おば様を初め、大勢の方たちの、身にあまる程の善意と激励を受けた身の何たる幸せ、その幸せを思うにつけ、早速にお報い出来ぬもどかしさに心が苛立ちます。
 神の御力により、必ず光明ある前途を一足々々進んで行く決心ですから、どうぞご覧になっていて下さい。口はばったいことゝお叱りを受けますか知ら−。
 大師堂へ行く途中、ご一緒になった娘さんに助けられて飯野様方までご案内いたゞきました。
 優しい静かな方ですね。ご相談いたゞけることゝ存じますが、罪深い私が、このような温かさで遇されることを勿体なく存じます。おば様永い間辛い思いをおさせして済みませんでした。恵寿男ちゃん、満穂ちゃん、みいちゃんによろしくお伝え下さいませ。
 右到着のお知らせかたがたお礼まで。早々。
 
■返 事
 道中滞りなく無事、み仏の家に着到の由承知安心致しました。神楽坂のおばあさまが、わざわざ東京駅まで見送りに行きながら気分がわるくなったのも、あなたの行く末を案じたためでありましょう。よくそちらの様子を書き送り安心させてください。
 大師堂の途中道連れになった村の娘さんも、恐らく大師様のお導きであったのでありましょう。お父さんもあの山道で迷わねばよいがと心配しておりました。神仏の遍在ということ、これにてよくよく信念し、その娘さんに対しては勿論のこと、無縁の人に対するその御恩返しを決して忘れてはなりませんぞ。
 大師堂に着いたとき、自分はタゝミの上にあげていたゞくような者でない、庭の隅にコモでも敷いて犬のようにそこに宿らせて頂くさえ過分とする気持ちであったであろうことを、父さんは望みます。父さんが行脚するときの気持ちはいつもそれです。一日半時も、怠りの糧を食うてはならぬ。殊に三界に家なき女の身、一宿一飯も再生の大恩なるを
思い、命懸けで働いてくれ。都会生活では、どうしても労働に対する報酬というような、サモシイ根性が取り除かれません。高貴なる姫君の如く、全く無報酬にて最善の奉仕をする心に生きれば、一生女中奉公をしても、神仏の目にはいかに美しいものとながめられることか。
 利は悉く人に譲りて苦しみと恥を背負って立つ十字架の戦士となってくれ。この愛と犠牲の精神のみが、あなたに托された武美を立派に育てる母心である。
 父さんはあなたの生活が人並みになることを願っては居らぬ。乞食に落ちぶれてもよいから、美しい心の持ち主になって下さい。あなたのこれまでの失敗は、あなたがあまりお人好しであったからだ。しかしそのお人好しは言わば親譲りでどうにもならぬ。
 いっそもっともっとお人好し、無類とびっきりの好人物になり、そのために野垂れ死にをしようとも、利口になって出世してくれるよりも、父さんはむしろその方を喜ぶ。「光明ある前途」とは心の光明でなければならぬ。身を捨てゝ御仏にさゝげることさえ出来れば獄の中にもそこに光明は遍照したもう。
 世間的物質的の栄耀栄華が、はかない夢に過ぎぬことは、これまでの生活で、もう分かっている筈、心に慈悲の光明なくば、衣食住に華美を尽くしても、金鎖の囚人である。その過去の華やかにしてあわれな姿を顧みて恐れおのゝいてくれ。
 万一、父さんのこの言葉が分からぬようであれば、あなたはもっともっと苦しく浅ましいところに落ちて行くかもしれぬが、たとえどんなに落ちても、あなたを見捨てぬ親心だけは信じてくれ。
 真実の親心は、そのまゝ神心、仏心である。いくらそむこうとしても、そむきおゝせぬこの心は、
生々世々を代うるとも、あなたを神の子、仏の子にせねばやまぬものである。これがたゞ血を分けた我が子の上にのみ限られるなら一種の妄執であろうが、一切衆生に及ぶに至って、完全に神仏と合体する、そこにお互いの永遠の時を要する聖胎の長養があるわけだ。
 まだ書きたいことはいくらでもあるが、来客あり、今日はこれで筆をさし置く。
 そちらからの手紙、鉛筆の走り書きは感心せぬ。手紙を書くときは、先ず威儀を正し、その人の面前にあるの想いをなし、恭敬の心をもって書くべきである。そうすると字体も文句も自然にとゝのってくる。近か近かに父さんの使いふるしの万年筆や便箋などを送るから、丁寧に礼状をしたゝめて、神楽坂や麻布の姉さん、それから御鈴にも出しなさい。
 
■慈雨子より(昭和二九・一二)
 皆様お元気の御様子嬉しく存じます。
 御情あふるゝ御書簡、昨日拝受一読、一言一句、父上様の御情のほど胸にせまり、再び拝読しますことの苦しく、今までそっとしておきました。ありがとう存じました。よく分かりました。
 「お前が一番仕合わせなんだよ」と仰せられたことがありましたね。
 お馬鹿で、間抜けで、ほんとうに何一つ取るところもない私を、皆様がはげまして、心配して下さる−皆様からの愛情の贈り物が、あんまり一杯で、ちっぽけな私はどこにいるのか見えなくなりそうです。
 罵られ、石打たれて然るべき私、一顧の憐れみにも値しない私−力よわき身の何時報ゆることが出来ましょう。
 子を知ること親に如かず、所詮お利口になれる見込みはなさそうな私。過去はご破算、慈雨子誕生、この世に始めて生を受けた嬰児のような心境です。そんな意味でも旬日の後に新しい年を迎えることは意味があるように思えます。
 必ずかくあらん等と約束も出来ず、見えも切れません。神により素直な気持ちになりきること、今はそれのみ念じています。
 おばさんからの葉書、夕刻頂戴いたしました。暇を見てゆっくり御返事申しますから、慈雨子がありがとうと申しましたとおっしゃってください。
 満穂ちゃん無理してるんじゃないかな、よろしくお伝え下さい。
 
■返 事
 御返書ありがたくたゞ今拝見致しました。
 昔の人も「不幸に逢わぬ人ほど世にも不幸な者はない」と申しましたが、その意味において、あなたは一番の幸福者であると今もそう思っています。
 馬鹿と言われても、素直に受け入れることはなかなかむずかしいもので、口では「ハイ私は馬鹿でございます、私ほどの大馬鹿はありません」と言っても、それが感情的な自嘲になったり、心の中では反抗的な考えが蛇のように鎌首を立てゝいるようでは、まだ「己れ」が生きているのです。
 いかなる悪罵を聞くも、詛いの石で打ち殺されても、一すじに対者を愛して、自己弁護をせぬようになってこそ、始めて己れに死して神に生くることが出来たと言うものです。これは意気地なしの骨頂であり、人に対する丸まけであり、馬鹿々々しくてそんな気になれぬというのが人情であるが、神の国の旅はその首途において、どうしても、この十字架の門をくゞらねばならぬのであります。
 これはある意味において賢い一燈子にはできぬところだが、あなたには出来るのではないかと思う。父さんも若いときには、いくたびかこの十字架の門をくゞって「何でもありがたい」今の心境に達したのである。
 あなたも自分の馬鹿を認め、罪を認め、わがまゝや、その他おゝよそ人類のもつ悪にして何一つ自分に備わっていないものゝないことを認めて、キリストと共に十字架にかゝる覚悟が出来たら、それでこそ父さんの本当の娘なのであります。
 人がいかに見ようとも神の心に生くるこの道にまさりて幸福な道はないので、この霊的実験−心の変化ありて、聖書が始めてよく分かるようになります。
 行く末どうなるかと言うことは神の導きにまかせよ、一日一日の歩みが大切、「明日のことを思い煩うことなかれ、一日の苦労は一日にて足れり」 (マタイ伝六〇三十四)
 新たに生まれたをさな子には乳が要ります。そのことを聖書は次の如く書いてあります。「されば凡ての悪意、凡ての詭計、偽善、嫉妬および凡ての謗りをすてゝ、今生まれし嬰児の如く、霊の乳を慕え、これにより育ちて救いに至らんためなり、なんじら既に主の仁慈あることを味わい知りたらんには然かすべきなり」 (ペテロ前書二〇一−三)
 別便で「新約聖書」をおくりますから、引きつゞくこの第二章の全体を読み、自分にたまわりし神の言葉としてよく味わってください。
 
■慈雨子へ (昭和三〇・一)
 一昨六日の夜東京を立ち、あなたがそちらへ行ったと同じ汽車で、どこにも立ち寄らず、一路上夜久野に着いたのは、昨日午後四時過ぎでしたが、何分大雪のため、徒歩ではとても大師堂まで行けず、自動車も出ないと言うので仕方なく、そのまゝ乗り越し、当浜坂まで来て泊まりました。折角大師堂を志して来たのに会えなかったのは残念なことでありました。
 東京であなたがおばさんに宛てた手紙を見たが、子供を福島に預ける件は、この正月に高沢夫人が武蔵境に見えるそうですから、よく頼むように申し付けておきました。この前も書き送った通り、先のことは思い煩うことなく、たゞ一日々々の修行が大切であります。毎日充実した悔いのない生活をして居れば、自然に道が開けて来るものです。
 経済上のこと一切心配無用なり。そこにいることが、もし神の御旨ならば自然に生活の道はついて来ます。何分飯野さんからのお知らせがないので、あなたがそこで本当に役に立っているかどうか分からず、何とも言えませんが、もうかれこれ一ヵ月もそこで保護していたゞき、尊い御法の導きを受けた御恩の深大、肝に銘じて忘れてはなりませんぞ。
 おばさんからことづかって来た土産物、まことに軽少なものであるが、たゞ今小包にてお送り致します。同封の「高僧論纂」は飯野さんに差し上げて下さい。父さんは明後十日当地を発ち左記に数日滞在します。
 鳥取県松崎局区内、東郷町 鳥 飼 医 院
 右へ宛てゝ、そちらの生活状態なり心境を詳しく書いて送ってください。あなたの身の振り方なり就職については、いつも心にかけているから、大抵この度の旅行中解決出来るかと思います。又子供の預け先についても考えて居ります。
 飯野さんに一度腹蔵なきお考えを知らせていたゞけたら、どんなにありがたいことであろうと、私の意をお伝え願います。
 「おばあちゃん」という呼称を改めて「おばあさま」としなさい。凡ての人に対する心からの尊敬を表し得るよう、こうした呼称をも改めた方がよろしい。
 持ち物の整理整頓に心掛け、いつ誰に見られても恥ずかしくないようにキチンとしておくこと。これも大切な修行の一つです。物をなくしたり、所在が分からなくなって、あわてゝ探すことのないようにしてください。
 宿南さんは目下東京に来て居られますが、右の肩を怪我したため治療中、あなたがそちらに行って居ることを非常に喜ばれ、但馬に帰ったら、又時々お目にかゝれると言って楽しみにして居られまし
た。
 武美はおとなしくして居りますか。わがまゝにならぬよう厳しくしつけて下さい。愛におぼれるとロクな者にならぬから、今のうちに十分引き締めて育てること。手袋なんかさゝぬがよいと私は思うが、おばさんの折角の志だから一緒に送ります。
 朝夕の勤行には大分慣れたことゝ思うが、勤行の精神を日々の生活に活かす工夫をして下さい。御詠歌は心を和めるものであるから、十分に稽古して、いつか父さんにも教えて下さい。
 金子また少々封入、自分のことに使わず、飯野さんに渡してくれるように。
 
■慈雨子より(昭和三〇・一)
 前略一月六日、四日付のお手紙、翌七日絵本とお経の講義、九日、浜坂からご送付下さいました小包、尚本日再びお手紙、以上確かに拝受致しました。いつもながらの御温情のみ訓え、その上お心遣いの賜物、ありがたく厚くお礼申し上げます。
 詳細の事情、それは先におば様宛にお知らせしました。事態が非常に切迫したことです。
 心境としてはありがたい気持ち、それだけで一杯です。ですが目のあたりに、こちらの生活を崩して行くことが、はっきり解りながら、安閑と坐視するに忍びぬ状態です。
 ご覧になりました通り、非常に降雪の多い所ですので、当地での就職は先ず絶望−いづれへか、それも早急に致さねばなりません。よいお考えがございましたら、お指図たまわりたく存じます。
 私たちの事のみ御心を煩わしていますでしょうね。ほんとうに申し訳なく、つらく存じます。許して下さい。
 
■返 事
 飯野様の御手紙同封のお便りたゞ今拝見しました。
 そこでの修行がまず済んだように思われるので、第二期の修行段階に進むべく、あつくあつく飯野様にお礼申し上げ、飯野様をお大師様と拝んで、こちらにお出でなさい。
 旅費として五〇〇円封入しますから、松崎までの切符を求め、途中浜坂駅に下車、松岡歯科医院を訪ねて一泊願い、就職のことを御相談申し上げ、就職口の有無に拘わらず、翌日当地に来て下さい。当医院は松崎駅から約十町位、その所在なり道順は駅で聞けばすぐ分かります。
 飯野様へくれぐれも宜しく、飯野様への手紙はあとから書きます。
 将来のことは決して心配せぬように、あなたの心の準備さえ出来たら、神様は最も適当な職業を与え、幸福な生活へ導いて下さいます。父さんと同じような心境になれたら、万事豊かな、ありがたづくめの世渡りが出来るようになります。
 
宿かさぬ人のつらさを情けにておぼろ月の花の下臥    蓮月
 
■慈雨子へ (昭和三〇・二)
 このたびは鳥飼先生のお世話にて、そちらにて職を得し由、安心した。武美の様子いかが。心を鬼にして武美を手離し、他人になつくようにせよ。可哀そうなれど武美のためにもそのほうがよろし。
 男はわが父と思い、女をわが母と思い孝行せよ。この誠心をみがかば、どこにありても人に重宝がられること疑いなし。難しい人ほどわが善き師なれば心より敬いてよく仕えよ。愛はすべてに勝つ。負くるは勝つ道なり。
 そのうち手紙を差し上げますが、岸先生によろしく申し上げてくれ。
 その後の様子、日々の勤めのこと、武美のことなど直ぐに知らせて下さい。待つ。
 
■慈雨子より(昭和三〇・二)
 御ぶさた致して居ります。御便りがないのでお案じ申し上げて居りました。今朝鳥飼様の奥様よりのお葉書に接し、勝山よりお便りありました由伺い、安心致しました。
 私去る二十二日、急に子供の処置と就職決まり当地に来て居ります。県立児童相談所を通じて、鳥取市の子供園に預かっていたゞいて居ります。「ママちゃんがお仕事だから坊や泣かないで待っている」と言って皆様に可愛がっていたゞいているようです。拝借致しました禅の本、折を見ては熟読して居ります。「随所に主となれば立処真なり」
 鳥飼様、藤村夫妻、相談所の皆様、婦人会の会長さん御一家、夜久野の飯野様、皆々様の御激励を受けて身にあまる思いです。お父様ありがとうございました。漸く安心していたゞけます。御大切に。
 御病人は六十歳になられた当医院の令夫人、先月三十日に、ふと中風になられ、全身の力が抜けたようにグニャリとなさり、舌がもつれて、はっきりお話しすることが出来ません。
 何とも御いたましく、竹内先生に御相談したらとも存じますが、ご神名がございましたらお教え下さいませ。至極明朗でいらっしゃるのですが−。
 
■返 事
 あなたの心の準備が出来たと見えて、よきつとめが与えられ、お父さんもやっと安心致しました。物質的なことはまかせて、どこまでも精神的霊的に生きて下さい。物質的のものは求めずして伴うのです。
 令夫人の御病気もあなたの至誠の祈りによって必ず癒えるでありましょう。神治法はよく容態を書いて竹内さんに問い合わせてください。竹内さんのアドレス左記の通り。
  東京都三鷹市上連雀五一五 竹内栄一
 問い合わせの前に、岸先生にその中風は大脳系統か小脳系統かをお伺いして、その何れであるかをも付記して下さい。
 鳥飼、飯野、麻布のお母さん、姉さん、武蔵境のおばさん、その他恩を受けた人々には簡単でよいから、終始ハガキでゞもかゝさず連絡しておくように、それが神様への報恩行となるのです。
 まだおめにかゝらぬが岸先生によろしく。
 勿体なしたゞありがたしの気のくすりからだにめぐり病消ゆべし
 
■慈雨子より(昭和三〇・二)
 お父さん、御ぶさたをして居ります。
 朗らかに元気で働かしていたゞいていますから御安心ください。今日で十八日目です。御病人のこと、詳しく病状を書いて、今朝竹内先生にお手紙を出しました。
 御食事のお世話と用便の始末、それに御病人のお洗面のお手伝い、一日おきに全身を拭いてさし上げること、新聞だの本だのを読んでさし上げること、マッサーシ。お台所は女中さんが二人いますので、お仕事は楽です。
 鳥飼先生からも飯野様からも、二度ずつ励ましのお手紙を頂戴しました。
 こちらに来ますとき、お仕事の方と子供のことと一時に決まり、一時間も余裕がなく、ばたばたと松崎を発って来ましたが、坊やをおんぶして、駅への道を急いで居りましたら、藤村のおじさんが追っかけていらっしゃり、荷物をもって駅まで見送って下さいました。足の早いおじさんの後から、息を切らし切らし歩きながら、人情の美しさ、ありがたさ、うれしさに、とめどなく涙の流れましたこと、一生忘れることは出来ないと存じます。
 それから鳥飼先生には千円御餞別をいたゞきました。このこと父様に申し上げるのを忘れました。お序でのおりお礼を申し上げてください。
 武美は正式に鳥取こども学園に入ります前の四、五日を、二三の家の方々が面倒を見て下さいましたが、きゝわけよく、利巧だと、どちらでも可愛がられ、先日学園園長夫人からのお手紙では、入園するとたんに人気者となり、発展している由お知らせがありました。指物屋さんで、是非養子にと再三望まれました。どの道が果たして子供のために幸福か迷いましたが、なるべく早く独立し、子供を成育して行くことに、初めの方針通り進みます。
 二日には鳥飼先生、七日には飯野様、お二人から子供を手離さぬようとのお便りをいただき、力づけられ励まされました次第です。
 こちらの先生は岸良一様とおっしゃいます。奥様は体が御不自由で、どんなにか苛立たしいお気持ちでしょうと存じますのに、お優しく、また非常に明るくていらっしゃいます。
 「大好きなお父様なのに、ニベもない手紙を出したのを真に受けられてか、あれからお便りがない」と、飯野様はお父様のことをなつかしまれて書いてお出ででした。お帰りに、都合で寄ってお上げになったら、どんなにかお喜びでしょうと存じます。
 よく馴れないうちに逢っては可哀想ですので、まだ子供学園には尋ねて行きません。二十日過ぎに一度様子を見に行こうと思って居ります。
 明日は観音まつりで、早朝一里あまりある山の上のお寺に、十七、八の娘さん二人と行って来る約束ですの。
 竹内先生からの御返事もその内頂けることでしょう。一生懸命癒っていたゞくつもりです。
 目が渋くなりました。明日は早いからまた書きます。お元気でいらっしゃい。松崎駅でお別れした時、ホームをコトコト歩いていらした御姿が目に浮かびます。
 
■返 事
 四国では長く一つ所に居らず、方々を歩いているので、お手紙も大分おくれて拝見しました。近況詳しくお知らせ下され、安心しました。母さん姉さん、それから武蔵境にも簡単でよいから、落ち着いた旨知らせて安心させて下さい。
 さきさきのこと一切思わず、その日その日神に仕うる心で最善を尽くして愛行を励むこと。誠心もて一人の為に尽くすのは万人に奉仕すると同じき価値あり。殊に病人に尽くすはそのまゝキリスト様への奉仕なり、無理は言わるゝ方よく、仕事はいやなことほどありがたしと思え。それを喜んでするはど己に死して神に生き、凡夫が仏に変わるのである。この霊魂の大修業に永遠の意義あることを信じてください。
 信さえあらばどんな病気でも奇跡的に直ります。先ず病人に必ず直ると信じさせること。そしてあなたも必ず直ると信じて介抱すること。それだけで直るのです。神名を呼び唱えるのも、つまりこの信を強めるためです。
 父さんも旅行中、信ある人を見つけては病人を直して居ります。直ってもこちらの信で直ったことは分からず、従ってお礼を言って頂けぬことが多い。そこが又大いにありがたいところです。微塵報酬を求めたり、恩にきせたりするような汚い心があるようでは恐らく直らぬでありましょう。直すのは全く神のはたらき也。神ごころ仏ごころになりて祈らば必ず直る。あなたも一個の天使となって、そちらの奥様を直して上げなさい。二人か三人直せば大抵そのコツが分かります。
     キリスト様のお言葉(招命)
 日々己をすて十字架をとりて我に従え。(マタイ伝)
 イエスキリストは、昨日も今日もいつまでも変わりたまわざるなり。(ヘブライ書)
 このキリスト様を見上げ奉りて、片時も心の目を離さぬこと。キリストも弘法大師も観音様も、人間は各々の所縁によりていろいろの名を以て呼ぶも、宇宙霊界に遍満せる大慈大悲の活霊は唯一の実在である。この実在、父母が病める子を見る如く、天が下の一切の病人を癒やしたくてたまらず、ムズムズしてござるのだ。ただ「信」のみでその絶大無限の力を病者の上に集注し、そこに奇跡的の治癒が実現するのである。以上は簡単なれど信仰による治病の奥義である。
 繰り返し読んで信を養ってください。だが利口ぶってこれを人に語ってはならぬ。自然あるを知って霊界あるを知らぬ人と争うてはならぬ。凡て人と争うことは、こちらの愛と信を失う危険あり。一切と和し、どんな人に対しても疑いや毛嫌いや不平、とがめる等のいまわしき思念を抱かぬこと。それには称名がよろしい。称名によりて、そんな思念を追い払い、つねに神仏と共に在るの楽しい心を相続するようにして下さい。
 差し上げた聖書は是非毎日少しずつでも読み、神の言葉として受け取れた聖句には赤鉛筆で線を引き、それを繰り返し繰り返し読んで暗記するようにして下さい。その聖句があなたの霊魂を育てゝキリストに同化せしめましょう。
 三度の食は欠いても、神の言葉をいたゞくことを怠ってはなりません。「人はパンのみによりて生きず、たゞ神の口より出づる言葉による」なり。
 
■慈雨子より(昭和三〇・二・二八)
 さる十八日、そちらよりの御便りに接し、久しぶりにておなつかしい御声にふれる心地にて嬉しく存じました。
 自分がまことに無力な者であることは、よくよく肝に銘じておりますので、坊やは暫く神の御手に委ねさせていたゞいていますことと思いながら、やはりその後の子供の在り方を、直接見て居りませんので「随所真」も時々雲がかゝって居りました。
 四、五日前、勤め出しましてから初めて外出致しまして、鳥飼様、藤村様御夫妻、飯野様、子供学園等、御挨拶やらお礼をかねてお伺いして来ました。
 坊やは最年少の組の中でも一番小さいのですが、一番よく解るとほめて頂きました。何しろ、頑是ない身の、母と別れての生活は完全とは申されませんが、神に仕える方たちの善意に包まれた今の境遇は、将来に必ずプラスするものがあろうと存じます。
 御病人、いくらかシッカリして来られた様です。
 意を馬、心を猿とはよく言ったものですね。これが祈りと言えようか、これで奉仕と言えようかと悔いる事が多うございます。上北様の皆様へよろしく。お健やかに。
 
■返 事
 御病人いくらかシッカリして来られた由、疑いのない信と、くもりなき愛の心もて看護すれば必ず全快されるに違いありませんから、意馬心猿を倒し、たゞ一筋に医し主キリスト(薬師如来)を見上げて、その聖業を続けて下さい。
 こちらで妙覚寺の住職千葉昌丸氏、御身たちの上に同情され、坊やに送ってくれと言って、別封の飴を下されたから、あなた宛に送ります。あなたより子供学園に転送、坊やと同じ組の子供達に分け与えて下さるよう、手紙を出しなさい。なお千葉氏は坊やを引き取って育てゝもよいと言って居られます。
 そちらでの修行が一段落を告げたら、或いは紹介する時があるかも知れません。同氏は年は四十二、今のところ独身生活、子供四人あれど皆大きい。十九になるお嬢さんが子供の世話をしたいと言うのだそうです。
 とにかく飴の礼状を(封筒で丁寧に書くこと)出してください。お父さんもこの度の旅で、たびたびその寺に行って大変お世話になったから、そのお礼も書き添えて下さい。
 この間お礼まいりをしたそうだが、少し早いと思うが、まアよろしかった。「只」の恩、つかの間も忘れてはならぬ。日々の報恩行に身を献げて余念なきことが第一也。
 病人をマッサージしたり、お身体を拭いたりする時、心に、
   南無悲智円満医王尊
と念ずるようにしてください。必ず効験があります。
 竹内さんから返事が来ましたか。来たら治病に関するその内容を知らせてください。
 昨日千葉さんの書いた幼児仏の顔が、坊やに似ていたのも不思議でした。同じ人の画かれた普腎菩薩の画に父さんは次の如く賛を入れました。
   悲智円満香象眠
 悲は慈悲、智は智慧、悲智円満が神の、仏の内容であり、われらも、神仏を念ずることによりて、われらの霊性本具の徳おのづからあらわれて悲智円満となる。そうなれば香象によりて象徴されたわれらの動物性(意馬心猿)が眠ってしまうという意味です。
 父さんは昨日庵治を辞し今日は高松に一泊。明日は観音寺に向かうから、返事は左記にあてゝ下さい。
 香川県三豊郡仁尾町 浪 越 平 八 方
 千葉さんのアドレスは、高松市高松町 妙覚寺 千 葉 昌 丸。
 
■慈雨子より(昭和三〇・三・一〇)
お元気でいらっしゃるようですね。うれしく存じます。四日付お手紙、千葉様より賜りました飴と一緒にお受け取り致しました。ありがとう存じました。(中略)
御病人至極朗らかですが、薄紙を剥ぐ如くと言う訳にはまいりません。お気長に癒っていたゞきましょう。
 竹内先生の療法を次にしるします。
一、先ず西に向い(真西)フモンチシン大神と言って毎日三十回祈ること。
一、氏神、産土大神にもお願いすること。
一、薬は、よもぎ四、げんのしょうこ一、どくだみ一、おほばこ一、赤土(人差し指の頭位)黒豆二、こんぶ二の割合で、一升の水で八合に煮詰め、朝夕腹の空いた時、食前三十分に飲むこと。
 こちらも漸く凌ぎよくなりました。この頃外出することは殆どありませんでしたが、先日お使いがてら歯の治療と、子供園の訪問をかねて鳥取まで出掛けましたら、畠には菜の花がチラホラ咲き、山の雪も近くの方の山々はスッカリ消え、千代川の流れも春を泛べてウットリするほどの美しさでした。
 坊やは相変わらずマスコットのように可愛がられて居ります。割りと聞さ分けのよい子でしたが、あんまりおとなしいのが不愍な様な気がします。時々飛び出す江戸っ子辯が可愛いと園長先生がおっしゃってゞした。住むところは異なっていても、皆大きな神の懐にあることを思い、私も元気であります故、ご安心下さいませ。
 お帰りはいつ項でしょうね。お目にかゝれたらと思います。快晴の日等と言うものは殆どないこの地方に居りますと、明るい春の日ざしの一ぱい溢れているであろうそちらの風景が、まだ見ぬながら、なつかしまれます。
 お健やかに在らせられますよう祈りつゝ。
 
■返 事
 旅行中はたえず人に接してお話しをしているので、手紙はおろか日記も書くひまさえないようなありさま。それに去る三月十日付のお手紙小生仁尾町出立後に郵着、そこから高松、高松から武蔵境へと転送されたのを帰宅してヤット拝見したので、返事が大変遅れました。
 しかしその後変わりなく、岸病院にて無事お勤めの由、安心致しました。御病人は大変朗らかではあるが、病状に大した変化なき様子。それはあなたの至誠の未だ至らざる為であるから、反省した上にも反省、最初のまじめさを取りもどして、うらおもてなく誠心誠意奉仕して下さい。
 山陰線に回り、一寸でもあなたや飯野和尚に会って帰りたいと思ったが、何分八十日以上の長旅になったので、又出直すことにし、山陽線で一路帰京しました。
 竹内さんの処方お知らせ下され、ありがとう。あの通りを実行して居られますか。それには岸院長の同意を得なくてはならぬが、それが一寸難しいであろう。しかし信さえあれば、例の「となえごと」だけで奇蹟的に直るものです。
 坊やも子供学園でみなさまから可愛がって頂いて居る由、母の許で甘えて居るよりも、そのほうが大いに宜しかろう。
 千葉さんも鳥取の仕事が一段落を告げたら子供を連れて来るようにと申されて居たが、それは急ぐことはない。皆様に心から感謝されてその地を離れ得るまで、大いにそこで頑張って頂きたいものです。
 御病人の近頃の容態なり、あなたの心境なりを詳しく書き送って下さい。
 末筆ながら岸院長に特によろしくお伝え願います。
 
■慈雨子へ (昭和三〇・一〇)
 この度は四国へ御苦労でした。
 父さんは去る五日、やはり因美線で鳥取に向い、途中河原駅を通過したが、折しも雨が降っていたので下車を断念した。
 鳥飼さん、松岡さんでも電話をかけてあなたを呼ぼうかと申されたが、いづれも一泊しか出来ないので、それもお断りした。あしからず。
 去る九日夜こちらに帰った。岸様によろしく。時々近況を知らせてくれ。
  めぐみの御手に目を蔽はれ
  あすのことさへ知らぬわれ
  神知りたまふとほめうたはん
 
■慈雨子より(吉子宛 昭和三〇・一二・一〇)
お手紙ありがとうございましたた。和靖ちゃんの可愛いお写真、医院の皆様方に見ていたゞきました。そう、丁度百日目位の時のお写真でしょうね。お幸せそうな赤ちゃんと若いお母様。ひとつつまずくと次々とつまづく回り合わせになるものですが、何事も順調に来られたみいちゃんですもの、いついつまでもお幸せが約束されているような気が致します。
 私が東京を後にしたのは去年の十二月の十一日でしたかしら、京都で乗り換えをしたとき、先様で御迷惑なさりはしないかと思い迷って、待合室(それが温かい汽車の中から出て来た故か、頼りない身に、なお更風がしみるようでしたワ) で坊主を下ろして、ここで降りちゃおうかな等と思ったんですよ。でも辛いなんて言葉も、淋しいなんて言葉も私には使えないんです。それがたとえ、崩おれそうなほどのものでも「当然」というにも足りないものなんですもの。
 岸先生に御厄介になりましてから、かれこれ一年になろうとしています。御全快なさるまでには、まだ遠い感じですが、一応この二十五日でおいとまするつもりです。こちらの都合でまた御手伝いさせて頂くときもあるかも知れませんが、私自身もっとさびしさに会って来なけれはいけないと思います。
 武美のこと、お蔭様で元気で居りますと申し上げれば、一先ず安心して頂けそうですが、より良きようにと盲母は考えずにおれません。でも焦ったり思い惑ったりはしませんから心配しないで下さい。
 おば様の可哀想に思って下さる御気持ち、痛いほど分かりますが、どなたが何とおっしゃらなくとも、お便りがなくとも、皆様の温かいお心の中に、ぽっかりとはいらせて頂いている私です。いゝ気なこと。シャボン玉みたいですね。
 このところ毎日病室のふとんの手入れをしています。
 二、三日前に霰がばらつきましたが、まだそれほど寒くはありません。不自由を常としちゃいましたので、何も不自由はございません。
 暮れから新春にかけては恵寿男ちゃんのお顔も揃うことでしょうね。ではどうぞ御元気で新しいお年をお重ね下さい。
 今夜は冷えるようです。ペンを握る指先が冷たいです。
 
■返 事
 四国で会ったとき、何もかも悟りきった上での余裕綽々、わが子ながら感心して別れたが、岸医院での奉仕生活も、もう一年近くなりますかな。よく続けてくれました。それも岸先生を始め周囲の皆様のお蔭ですから、十分に感謝して、神様の御導きのまにまに、より厳しき修練を受けるために新しい職場に向かって下さい。
 幸とか不幸とか言って見たところで、この世の生活はホンのしばらく、死後永遠の栄光を望んで、幸福は人にゆづり艱難を自らとり、何でもイエスキリストの足跡を踏んで下さるように、それにはもっともっと聖書を読んで下さい。そして時々の霊感を書き送るようにして下さい。
 あなたの信仰と真心が、奥様の病気を癒し得なかったことは遺憾ながら落第、誰もそれを責める者はないでしょうが、大いに自ら反省し又自ら恥じて神様におわびを申し上げなければなりません。自分の幸福を全く捧げなければ人に幸福をもたらすことは出来ません。それをこの次の職場でぜひ実験して下さい。
 別送の「カルメル山の小さき花」これは聖女テレジャの自叙伝です。聖書と共に是非毎日読んで心の糧にして下さい。
 そちらにいるうちは何事も鳥飼先生に相談して決めるように。
 いつかまたお礼かたがたお伺いする時があると思うが、岸先生とその御一家のみな様によろしく申し上げて下さい。
 
■慈雨子より(昭和三〇・一二)
 咋朝おば様、午後に父様の御葉書、今朝御本と肌着類入手致しました。良い子へのクリスマスプレゼントのように、一足早くサンタクロースが来たようです。温かいお志ありがたく頂戴致しました。
 去る十七日には、こちらでは雪や霰が降りました。もうあとかたもありませんが、去年より、ずっと早い初雪でした。
 二十五日以後はまだ分かりません。看護婦会にも知らせてありませんが、自分の都合のよいように、次の足場を固めておく気になれないのです。不用心と思し召されましょうが、シャボン玉娘、ほんとうに神のまにまにです。鳥飼先生には御挨拶に上がるつもりです。
 取り急ぎ御礼かたがた申し上げました。草々。
 
■慈雨子より(昭和三一・一・一八)
 おめでとう存じます。皆様御元気でしょうね。どこへとんで行っちゃったかと御心配かけたことゝ思います。まだ余裕がないのでルンペンはあんまり良い気持ちじゃありませんでした。
 十五日からこちらの御仕事をしています。とても気の毒な方、河原とは格段の相違ですが、これか当たり前でしょう。
気疲れやら何やらもあるでしょう。今日は一寸具合が悪いです。いづれ又ゆっくり書きます。皆様によろしく。お報せまで。草々。
 
■返 事
 新しき御働き先お知らせ下され安心しました。真心をこめて看病、お父さんにしてくれるつもりで、出来るだけ親切にして上げて下さい。
 このいと小さき者に為せるはわれに為せるなり−キリスト。
 今度のところは市内であるから時々武美に会いに行くことが出来るでしょうな。
 も少し暖かくなったらまた四国に行くかも知れぬ。その時はつとめて山陰にも回りたいと思っています。
 
■慈雨子より(昭和三一・二)
 お便り頂きましてから、かれこれ一週間経ちました。怠慢おわび致します。
 岸先生のお宅は先生が寛大な方でしたし、鳥飼先生のお口添えもありましたが、ほんとに世間に通用致します自信などさらさらなく、一寸びくびくものでございましたが、どうやら無事につとめさせて頂いて居ります。
 坪崎様は父様より二つお年下の方で、お二階から「慈雨ちゃん」って呼びなさると、ふと父様に呼ばれたような錯覚を起こします。
 やはり良い方です。おばあ様も良い方。心臓、肝臓、動脈硬化、腰骨の骨折、床擦れ、床擦れはひどいものですが、いくらか快方に向かって来られたようです。病院ではあまり物を召し上がらず、ブドウ糖の注射などで栄養の補給をして居られましたが、退院されてからは、割合召し上がるようになられ、徐々ですが、よくなられるのではないかと思われます。
 時々目が覚めていらっしゃりながら、とんでもない話をされるのは、おつむの方が夢の世界に行ってしまうのかと思いますが−「ヤマネコガネ、オソウジヲシテモキレイニナラナイノデ、ジプンノハネヲヌイテ、ソレデオソウジヲシタラ、タイヘンキレイニナリマシタ」(やまねこにはねが生えているの?)「エゝ、ハエトリマス」「ハクチョウガカガミトクシオモッテキテクレマシタ」「オバアチヤン、クリームチョウダイ、クリームチョウダイッテイウンデスヨ」等です。寝台車に乗れるようになったら、私についてってもらって東京の息子さんのところへ行くのだと楽しみにして居られます。どうぞ一日も早くそうなられるよう祈りつゝお仕えしています。
 いたゞいたシャツ使って居ります。おば様のお情けを背中にしょってる様で温うございます。御礼申し上げて下さい。
 今日は少し暇があったので「竹鄰だより」を読んでいましたが、気のつかぬほどの心の傷が快く癒されるのを覚えました。
 御西下はいつになりますか。楽しい想いが胸一杯にひろがります。梅も咲き初めました。御元気でいらして下さい。(下略)
 この手ありこの足のありいまさらに父母のみめぐみ身近かに思ふ
 
■返 事
なつかしきお手紙いただき、さながらお目にかゝりしような思いが致します。今度の御病人も大変善い人のようですな。その御病人を父と思い大事にすれば、その真心がこちら
に回って来て父さんもお蔭をいたゞくことになります。半ば夢中で申されるお言葉によりても、心のキレイな方であることが分かります。山猫は自分の羽をぬいて掃除すると言うことですが、私たちにはなかなかそれほどの自己犠牲ができません。恥ずかしいことです。
 手の小さい傷はメンソレでもつけて早く直すこと。小さな手の傷でも神のいましめですから、心に傷つき居らぬか、働きの上に何か不純な心なきやを反省しなさい。信仰により神から頂く愛のあぶらは、メンソレ以上に肉体の傷をも癒します。
 初めて(?)出来た歌、笑うどころか、なかなかよろしい。隅におけぬぞ。その調子で折にふれよみつゞけるようにして頂きたい。
 テレジアの「小さき花」を読んだら感想を知らせて下さい。坪崎家のみな様によろしく。
 
■慈雨子より(昭和三一・二)
一昨日御葉書入手致しました。チクリと小さな「活」ありがとう存じます。
 九日から十二日まで降り続いた雪が一尺五寸ほど積もりましたが、このところ一寸お天気でした。今朝からまた雪−。今は止んでいますが見る間に三寸ほども積もりましたろうか。春が間近かなせいか霏々として降る様は華やかな美しさです。でもこの雪で困る戸外にお仕事をもつ人達のことを思いますと、おゝキレイ!の感嘆の声も忽ち凍てつく心地です。
 右せんにみぎなし左せんにひだりなしなす術もなく子を負ひてゐし
 子ゆえになやみすごせし一とせよ背の重みのいまになつかし
      −すぎし日をかえりみて−
 愛が愛を生みその愛が愛をうむ雪だるまの見た白日のゆめ
  私はだれでしょう?
  天界に対する地界の、光のない屑星か、
  無数の愛情の引力に支えられて
  どうやら流れないでいるのは−
  流れつゝあるのに気がつかないのかも知れないけれど−
  根がスローモーションですから、自覚しないのかしら。
 打越さんはまるまると、お元気か知ら、ふと思い出しました。雪だるまから連想したわけではありませんけど。
 皆様お元気で−
 
■返 事
 山陰の雪を想うと、先年あなたを夜久野の大師堂にたづねようとして、深雪に隔てられて果たさなかった時のことが思い出されます。
 雪だるまと聞くと、昔アッシジのフランシス(フランチェスコ)が沢山雪人形を作り、それを吾が妻、吾が子と呼んで、しばしその心を慰めたが、やがて融け行くはかなさを見ていよいよ神に対する愛を深めたという逸話が新しく味わわれます。
 われも人も雪人形、無に等しきものと悟りて一切の我執や煩悩の消え失せた心の空虚の中に、おのづから入り来るものあり、それを神とも仏とも言うのではあるまいか。但し心に不純なものが残って居ると、縁をひきてニヒリズムやヤケクソや茶目坊や淫蕩、虚栄、享楽等さまざまの悪霊がはいり込むことあり。
 だから人生の無を悟ることが神を招来する条件であるが、その時がまた大危険の時である。その危険時に必ず襲い来る誘惑に陥ってマグダラのマリアは七つの悪鬼を背負い込んだが、そのことがまた却って主キリストの救いを受ける条件となったことを思えば、神の愛は人生に遍在し、選ばれた者はしばらく苦難の道を歩むも終には必ず救われるもののようであります。
 境遇のよしあしを気にせず、一心の純雑を省みよ。
 目に見ゆるこの世は移り行く夢の如し。夢より覚めて速やかに生死を超えし真実の世界に入るべし。その世界は眼前脚下の一歩より始まるなり。
 短歌あわれにまた面白し、おばさんも感心している。続けて下さい。
 
■慈雨子より(昭和三一・二)
 二十三日御文入手致しました。河原の奥様のこと気にかゝりながら外出の機を得ませんでしたが、二十五日夜、思い切って参上、なつかしい方たちに逢ってまいりました。依然としてお変わりない御様子でしたが、心なしか痩せられたような感じでしたので一寸心配です。先生はじめ皆様の歓迎を受け自動車で河原駅までお送りいたゞきました。ほろ酔いのよいごきげんで帰宅、まことに不埒な老娘です。気になって、気になっていましたので、これで一応気が済み、又更に元気で働けます。
 こちらの御病人次第に快方に向かって居られます。貴女の手で撫でてもらうと、どういうわけか具合がいゝ、何か秘密でもあるのかなどおっしゃいます。何しろ病気の問屋のような方ですので、どの程度までよくなって下さいますか、とにかく一生懸命つとめています。
 ご無沙汰し過ぎました鳥飼先生にお便り致しました。御夫妻にて御返事たまわり恐れ入りました。父様もう四国へ行ってお出でのように思ってでした。
 それからたゞ今飯野様より来信、半月あまりの旅より帰山されました由です。坊や相変わらず元気です。
 明日一日で二月もおしまい、だんだん楽になります。昨日は一日みぞれが降りましたので、お洗濯大変、また書きます。お元気で……。
       別れた子らを偲びて
 子ら口々に母を呼びにし遠き日の争ひの時はじすぎし時
 晴れし日は吾を恨むらん雨の日は恋ひてあるらむめぐし子どもら
 はなれ来て五年たちぬわれからは語らぬわれを情けなしといふや
       父様の上を思ひて
 書よみてつかれしまなこ窓外にあそばせたまふおんさまの見ゆ
九月の分より先日の分までの「竹鄰だより」ございましたら、又お手数ながら−。
 
■返 事
御歌よみて新しく涙さそわれ侍り、そなたのあやまちは父のあやまち、そなたの嘆きは父の嘆きなり。
 子をすつる薮ありといふしかあれどすてぬ心は神が知るらむ
 子をすつる母はまことにすつるかはすてぬこゝろをすつるとはいふ
 とこしへに情けなき父とうらむらむそのうらみにて生い立ちてよ子ら
 罪なくて十字につきし主をおきてこの心知る人を求めず
 「竹鄰だより」欠けている分の号数お知らせ下されたし。すぐ送ります。
 
■慈雨子より(昭和三一・三)
六日付御葉書、八日入手、ありがとう存じました。主イエスキリストこそ知りたまわんと思うことだに大それたことゝ存じます。罪の子は、思いがけなく積もった今朝の春雪をたゞありがたしと眺めて居ります。
 いつくしみ深きイエスさへ吾を見てはわれは知らずと仰せあるべし
 晴れやかなわれとわが声におどろきぬ血にみどろなる心にくらべ
 薮かげにひたと茎もつ水引の草の如くに生きたしと思ふ
 なんじ母、子を捨てしぞと人の言はゞしかなりとのみわれはこたへん
      岸夫人をしのびて
 心根も面ざしさへも女わらべに似させたまへる君を偲べり
お出かけになるのはいつか。近いうちにお目にかゝれますことを楽しみつゝ筆をおきます。皆様によろしく。
 
■返 事
 この頃は馬鹿に落ち着いて、いつ旅に出ようとも思わぬが、やがて花も咲きかけると浮かれることでありましょう。
 知らずとはよものたまはじ罪深きわがとが負ひて身失せたまふ主
 汚れたる地のものなべて蔽ふなる雪こそイエスの衣なるらめ
 童女にも似て品のよき人ときゝて平安朝の尼ごぜを想ふ
 薮かげに隠れ生ふれど水引(草)は真直に立ちて天をしたへり
 天をしたひますぐに生ふるこの草を世を見ず引きと名づくるもむベ
 
■慈雨子より(昭和三一・三)
お便りありがとうございました。永遠の青年高田を以て自他共に許す父上様、お腰の上がらぬのはお抜けになったのでは、よもございますまいに、落ち着いて居られるのは、オトナになられたのかな、などゝ茶目は独りごちして居ります。
 いづれにしましても結構なことでございます。彦左流に「しからば」なんて奮起されず悠々として居られますよう。チョコサイな言葉お許しのほどを−。
 はてしなき雪の山野の夜の空に舞いゐし鳥の炎のつばさ
 黒き空満目の雪赤き鳥めづるわれなりいつはりを忌む
 より広くより大きくぞ目を外に向けよと声の青空にあり
 春風の駘蕩の気にとけ入りてのたりとせんかわが心また
 花たよりなほいとまありその日待ついまのしばしは心安かり
 ようやくに春の気街にみちみちぬ遠き山には雪のこれども
 
■返 事
 腰ぬけと茶目にいはれて笑ひ居るこの父さんもお人よしなり
 腰もぬけ歯もぬけ頭の髪さへもぬけてぬけぬけくらす抜作
 腰はまだぬけて居らぬと起ち上がり四肢をふみなば茶目笑ふらん
 雪の夜の空貫ぬきて舞いかける炎の鳥よそを父と見よ
 より広くより大きくと青空ゆ叫ぶを父の声と知らずや
 春の海のたりのたりとひねもすにかはらぬ音をおそろしときく
 花さかば散るばかりなり花を待つ心に散らぬ花かくれあり
 あへばまた別るゝことのつらき世や待つは心のあひて別れず
 あふもよしあはぬまたよし父と呼ぶ子らの心にこの父は生く
 いつはりをいつはりなりと知らぬまで神はまことに生くるなるべし
 
■慈雨子より(昭和三一・三・二三)
こちらも十九、二十日と降り続いた濡れるには一寸恐れをなすような春雨も、
お中日からずっと好天気、この一年の山陰の天気は陽性になったように思います。
 鬼子ならぬわれ抜作のむすめにて生ひしときより骨抜けてあり
 あなかしこ骨はなけれど腑ばかりはぬけぬことこそみつけものなれ
こゝ一月ほどの間に、父様におだてられて、よい気になり八十数首ヌタが出来ました。
そのうちまとめて見て下さい。
和靖ちゃん、まだアンヨしませんか。ことによりますと五月頃、御病人を送って上京するかも知れません。そうなりましたら、見せて下さいね。
 御病人、骨まで出るかと思われた床擦れも肉が上がり、もう一週間もしたら薄皮がはりそうです。意識も追々正常に復される模様です。
 みちほちゃん肥らないかな、よろしくお伝え下さい。富田様にも。
 
■返 事
 ヌタがもう八十首以上も出来たそうで、おめでとう。
 良寛さんも書家の書や歌人の歌は嫌いだと申されたが、あなたのヌタは、さすが私の娘だけあって、全く独特のもの、洒脱味なかなかおもしろし。今良寛の父さんも、なかなか心私かに感心しとるよ。選評して上げたいから、清書して送って下さい。
 満穂も三年来の忠実さがやっと認められたらしく、この間出張所をまかせられることになり、仕事も少しは楽になったようです。それで気のせいか血色もよくなり、いさゝか肥えかゝってきたようです。とかく辛抱が肝要なり。
 抜作の父にすぎたる娘かな腑ぬけにならぬ意地ありといふ
 
■慈雨子より(昭和三一・四・四)
昨日はお便りありがとう存じました。
 四月一日(四月馬鹿)の日付に思わず目をこすりました。拙歌今晩にでもまとめますから、御覧になって頂きましょう。
 子供の時にしたように、大人になっても、石を投げれば水面の波紋にしばし見入るもの、二、三人で山に行ったとき、自分の声だけに谺がかえってくれなかったら、どうでしょう。水が波紋を描いてくれなかったら、淋しいというより気が変になるかも知れませんわ。
 ところで、人の中にはそんな人もいます。決して悪い人ではないのですけれど。私に呼びかけといて、目をつぶるか、耳をふさぐかして、後を見ないで、どんどん逃げてしまいます。返事をしてくれなかったら……と思うとこわいんです。それでまずまずこの葉書だけ先に出します。
  おのゝきついまし咲くらん花を待つ思ひに似たり父の来ます日
  さすがわが娘よといひて笑みたまふよき父さんの顔見るがごと
 満穂ちゃん、おめでとう、五、六月頃、もしかしたらお目にかゝれるかも知れません。
 
■返 事
 池の波紋、山のこだまの喩へおもしろし。
 しかし出した便りの返事が遅れたり、来なかったりするのが気になるようでは、抜作オヤジの娘として、まだ抜けようが足らぬぞ。父さんは一切、人に求めることはせぬぞ。それで人をとがめるということ塵ばかりもなし。もし返事を下さらぬ人あらば、それは私に寛容と畏敬の徳を授けて下さる善知識、返事以上のものが頂けているのではないかい。
 「己れ人よりせられんと欲する如く人に為せ」とはキリストの教えなり。広瀬淡窓先生も手紙の返事を直ぐに書くことを長命法の一つに数えて居られる。為すべきことが滞ると、心気も共に滞る、それが病の源となると言うのであろう。
 鳥飼先生も手紙を滞りなく書かれますなア。あんな人も珍しい。事故なくして返信を怠る人は、心のどこかに機能が欠けて居るのかも知れない。
 しかしそうばかりでもあるまいから、一切人をとがめず、そを鹿の耳ふり立てゝ声なき声を聞くが肝要。弓を射ても射撃しても的に当たると必ず手応えがあるもの、手応えがなきは大抵的外れであろうぞいな。
 七日お差出しの歌稿が今日着いた。これからゆるゆる拝見すると致そうか。旧詠一つ御参考までに。
 人みなと共に笑はん共に泣かんされども恋は片思ひにて
 
■慈雨子より(昭和三一・四・一一)
 一昨日和靖ちゃんのお写真、ありがとう存じました。仕合わせの見本のようですね。坊やのお母様のお仕合わせがしのばれます。今日はお父様のお葉書と「竹鄰だより」共に頂きました。今日、県庁に松岡様をお訪ねし、当地に参りまして初めてお目にかゝりました。いまの勤め先は県庁のすぐ近くですので、通りがゝりには、いつも気になっていました。
 それから久しぶりで坊やに会って半日遊びました。明日は帰しますが、今夜は一緒に眠ります。うれしいです。母の力の足りないことがしからしめているとは言え、この幼なさでたゞ一人の片親とも別れて住む今の生活が、他日必ず何らかの足しになってくれるよう祈らずにいられません。
  庖丁を入るればかなしみの伏兵あり韮よりいでて鼻を打つかな
  かゝる香のかなしみもあり四十余年いづれの日にや定かならねど
  折ふしのものゝかをりに思ひ出は稲妻のごとよみがえりつゝ
 
■返 事
 幸福と見ゆるもの必ずしも幸福ならず、真の幸福は却りて不幸の中にひそめり。神の愛と智慧とを信じて人の同情を求むることなかれ。たよるなかれ。人から羨まるゝ外形の幸福のいかに空疎なるかは、もう生方時代にイヤと言うほど経験して卒業したはずならずや。父さんは、あなたの今のそのまゝの境遇が、あなたに取りても、坊やに取りても一番恵まれたものであると信じ、又よくそれに堪えているあなたを、吾が子ながらえらい奴だと思っている。
 寒熱の地獄に通ふ茶柄杓も心なければくるしみもなし(古歌)
 水につけまた日に晒す人ありてあくぬけぬらし白袴衣
 鬼の目に涙はあれど泣かぬなりほとけ心をうちにひむれば
 
■慈雨子より(昭和三一・四・二〇)
 こゝ一寸お便りが途絶えたようでしたので御案じ申して居りました。昨日のお葉書でお変わりない御様子拝察、安心致しました。慈雨子は今も昔も仕合わせ者、堪える堪えないの段ではございません。どうぞ御心配な−。たゞ自分の不徳より、他に不幸を及ぼしたこと、これは常に胸が痛みます。文字通りの鬼子なりや。
 散るに早きさくら不思議と見上ぐればついばみ遊ぶ小鳥らありき
 ときのまの花に酔ひ痴れわめく声いたいたしくも遠く聞くかな
 ところでその桜もはや散り、山吹が咲き、つつじがふくらんで来ました。四、五日前、飯野氏の御誕生日に伺いました。珍しく宿南様も御来訪、奇遇を喜びました。多分来月上旬上京致す事になりましょう。久々で皆様にお目にかゝれますことを楽しみにして居ります。御大切に。
 
■返 事
 この頃、旅に出ようと思っていたところ、来月上旬御上京との知らせがあったので、それまで見合わすことにする。上旬はいよいよ何日頃になるか、日取り決定次第知らせて下さい。病人第一。あまり呑気にならぬよう。大師堂で宿南さんに会ったそうだが、どんな話があったか。
 
■慈雨子へ (昭和三一・七)
 半月ばかり遊んだ後、又働きに就きし由、安心した。少々勝手の違うところが、ありがたいところであろう。ダイヤモンドの十三面が悉く磨き出され、障礙がスッカリ除かれて始めて玲瀧の珠となるまでの修行である。オミコシがまだ上がらぬが、腰がぬけた訳にあらず、思い立つ日の吉日がまだ来ないだけのもの、しかし大分近づいては居るらしい。まア当てにせず待つこと。
 父と子は別れて居るも会へるなり会ふを願ふは別れをるゆえ
 
■慈雨子へ (昭和三一・八)
 今度、別の看護婦会へ入会されし由、あと濁さぬ立つ鷺の心得はあったことゝ思う。自己をみがくには、わるい境遇に身をおいた方がよいのだが、よくよく事情があったのであろう。明十二日に来客あり。それが済んでボツボツ出掛けるつもり。あなたが待って居るなら、やはり先にそちらへ参りましょう。
 一番困ったときのこと忘れずば、どこでも、いつでも無限の感謝が湧いてくる。心に不足起こるは、神を頼まずして物質を頼み、心が浮足になった証拠である。御用心々々々。
 
■慈雨子より(昭和三一・一〇)
 ご無沙汰を致して居ります。先だっては久々にお目にかゝれまして、うれしゅうございました。何日頃御帰宅なさいましたか。お別れした翌日、浜坂よりもう少し先の香住の病院に十日ほど参りました。浜坂駅で一寸降りたいなと思いましたが、お仕事々々々と思い直して、目をつぶったことでした。帰鳥しまして、また直ぐこちらの病院に来まして、もうかれこれ半月になります。
 この方は骨折ですので、また一、二ヵ月は居なくてはならないでしょう。
 鳥飼先生から頂いた梨を坊やの部屋に届けてから、あとずっと行ってやれませんが、暇をみてまた訪ねてやりたいと思って居ます。
 静かな心境で、秋の日々を送り迎えしていますからご安心ください。ではまた……。
 みな様によろしく。ご無沙汰おわびまで。早々。
 
■返 事
 秋の日々を静かな心境で送り迎えしているという御便りに、私も安心しました。
 別れてから宿南と名古屋の知人宅に各一泊、急行で十六日の夜立って十七日の朝、無事帰宅しました。しばらく留守をしていたために多少の用事が積もっていたので、心ならずもご無沙汰になりました。
 来月は又山陰回りで四国に行くから、会えると思います。仕事第一に楽しく清らかな生活をつゞけて下さい。
 私のなきまごゝろは通ふべしうつそみの身はよし見ずもあれ
 
■慈雨子より(昭和三一・一二)
きびしい寒さです。小金井はいかゞですか。よろしくお伝えのほど。先日はおば様御返事をありがとうございました。父様はもうお帰りのことゝ存じます。千葉様に連絡を依頼したのですが、留守に来られてそのまゝ立たれた由申されて来ました。まア逢わぬもよしと
あきらめました。
 徹君退院して神楽坂に居ます由、闘病中も現在も、いつもニコニコと落ち着いてなかなか良い若者の由、麻布から便りがありました。私にはこの上なきプレゼントでした。坊主も二十四日のクリスマスには金太郎になって踊りました。病人さんはあと一と月ほど入院していなくてはならぬので、当分こゝに居ります。
 良き年を迎えられんことを祈ります。早々。(鳥取市民病院にて)
 
■返 事
 逢えるときは逢うがよく、逢えぬときは逢わぬまたよし。逢うも逢わぬもその時々の風まかせ。昔の惟然坊もどきの風狂子。娘が玉の輿にのろうが、首釣ろうが、それでよしよしと笑うてかけ出す非人情、そのくせ人知れず泣いているなどゝ弱いところを見せ申さぬ。父さんも男だからね。
 
■慈雨子より(昭和三二・二)
 父さまからも、おばさまからも御便りをいたゞきながらご無沙汰をしてしまいました。去る二十六日から浜坂から二つ先の当地に来て居ります。
 二十五日に河原にお見舞いに行き、帰途田中寒楼翁に逢い、しばらくぶりで先生の響咳に接しました。父様の書かれたものを見たいとおっしゃってでした。本年八十一歳を迎えられて、益々御元気です。
 今度の患者さんは、父様より一つ上の八十歳、時々おっしゃることが、おかしいけれど、高潔な過去の御生涯の偲ばれる美しいおじいさんです。こゝでも親孝行のできる因縁も奇しきものと感謝して居ます。投げやりの気持ちからでなく、人力の極まるところ、明日のことは明日にて足れり、今をより良く生きることに努力して居ます。
 小金井では淋しくなられましたとのこと、謹んでお悔やみ申し上げます。右まで。
 
■返 事
 久しく御便りがないので、ちょっとばかり心配していたが、今年初めてのはがき拝見、雲はれて月を眺める喜び、折しもの初雪、窓をあけて西の空を望めば、たゞ一面の銀世界、いつか夜久野に行こうとした時や、松崎で雪の中を別れた時のことを思い出し、そちらの寒さが偲ばれます。父さんを介抱する心で、そちらの御老人を大切に看病するとの御心掛け、何よりうれしい。
 「このいと小さき者になせるは我に為せるなり」 (キリスト)
 父さんの心の中に宿り給うキリストが、どんなに喜び給うことか。その陰徳はキット回向されて坊主の上にも、必ず善き日がくるでありましょう。
 小金井では、おじいさんが亡くなった代わりに、また第二女が生まれ、ちょうど昨日が七夜でした。
 この頃は短歌の方はいかが。聖書を毎日読むように。「竹鄰だより」四〇一〜四一五信を送ります。
 
■慈雨子より(昭和三二・二)
 昨日御葉書入手致しました。二月六日は父様はお忘れでしょうけれど、実は私の誕生日なのです。ちょうどその日に御便りが来た事が嬉しくて、早速返事もせず、ニコニコして一日が終わってしまいました。
 すると今日は「竹鄰だより」、重ね重ねありがとう存じました。拝見してますとね、父様のいらっしゃるどこへでも腰巾着みたいに、くっついて歩いているような気がするんですよ。殊に四国なんか、一度伺った記憶が新しいだけに、打越さんだの、千葉さんの御家族の方だのゝ御様子が目に見えるようです。
 みいちゃん、今度は女の子ですってね。上手に生み分けて−なんて言ったら怒るかな。いよいよお母様らしくおなりのことでしょう。おめでとうと言って下さい。
 おばさま、満穂ちゃんによろしく、逢いたいな。右まで。
  わが性のつたなき故に憂き思ひ人に与ふることの多からん
 日々の反省です。
 
■返 事
 こちらからの葉書、ちょうどあなたの誕生日に着きし由、そういうことはよくあるものだ。何年か前、ヒョツコリと勝山に帰ったら、その日が図らずも母の何年忌だったことがあったっけ。
 そういうことから父さんは一つ記念帳を作って、故人の忌日や、身内の者の誕生日、知人の結婚日等、何でも記念すべき日を書き込みおき、その日に特にその人を偲ぶことにしようと思い立った。それには日記帳を求めて、だんだんとその日の欄に書き込んで行ったらよいと思う。その帳面には「恩寵の御座」と題したらどうであろう。
 天に在します神様を中心に仰いで既に霊界に在る魂と、なお地上にいる人達の上に、平等にそゝがれる恩寵をその記念の日に祈るのです。お父さんは早速はじめるから、あなたも是非やってください。
  かたくなゝ父にはあれど子を思ふこれの心は神ごゝろかも
   「父の心に子を慈(おも)はせ」 (ルカ傳一〇十七)
 
■慈雨子より(吉子宛) (昭和三二・三)
 お便りありがとう存じました。
 お彼岸の中日に雪が降り、今日は霰がばらつきました。いやはや結構な、というより申し様もありません。弱音をお聞かせするのは本意じゃなし、さりとてカラ元気を装う気にもなれず、こゝのところ格闘しています。逃げるなんてのは字を見てもイヤだし、だけどお仕事お休みしたいなと思うのが正直はなし。道理が分かっていながら、まごまごすることがあるもんですね。
 悔しいけれど一寸へこたれた形です。きまり悪し。だけど黙っていると消えちゃったかと思われても困るので−皆様御元気でなにより、順子ちゃん、おめでとう。
 
■返 事
 とうとうおばさんに弱音を吐いたね。その弱音の奥に非常に強いものゝあるのが感じられ、父さんは心強く思う。女は弱し、されど母は強しかなア。
 清水崑の画くカッパの若い女の円転滑脱、神通自在ぶりが、大変慈雨ちゃんに似ているので、いつも微笑ましく見ている。
 今度のところは大変長いようだが、御病人の容態はどうかな。言うまでもないが十二分に親切にしてあげて下さい。そして勤め先が変わったら直ぐ知らせること。
 
■慈雨子より(昭和三二・四)
 おはがきと「竹鄰だより」入手、ありがとう存じました。この二、三日、前に送っていたゞいた分を読みかえしていたところでした。
 転んで泣いている弱虫が「おゝ強い強い」と褒められているような、きまりわるさです。
 パチンコで飛ばされた王のように、親しい人達から離れて、なんと三百里、二年あまりを、どうやら独り歩きしているような格好ですけれど、ほんとうに格好です。
 姉から「強情ばり−ッ」だの「ゴテ慈雨」だのと呼ばれて来た私ですが、近ごろとみに弱いということを確認してまいりました。これが真面目なら、これでもよかろうと思います。(「よかあない、ちっともよくない」と、もう一人の自分がまぜかえします)
 意志の少しも混じらない愛がほしい。水の流れが無心に地を潤すような−。
一寸でも「考え」がはいると、外見は同じでも、とても汚らしいものになります。結局無我になり切れぬからでしょうが、むつかしいことですね。仰せの玲瓏の玉への道は、はるかに遠うございます。
 目下タドン時代です。四の五の言わず、考えず、ポカンとしています。山陰線見たいですね。トンネルに入ったり出たりして。それでも今はね、一寸出て来たところなんですよ。心配しないで下さい。一寸長すぎて、むせっぽかったけれど−。
 病人さん、耄碌してられるので、とんでもない分からず屋になられることしばしばですが、夕食の時、あなたの手から食べさせてもらうのが一番おいしいと言ってでした。これも呆けて言われたのかも知れませんが。みなさまによろしく。
 み光の照らすをおぼゆその唇に御名のぼせ得ぬ罪の子われに
 
■返 事
 お手紙ありがとう。
 よし格好だけにしても、あなたが独り歩きをして下さるのはうれしい。
自らの弱さの自覚、それは真に強くなる前提でありましょう。本当は、自らの強きを恃む者は弱いので、自らの弱さを知って慎む者が強いのではありますまいか。
 「わが力は弱きうちに全うせられるばかりなり……むしろ大いに喜びてわが弱きに誇らん、この故に我はキリストのために、弱き、はづかしめ、なやみ、迫害、苦難に逢うことを喜ぶ、そはわれ弱き時に強ければなり」(コリント後書十二〇九、一〇)の聖句を十分に味わってください。
 人は誰でも弱い者なのです。しかし弱きに甘んじようとする、あなたの心に「よかあない、ちっとも善くない」とさゝやく第二のあなたこそ、それがキリストなのです。キリスト(神)のみが、弱き者を強くして下さるのです。
 あなたの求めている意志の混じらぬ愛、それこそ神(キリスト)の愛であります。あなたがそれを求めているその心の中に、神がいかに近づき給えるかを知れ。
「求めよ、さらば与えられん」……「み光の照らすおもほゆ」と言うあなたの歌の通り、神の光は孤独なあなたを照らして共に在り、病人に対する愛の行が誠実なるに比例して、あなたは光と共に神の愛をいよいよ深く味わうことが出来るのです。
 教会に行かなくてもよい。必ずしも祈らなくてもよい。神の光は日光のごとく常にあなたを照らし、その愛の暖まりが不断にあなたの心を生かしめ給うて居る。その霊的事実を信じて下さい。おゝ恵まれたるわが娘慈雨子よ。
 
■慈雨子より(昭和三二・三・一〇)
 お手紙ありがとうございました。
 この三日頃まで霰がばらついたりしていましたが、当地もやっと本格的な春を迎えたようです。
 きのうきょうのうらゝかさ。
 らちもない考えに捉われるこの頃、澄んだ鴬の鳴き声に思わず唇を綻ばせます。
 国立時代にお作りになった「たゞ啼くばかりみほとけの………」の歌が思い出されて、無心なるものへの限りない思慕を感じます。
 安心とやら、思慮とやら、分別とやら……まわりに高からぬ山を繞らした漁港、穏やかにたゆとう波に鴎が四、五羽、泳ぐでもなくプックンプックンと浮かんでいます。セルロイドの玩具の水鳥のようでおかしい。お腹を上向けて霰に打たせながら川を流れて下るお魚の話をしましたっけね。こんなのだの、プックンプックンの鴎だのが大好き。何の力もないのに、あゝじゃ、こうじゃと考えたりすることに草臥れて、いっそあんな風に、全身心の力を抜いて「まゝよ」と言って見たいのかもしれません。御旅行の気が向くのはいつ頃でしょうね、お帰りになる時でも、御一緒に東京まで行って見たいとも思います。来年はどんな風に吹かれるやら皆目わかりませんが、とにかく坊やの進学がありますし、ものものしい事になるかも知れませんので。
 この手紙の着く頃は小金井の花も満開になるんじゃないかしら、順子ちゃん生まれてくれたけれど、小金井のおばあ様にはお淋しい春ですね。折がありましたらよろしくお伝え下さい。
 
■返 事
 今年の春は当地は雨がなかったので、花の咲くのが遅れたが、とうとう雨を待ち切れず、一時にヤケに咲き出したと言った塩梅、そこへ雨が来て残酷に四分通り散らしたので、昨日の日曜日は天気もよし、花の命も長くなし、相当の人出かありました。
 人を「外なる人」と「内なる人」に分けると、外なる人は応事接物、千変万化していかにも利口気に見えても、内なるその人は存外善愚なのではあるまいか。
 あなたの理想とする「無心」も恐らく善愚の姿でありましょう。神の愛は何よりもこの善愚の魂に向かって注がれているので、宗教によりて己を飾る「外なる人」よりも、むしろ宗教なき「内なる人」こそ神の恩寵に浴して居るのであります。
 但しこの内人、善性なれども善愚なところから、時に迷うたり、いらぬことを考えたり、ふさぎこんだりするのです。だから心を開いて神を迎え、神を主人として仰ぎ仕えるまでは、エデンの園のエバの如く、蛇の誘惑にかゝる危険にいつもさらされているわけです。
 未だ罪の経験なきエデンのエバほど浄潔な、善良な魂はありません。如何んせん、その月よりも浄く花の如く善美な魂に悪のたくましい詭計を見破る叡智の眼が開かれて居ないのです。恐らく結婚や恋愛に殉ずる天下の女性は、みんなこのエバの失敗を繰り返しているのではあるまいか。
 さればこそシェークスピアも「女は弱し、されど母は強し」と言っている。女は「子を生むことによりて始めて救われ」そして強くなるのです。道元禅師の歌に、
  水鳥の行くもかへるも跡絶えてされども道はわすれざりけり
とある。無心なおまかせな生活にも自然に忘れ得ぬ「道」あり、これが神の摂理の導きでありましょう。何人もこの恵みある神の導きの支配を受けぬ者はありません。ありがたいことですなア。
 来る二十二、三日頃、北海道から見える人があるので、その人に会ってから、ボツボツ旅に出たいと思っております。
 
■慈雨子より(昭和三二・七)
 ご無沙汰しています。
 梅雨もあがったらしく、今日はきびきびとした暑さです。
 この度はお眼にかゝれませんでしたが、みな様お元気でしょうね。
 休むに似た考えをしたり、働いたり−昨日からこちらにきました。取り急ぎお知らせまで。変わりましたら又お便りします。早々。
 
■返 事
 鳥飼先生から一寸電報をして頂いたのですが、お勤め先、シカと分からず、余日がなかったので、心残してそのまゝ帰京しました。
 香住でよっぽど下車して見ようかと思ったが、やめにしました。お互いに別れては居らぬのだから、強いて逢わねばならぬこともない。勤め先が変わっても、すぐ分かる連絡所を知らせておいて下さい。
 東京も今日から急に暑くなって来た。暑いのも天のたまわる御馳走ぞ。ありがたく満喫しような。
 
■慈雨子より(昭和三二・九)
思わぬご無沙汰、平に御容赦くだされたし。
お申し付けの借用の本返送のびのびになりましたこと、重ね重ねおわび申し上げます。
 その後、香住の病院に出張、帰って来てから市民病院で、子宮癌で重症の方の看病に、昨日まで行って来ました。既に膀胱の方まで拡がって、殆ど絶望の状態でしたが、今度は漢方による自宅療法をされる由、大本教の信者ではありますが、一寸首をかしげさせられた点がありました。癒えぬまでも平和な御生涯をと祈りましたが、力の足らぬ身の短時日のご縁が歎かれます。
 この仕事につきましてから二年半、かれこれ十五、六人ほどの方たちに接しましたが、その都度教えられ、悔やまれることのみ多い次第です。己が愚かさを詫びこちらから月謝を出さねばならぬのに、御苦労と言われ、謝礼までいたゞくことに、何とも言えぬいやな矛盾を感じます。こんなことが溜まったら、長生きすればするほど胸の中には真っ黒なオリが一杯になるのじゃないかしら。コマルコマル。
 みいちゃんの赤ちゃん、可愛くなったでしょうね。私も明日は久しぶりで坊主に逢って来ましょう。
 常日頃のお守り有り難く感謝しています。末筆ながらみな様によろしく、御健康を祈り上げつゝ。
 
■返 事
 久しぶりのお手紙と「カルメル山の小さき花」、それからお心尽くしのチョコレートありがとう。お互いに筆不精でご無沙汰をするのも、えゝもんじゃなア、どうしているかと長い間気遣っているだけに思い掛けぬ時の便りは、雲晴れて明月を仰ぐようで、心も晴れる、気もはれる。手紙もありがたし、手紙の価値を幾倍する、ぶさたまたありがたし。
 この理を押し広めると、吉凶禍福は言うまでもなく、日々心に往来する煩悩も妄念も、うさつらさも、腹の立つ、クシャクシャする、みなみなありがたく、いわゆる随所に主となることが出来るのであろう。こういう小悟りの味わいを話して分かるのは慈雨ちゃんだけじゃが、分からぬ者の多いのもまたありがたい。なんとそうじゃないかな。
 もう二十日ばかり前のこと、一燈子から満穂に電話がかゝつて、慈雨ちゃんの居所を問い合わせたとの事、別に変わった事もないと思うが、連絡の所を知らせてやって下さい。
 この秋ヒョットしたらそちらにまわるかも知れません。坊主も大分大きくなたのであろうなア。
 
■慈雨子より(昭和三二・一〇)
 胃の手術を受けた方の付き添いに二十五日ほど出張して帰りました。先日一寸帰宅しましたとき、「竹鄰だより」を入手、息つくひまもないまゝに、御返事もそのまゝ、今度の帰宅でお葉書入手、ありがたく拝見致しました。
 十月になって、めっきり引き縮まった気候になりました。来春三月、一転機を迫られている感あり。養家先より正が大竹へ帰り、高校に通っている由、麻布より便りがありました。
 坊主も元気です。鳥飼先生にご無沙汰、気になります。
 年末か来春上京の予定。坂東長重郎さんのヤンチャぶり、ほゝえましく、なつかしく思います。
 
■返 事
 長い間出張中の由、こちらからの便りに対しなぜ返事が来ぬかと心配していた。お父さんも年内には山陰、四国を回りたく、今度はお目にかゝりたいと思う。たゞしあてにしせず待つべし。
 取り越し苦労をするだけ、今日の勤めがおろそかになっている。人生無常、一寸先も分からぬ、たゞ大能の御手の導きを信ずれば、座頭でも京に上れる。その一あし一あしがまことに楽しい。楽な時はおそれよ。苦しいことや困ったことのあるほど有り難しと知るべし。
  「恵みの御手に目をおおわれ 明日のことさへ知らぬわれ
   みちびかれつゝ行く旅路 神知りたまふとほめ歌はん」
 
■慈雨子より(昭和三二・一〇)
 先日はお葉書ありがとう存じました。
 足弱な娘の上、いつもお心にかけて下され、勿体なく存じます。
 心躓くことのあり、沈潜して居ました。
 従容として暗きにありて、苦きを飲みてこそ、天来の光明のうれしさに逢い、美酒の芳醇さを味わうことが出来るのでしょう。
 御西下の折り、御一報下さいませ。みな様によろしく。
 
■慈雨子へ (昭和三三・三)
今日は女の子のお節句、今日位、慈雨子がひょっくり遊びに来てくれぬかなと思って居る。お勤め忙しき由、結構なり。己を忘れて奉仕して居れば、そこでお父さんに会っているのだ。
 
■慈雨子より(昭和三三・三)
お葉書ありがとう存じました。相変わらず元気で働いています。
先日鳥取の坊やから手紙が来ました。一生懸命書いた、ものすごいお手紙に瞼が熱くなりました。折れた足はもう直りました由。園長先生、奥様はじめ、実習生の方たちからの詳しい御報告に大安心致しました。当家では十五日までゞ勤務を打ち切りますので、心残りのないよう締めくゝりをつけたいと思います。
皆様元気でしょうね。この二、三日の寒さ! おいとい下さいますよう。早々。
 
■慈雨子へ (昭和三三・四)
無事御帰鳥の由、お知らせ下され安心致しました。おばあさん風邪の由、心残りなきよう十分大事にして上げて下さい。
 「明日のことを思い煩うなかれ、一日の苦労は一日にて足れり」
「めぐみの御手に目を蔽われ、明日のことさえ知らぬわれ、神知り給うと、ほめうたわん」
 
■慈雨子より(昭和三三・六)
皆様お元気のことと存じますが、いかゞですか。今月十日に当病院に参りました。十日ほどの予定でしたが長引いています。丈夫で働いていますから御安心下さい。梅雨期ですのに降らないでいけませんね。断水の不自由もさることながら、直接農事にたづさわる人達を思うと気がもめます。
 
■返 事
何もかも、みなこのまゝで有り難いのだ。お天気も結構、雨降りも結構、天道さまのなさることに、人間として何も不足を申し上げることはありません。
梅雨期に雨が降らぬのも、人心のドライを戒めて下さるのではあるまいか。慈雨という名を持ったあなたはいつも潤いある心から善行の雨をその隣人の上に降らせて下さることゝ思う。かりそめの暑中見舞いのお葉書も慈悲の雨の一しづく、ありがたくいたゞきました。
 かわきたる人の子多しこの胸ゆ生命の水の泉わけわけ
 
■慈雨子へ (昭和三三・七)
相変わらず忙しき由、仕事が一段落ついたら遊びに来なさい。山陰時代の方が比較的余裕があったようですな。近くなって却って遠くなった思いです。神との交通に於いて内部生活が養われ、日々新しく、次第に高められるのでなければ、物質生活がいかに豊富であっても、人間が俗劣になってしまいます。御用心々々々。
 武美の方は大丈夫かな?
                         (平成八年三月十五日刊行)
 

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更新日2001.04.21