翻訳作業は続いた。そもそも天皇がシンボルだというところからして日本語にしにくい。

「白洲さん、シンボルっていうのは何やねん?」

小畑が次郎に大阪弁で尋ねてきた。

「英国じゃイギリス国王は国民のシンボルということになっているから、それを持ってきたんだろう。
でも、日本語ではどう言えばいいのかな....象徴とでも言えばいいのか....
そうだ、そこにある井上の英和辞典引いてみたら?」

”井上の英和辞典”とは、大正四年に井上十吉(いのうえじゅうきち)によって編まれた
井上英和大辞典(至誠堂書店)のことである。 

次郎の言葉に従って小畑は辞書を引いてみた。

「やっぱり白州さん、シンボルは象徴やね」

新憲法の”象徴”はこうしたやり取りで決まったのだ。


北康利著『白洲次郎―占領を背負った男』(講談社)より

白洲 次郎(しらす じろう、1902年2月17日 - 1985年11月28日)
日本のオピニオンリーダー、官僚、実業家。終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任した。

兵庫県芦屋市出身。1919年(大正8年)神戸一中を卒業しケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学、
専門は西洋中世史、人類学などであったが、近代経済学の祖ジョン・メイナード・ケインズの授業を受けたこともある。
自動車に耽溺し、ブガッティやベントレー3リッターを乗り回していた。
7代目ストラフォード伯爵(英語版)“ロビン”ロバート・セシル・ビングと終生の友となり、1925年冬ベントレーを駆ってジブラルタルまでの
ヨーロッパ大陸旅行を実行している。カメラはライカを所有していた。1925年(大正14年)、ケンブリッジ大学を卒業。

連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、
商務省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。
吉田茂の側近として連合国軍最高司令官総司令部と渡り合い、「従順ならざる唯一の日本人」などの評を得るに至る。
吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業の役員を歴任した。

憲法制定場面に使用された『井上英和大辞典』でsymbolを引いてみたかった。(上) ジーニアス(GENIUS)でも引いてみた。(下)
新憲法『象徴』 歴史に刻まれた大正生まれの”井上英和大辞典”
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