国指定 重要無形民俗文化財



              


綾子舞・現地公開は、毎年9月第二日曜日に開催されます。

◆綾子舞の現地公開は、毎年敬老の日(9月15日=黒姫神社秋季例祭)に行われていましたが、国民の祝日に関する法律の改正により、敬老の日が不定期になりました。
これに伴い 9月15日に実施していた綾子舞現地公開は「毎年9月第二日曜日」に変更されました。
 

       ◆綾子舞現地公開・依頼公演予定
 
綾子舞の里

◆新潟県柏崎市から南へ16キロ、西方に米山、東方に黒姫山を間近に望む女谷(おなだに)の下野(しもの)、高原田(たかんだ)両地区に伝わる綾子舞は、民俗芸能の白眉と称されています。

◆ 踊りと狂言と囃子舞の三種類の芸能から成り立っていますが、特ににユライと呼ばれる赤い布の冠り物など、踊りの身なりが「采女歌舞妓草子」などに見える阿国歌舞伎(おくにかぶき)に生き写しであり、また中世や近世初頭に流行したたくさんの小歌を今に伝え、舞踊の振りや構成にも古風な初期かぶきの俤を色濃く宿しています。

◆わが国の伝統芸能の中核は歌舞伎であり、その本質の究明に様ざまな努力がなされてきましたが、その研究の最初に必ずと言ってよいほどこの越後の綾子舞が議論されているのです。

◆そうした芸能史上の価値の高さは言うまでもないのですが、振りがまた非常に美しくて、東京で百五十名もの舞踊家がこの綾子舞を習っているというほどですから綾子舞の魅力のほどがわかるというものです。 <後略>
                         国立劇場・第12回民俗芸能公演 案内より
 
踊り・狂言・囃子舞    柏崎市綾子舞保存振興会 案内より

  綾子舞は、小歌踊・狂言・囃子舞の三部門からなりたっています。

    近年まで、小歌踊 11曲、狂言 28番、囃子舞 23曲が伝えられています。
 このうち、現在上演できるものを列記してみます。
 常陸踊、海老すくい、閻魔王、明神狂れ は下野、高原田両座元で演じらています。


小歌踊
     ・下 野:小原木踊/常陸踊/堺踊/恋の踊/田舎下り踊
     ・高原田:小切子踊/常陸踊/因幡踊
      
 それぞれ踊り方を異にしていますが、歌われる歌は室町文化の華やかさを表現したもので、いずれも最も華やかだった古歌舞伎踊りのころのものといわれ、資料の資料の乏しい古歌舞伎源流の研究に大きく寄与するものといわれています。

 踊りは高原田は少女二人、下野は三人によるのを常とし、いずれも頭にユライと呼ばれる赤布の特殊なかぶりものをし、その一端をうしろに下髪のように長く垂らします、長い袂の振袖、だらりの帯たぐり、白足袋のしたくに、手に扇をもち、足拍子を踏んで踊ります。特に中腰になっての舞姿や、独特の手さばきは、古典的な美しさをもっております。

狂  言
     ・下 野:三條の小鍛冶/閻魔王/海老すくい/布晒し7龍沙川/佐渡亡魂/明神狂れ
     ・高原田:唐猫/烏帽子折れ/掏摸/鐘引/明神狂れ 

 狂言は徳川中期のころ、京都の寺侍・茂田茂太夫という狂言師が夫婦できて住みつき、教えたものともいわれています。
 今の能の狂言が武家の趣味にしたがって洗練されたのに対し、これは民間にあるままに大衆と共に残ったもので、はつらつたる面白味を残しております。また歌に合わせる舞の様式も甚だ古風であります。

 
囃子舞
     ・下 野:恵比寿舞/亀の舞/さい鳥指し舞/打ったり舞
     ・高原田:猩々舞/肴さし舞/ 蟹舞
     
 囃子舞は、狂言と同時代のものとされています。



綾子舞復活の二人の恩人

 越後の国柏崎市女谷に残る綾子舞は、もと綾子踊とも呼ばれた。歌舞伎の創始者と云われる出雲の阿国などが踊ったやゝこ踊やや小原木踊などの碗麗な踊の面影を今に伝えている珍しい踊である。
 この踊も戦後は廃絶寸前であった。私は戦後、昭和24年4月に上京したが、偶々演劇博物館の書庫で、民俗芸能関係の図書を調べていたところ、柏崎市の校友・桑山太市
(※)のお書きになった小冊子「綾子舞見聞録」に、昭和16年6月15日、当時の鵜川小学校で、藤田徳太郎、町田嘉章、藤井清水等の東京からの客を迎えて催された綾子舞の記事と、綾子舞一応の紹介を誌したものであった。 (以下略)
               
           早稲田学報(平成4年)・本田安次「綾子舞採訪記」より
 (前略)
 昭和23年8月18日、早稲田大学教授の本田安次氏が突然鵜川村を訪れ、一週間滞在して、下野、高原田はもちろん折居、その他の集落にも足をのばし、資料を探し、古老との面接、実演鑑賞をされました。
 このとき本田先生が鵜川村に来られなけば、恐らく綾子舞は永久に土に埋もれ、鵜川から一歩も外へ出ることはできなかったでしょう。その後も幾たびか鵜川に来られ調査されました。この執念深さと学問に対する情熱には深く感謝します。
 昭和26年11月、綾子舞は、いわば檜舞台といわれる第2回全国郷土芸能大会(主催文部省芸術執行委員会、日比谷公会堂)に出演しました。この出演にあたっては、本田氏のひとかたならぬ尽力があったわけです。
 この出演の話が決定したとき、綾子舞の統率者であった高橋時中さんは感激して「綾子舞万々歳」といって眼に涙をにじませたほどでした。 (後略) 
      
                    「綾子舞への案内」柏崎市綾子舞保存振興会より
                              (※桑山太市朗との記載もあり) 

NHK 芸能百選 娘たちのまつり
       綾子舞・芸能百選-1
昭和49年(1974)4月1日 NHK 芸能百選 「娘たちのまつり」として放映
写真:リハーサル時撮影

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