(4)『鉄道先人録』から高橋前駅長の項目を筆写転載

 ◆初代東京駅長・高橋善一氏を簡潔に紹介しているのは、この「鉄道先人録」。
  閉館の決まっていた、万世橋の「交通博物館・図書館」で筆写したものである。

 ◆安政4年(1856)とありますが、「安政4年(1857)」が正しいのでは・・・と思います。

 ◆ふりがなは「よしかず」とあるが、家族では「ぜんいちおじいさん」で通っている。
  また、享年74歳とあるが、実際は 67歳であった。




                     
       

鉄道先人録  
           (財)日本交通協会 
昭和47年10月14日発行

 橋善一(たかはし よしかず)

 安政4年(1856)8月3日、三河国吉田城下(豊橋市)に生まれた。明治6年9月新橋保線科に下級駅夫として入ったが、これが彼の半世紀にわたる鉄道生活の踏み出しであった。

 明治12年8月神戸詰の車長となり、13年7月開業の初代馬場(現在の膳所)駅助役となり、14年4月馬場駅長、15年6月長浜駅長(15年3月開業)を歴任。18年7月工部六等属となり19年2月武豊駅長(19年3月開業)、20年7月名古屋駅長(19年3月開業)に就任、24年4月五代目の大阪駅長の職に就き、28年11月。帝都の玄関、新橋駅長に就任した。時に40歳。鉄道書記二級であった。以来、現在の東京駅出現まで約20年にわたって新橋駅長として精励格勤これ努め、皇室、宮家を初めとする内外貴賓の送迎、その他率先献身して一日も休むところがなかったという。明治33年6月鉄道事務官補となり、ここで高等官七等に昇った。

 新橋駅在勤の大正2年9月には在職40年の表彰式が帝国鉄道協会であげられた。床次鉄道院総裁、野村副総裁以下鉄道首脳を初め、民間著名人も多数出席して盛大な表彰式が行われたが、内外からの醵金総額は
8,966円 (鉄道 2,479円、6,941人。外部 6,487円、1,127人)に達し、これを花瓶一対と残り8,300円を養老金として贈られた。

 大正3年12月東京駅の開業とともに初代駅長として就任、高等官五等、二級俸であった。この新装の大東京駅に長としての氏の欣快思うべく、ただに10万の鉄道従業員の敬慕と欽仰と一身に集めたばかりでなく、皇室関係のご信任も厚く、先に両陛下のご写真を拝載、また外国皇帝からも勲章の贈与を受けた。大正10年10月の鉄道50年祝典には、現業最長の48年勤続で表彰を受けるなど、その存在は、当時、鉄道を代表して、大きな光彩を放った。


 大正12年3月、高等官三等一級を最後に長くかつ華やかだった鉄道生活に終止符をうったが、2ヵ月後の5月20日小石川関口の大滝に自動車もろとも顛落し、早稲田病院に運ばれたが、ついに立たなかった。74歳。
東京芝の青松寺に葬られた。
                

   《交通博物館・図書館にて筆写》

『鉄道先人録』

日本交通協会鉄道先人録編集部
日本停車場(株)
昭和47年(1972)発行

  目次に戻る     次ページ