(17-1)高橋前駅長の葬儀の模様を報道した当時の新聞記事







       
 
 運転手起訴を猶予の願い
  惨死した高橋善一翁の未亡人から

 関口の大滝で不慮の惨死を遂げた高橋前東京駅長の乗った自動車の廣瀬運転手は大塚署で取調べの結果、過失罪に依り起訴する事になったと聞いた善一翁未亡人は、何も因縁と諦め起訴を見るに忍びないと起訴猶予の願書を同署へ出したので同署でも起訴の意見を附して検事局へ書類を送る事になった。聞くも美しい話である。
       
読売新聞(1923/5/23)より

 高橋善一翁の葬列は
      東京駅前を通る

   
同所で駅員が整列して見送り

 小石川江戸川の大滝に墜落惨死を遂げた前東京駅長鉄道省副参事高橋善一翁の告別式は今二十三日午後一時から三時迄の間に於て芝青松寺於て佛式で行わるゝ事である。
 自邸を午前九時十分出棺、道を東京駅前にとり十時二十分着、折柄生前に恩故を受けた駅員三百余名は駅頭に参列し礼拝の筈。葬儀委員長は花村上野駅長、委員折井東京駅主席助役、委員木村同駅助役其の他数名であるが会葬者は実に夥しき見込である。
 尚、同駅長の戒名は「諦観院殿直指玄性居士」である。
       
東京日日新聞(1923/5/23)より

 
高橋前東京駅長 葬儀

 奇禍のため江戸川大滝で惨死した前東京駅長高橋善一翁の葬儀は二十三日午前十一時から芝青松寺でしめやかに執行された。
 これよりさき、新緑に囲まれた芭蕉庵には、嗣子榮一君を初め老夫人、孫一雄君親族一同、それに生前翁に薫陶を受けた駅員の多数が集まって、午前九時青松寺の僧侶四人が読経裡に納骨式を済まし、同十時花輪に埋まった霊柩自動車を先頭に家族その他一同の分乗した十数台の自動車が出発。恨みの奇禍の現場、大滝の側を通過して泥濘の道を静かに東京駅に徐行した。
 駅前の広場には、吉田駅長を筆頭に生前長く翁の恩顧を受けた駅員、赤帽、自動車運転手、人夫、精養軒のコックなど二百余名列をなし、棺に向かってうな垂れる。女事務員からは、すすり泣きの声さえ漏れ、家族は思い出の駅を目の前にして涙を拭い、通り縋りの人々もこの情景に真顔になって付近に立ち塞がる。
 かくして葬列は日比谷公園を一直線に、桜田本郷町を右折して葬場に到着。棺は鯨幕を巡らした天幕張の中を数人の白丁に担がれて斎壇に安置される。
 斎壇には両陛下を初め、各宮家から供物、真新しい生花が列べられ、その周りには九條、松方両公、大隈侯、森村男、その他相撲協会、東京、上野、潮留の各駅人力車夫一同、精養軒と、各方面からの花輪が五十余積上げられ、翁の生前を忍ばしめる。村井東京鉄道局長、花村上野駅長を始め、会葬者約二百数十名。
 正午、佐藤鉄額導師以下衆僧の読経裡に家族の焼香を終り、午後一時から三時迄一般会葬者に告別式があり、終って遺骸は桐ヶ谷に送られ、火葬に附した。

             読売新聞(1923/5/24)より

      
    新聞記事原文
       
   (茶字は編注。句読点、改行を一部追加した)

新聞報道
読売・東京日日
大正12年5月24日

目次に戻る     次ページ