(20)こんな情報もありました

◆高橋駅長は、24歳の時、馬場駅長に着任以来、長浜、武豊、名古屋、大阪、新橋の各駅長を歴任してきた。
   Web情報から、高橋駅長のエピソードを探ってみた


  「崎陽軒の歩み」より  URL http://www.kiyoken.com/history/senzen/senzen.html
  




 崎陽軒の歩み
 ■ 創業から戦前の崎陽軒 より


 1908年(明治41年) 横浜駅構内の営業許可

 4月、4代目横浜駅長であった久保久行は、退職後、知人であった
東京駅長高橋善一の働きによって、妻久保コト(旧姓野並)の名で、横浜駅構内営業の許可を受けた。 当時の横浜駅は現在のJR桜木町駅である。
 主な扱い品は牛乳・サイダー・ミルク・餅で、弁当は扱っていなかった。駅売り弁当の始めは宇都宮駅で白木屋旅館がにぎり飯を販売したものとされている。
これは1885年(明治18年)で、1987年には姫路駅で幕の内形式のお弁当が販売されている。東海道線区の構内営業でも国府津に東華軒、沼津に桃中軒、大船に大船軒、平沼に東洋軒が弁当を取扱っていた。 
       後略

「崎陽軒の歩み」(旧版) より
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