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1999年の日記です。


1999年12月28日(火)楽遊壽林自然館の入り口

 甘党娘たちは甘党母の実家に行ってしまい、我が家はとても静かになってしまった。淋しいくらいである。これではいかんと、甘党母と出かけることにした。場所は箱根である。露天風呂に入ってのんびりとしようという作戦である。『楽遊壽林自然館』というところに貸し切り露天風呂があるというので、そこに行くことにした。楽遊壽林自然館に事前に電話をして聞いてみると、貸し切り露天風呂は当日の予約受付であるとのことであった。それでは、移動中に電話すればいいやと思い、出かけることにした。小田原厚木道路を走っている時に楽遊壽林自然館に電話するが、話し中でなかなかつながらない。これはまずいと思う頃にやっとつながった。予約はけっこういっぱいで、12時からにすることにした。11時少し過ぎた頃に楽遊壽林自然館に到着し、昼食を食べた。せいろそばを2枚食べた。それからいよいよ露天風呂である。案内されていくと、やや小さめの岩風呂があった。洗い場も何もないが、開放的な露天風呂であった。湯は無味無臭で適温である。長湯ができる温度であった。時々、火照った体を冷やしながら湯に浸かった。家ではできない贅沢である。湯に浸かっているうちに制限時間 が来てしまった。たまには、こんなデートもいいんでないかい。




1999年12月25日(土)

 DELLのショールームに行った。期間限定でオープンしているとのことで、予約していたものだ。実は、時期メイン・マシンはDELLにしようと密かに思っていたのだ。ショールームは我が家から自転車で20分ほどの所にある本社の中にあった。マシンに触れながら、担当のK氏の説明を聞いた。最大の悩みは、新型Coppermine+820チップセットにするか、Katmai+440BXチップセットにするかであった。将来性ではCoppermineだし、コスト・パフォーマンスではKatmaiだし・・・。いろいろ説明を聞いて、価格が下がったPentium500MHzにメモリーをいっぱい積んだデスクトップにすることにした。マシンが甘党家にやってくるのは、来年になるということである。楽しみである。

1999年12月24日(金)

 クリスマス・イブである。クリスマス・プレゼントについて、甘党娘たちから「ドリームキャスト」というリクエストが出ていたのだが、これは断固拒否してしまった。ということで、昨日娘と母たちで、トレーナーなどを“プレゼント”と称して買ってきていた。つまらない。枕元にそっと置いておくというのが甘党家の伝統だったのだが、その手が通用しなくなってしまった。実に夢がない。
 クリスマスケーキは、甘党家御用達の『ロッキー洋菓子店』である。昨年、ミルフィーユを買い損ねて後悔していたので、今回は「買う!」と決意して出かけた。店にはいると「あった!」。昨年と見た感じが異なるようだが、そんなことは言っていられない。「ノエル・ミルフィーユ」と普通の生クリームのケーキと二つを買った。夜、家族みんなで食べた。ミルフィーユは上品な甘さで、なかなかおいしい。カスタード・クリームもよろしい。ケーキの方は、大量に作るせいか、スポンジのフワフワ感がいつもより落ちる。それでも、生クリームは軽い甘さでおいしかった。今年は二つのケーキを見事制覇してしまった。

ミルフィーユと生クリームのケーキ


1999年12月23日(水)

 川崎市学童保育連絡協議会役員の全国研学習成果交流会&忘年会に参加した。なんか連日のようにこの連中と会っている。全国研の分科会の報告などを約4時間行い、その後忘年会になった。手作りのおでんや煮物・漬け物などを持ち寄っての忘年会であった。みなさん、来年もよろしく。

1999年12月22日(水)

 川崎市学童保育連絡協議会の早朝宣伝に、休暇をとって参加した。今川崎の学童保育は市の「統合化」という方針をめぐって厳しい状況にある。このような状況は市民の知ってもらうための宣伝行動である。朝7時30分頃、市庁舎前に父母・指導員・連協役員などが多数集まり、ビラを配り、署名を集めた。気温3度とのことで、30分もすると体が冷えてきて、じっとしていられなくなった。足踏みをしながらのビラ配りである。約1時間の早朝宣伝であった。

1999年12月14日(火)

 アラン・パーソンズのコンサートに行った。会場は、中野サンプラザである。中野サンプラザには、10年ほど前にジャクソン・ブラウンのコンサートで行った以来である。その時のようすをほとんど覚えていないので、町が変わったのかどうかよくわからない。ただ駅から近いので、とても便利であった。
 アラン・パーソンズのコンサートは2回目である。前回は2年ほど前に、有楽町の国際フォーラムで行われたものであった。初めての日本公演ということで、ワクワクして参加したことを覚えている。
 今回の席は前から2列目というすばらしい席である。そんなに早くチケットを予約したわけではないので、偶然そうなったのであろう。会場に入ってみると、1列目の前に4列座席があった。「なーんだ、2列目じゃないんだ」とも思ったが、かなり前で見れることに代わりはない。「まあ、いいか」と開演を待った。
 しばらくするとコンサートが始まったが、やはり前の席は良い。演奏者すべてが肉眼で見える。ギタリストの指の動きもよく見えた。演奏した曲は新しいものから古いものまでバラエティに富み、知っている曲ばかりで満足できるものであった。観客も、立ち上がって踊る人もなく、上品に楽しんでいた。約2時間のコンサートを満喫することが出来た。帰りに「直筆サイン入り」という売り文句に誘われて、「サイン入りポスター1000円」を買ってしまった。

1999年11月23日(火)発表会での雄姿

 今日は、私の所属するギタースクールの発表会である。諸般の事情で、2年ぶりの参加になる。この日に向けて練習を重ねてきたのだが、
いろいろと忙しいことが多く、十分練習したとは言えないまま、本番になってしまった。そういうわけで、不安でいっぱいである。
 予定時間の少し前に会場に着き、リハーサルをした。ここでも、少しミスってしまった。まずい。しばらくすると、お客さんが集まりだした。いつもより出足が速い。新聞に広告がでたとのことで、一般の方も入っているようである。リハーサルの後、控室でうち合わせをし、開演時間に会場に行ってみると、お客さんがとても多い。いつもの2〜3倍はいるのではないか。とてもありがたいのだが、一気に緊張してしまった。発表会が始まり、しばらくは、他の参加者の演奏を聴いた。
 いよいよ私の番である。落ち着いて演奏ををしようと思っていたのだが、指が思うように動かない。弦を押さえる指がふるえているのが見えた。「やはり、かなりあがっているなあ」と妙に冷静に思った。いくつかミスをしながらも、なんとか1曲演奏することができた。満足した。



1999年11月21日(日)

 娘たちの小学校の、授業参観&バザーに参加した。バザーの方は、「みつばちクラブ父母会」としての参加である。始めに授業参観があった。甘党娘1号の教室に行ってみると、父母はまだ誰もいず、私が一番になってしまった。「恥ずかしいなあ」と思いながら、教室に入った。算数の授業であった。みんな積極的に手を挙げるのだが、甘党娘は、動かない。動かざること、山のごとし。目が合った時、「手を挙げろ!」と促したのだが、うまく伝わらなかったようだ。二人の所をまわらなければならず、時間がないので、甘党娘2号の教室に移動した。後で聞いてみると、私が教室を出ていってから手を挙げたとのこと。残念であった。甘党娘2号の教室では父母が多く参観していた。同じ学童仲間のSさんたちも来ていた。ここは、国語で、熟語のしりとりをしていた。すでに、甘党娘2号は発言した後とのことで、結局娘たちの発言を聞かずじまいの授業参観であった。
 小学校バザーへの参加は、初めてなので、人の多さにはビックリした。詳細は、学童保育のページに、レポートしたい。

1999年11月20日(土)

 HMV横浜店に行った。太田裕美のインストア・イベントに参加するためである。この日のために、わざわざこの店でニュー・ミニアルバム『キャンディ』を予約したのである。ここでこのアルバムを買うと、ミニ・ライブ&サイン会参加券がもらえるのである。実にばかばかしいのだが、このばかばかしさがいいのである。
 参加券に午後2時30分までに集まれと書いてあったので、急いで店に向かった。2時20分頃に店に着くと、イベントスペースに人が集まりかけている。「これは、いかん!」とその集団に混じって、待つことにした。午後3時に裕美さんが登場して、ミニ・ライブは始まった。1曲目は「さらばシベリア鉄道」であった。トークの後、ミニアルバムからタイトル曲「キャンディ」が続いた。その後リクエスト・コーナーということで、多くの参加者からリクエストの声が挙がった。けっこう通な声が多かった。私もリクエストしたかったのだが、緊張して声が出ない。実に情けない。と、誰かが「振り向けばイエスタディ」とリクエストしてくれた。「それだよ、それ」と心の中で喝采を送ると、なんと、そのリクエストに応えて「振り向けばイエスタディ」を歌ってくれた。感激である。前から、ライブで聴きたいと願っていたものだったので、感激はひとしおである。まるで私の心を見抜いているかのように、歌ってくれた(完璧な思いこみの世界・・・)。最後に「風をあつめて」を歌って、ライブは終了し、サイン会にうつった。
 サイン会では、持参したミニアルバム「キャンディ」にサインしてもらった。一言お礼を言おうと思っていたのだが、「ありがとうございます」というのが精一杯であった。またまた、情けない。握手もしてもらった。完璧に舞い上がってしまった。至福の時であった。

太田裕美のサイン


1999年11月6日(土)

 全国学童保育研究集会inぐんまに参加した。明日まで、二日間の日程である。詳しいことはレポートに書こうと思っているが、全体会・分科会ともに子育てに関する有意義な話を聞くことができた。なかなかうまくいかないのが子育てであるが、失敗しながらも自分の親としての思いを伝えていきたいと、あらためて感じた。やはり、たまには難しい話を聞いて、頭に刺激を与えなくては・・・。

1999年11月3日(水)

実は、今日も『太田裕美弾き語りナイトversion2.0〜90分一本勝負〜』である。二日間続けて同じライブに参加するという、私としては大胆かつ力の入ったプランである。甘党母からは、「バカじゃないの、いい年をして」と厳しい評価をもらったが、いい年をしてもいいものはいいのである。
 ライブの前に、世田谷にある「風魔プラス1世田谷店」に行き、ツーリング用のウィンター・ジャケットを購入した。高価な買い物であるが、いい品物をゲットすることができた。
 今日のライブは、前から4列目の右側に座った。裕美さんを斜め前から見る位置である。同じライブでも見る位置が違うと、また新たな発見があるであろう。歌う曲は前日と同じもので、MCが違うのみであった。二日間で、構成を替えていることもあるかなと、多少楽しみにしていたのだが、その期待は裏切られてしまった。まあ、いいんだ。ただ、最後の2回目のアンコールには、生声(マイクを使用しない)での「雨降りお月さん」を歌ってくれた。これはよかった、とってもよかった。マイクを使わない歌なんて、滅多に聞けるものじゃない。それだけで満足してしまった私であった。
 ライブの後、ホールの近くのそば屋『そばバリュー』に行った。新そばの十割そばとのことで、大盛りを食べた。やや甘みがあり、のどごしのよいそばであった。つゆは辛口の鰹だしの利いたもので、私好みのものであった。都会にある割には、おいしいそばであった。

1999年11月2日(火)

 今日は『太田裕美弾き語りナイトversion2.0〜90分一本勝負〜』に行った。場所は、懐かしの二子玉川・アレーナホールである。ふとしたことから、アレーナホールでのライブを知り、参加したのは、3年ほど前であろうか。その時から、我が青春のアイドルは復活したのではないかと思う。そんなことで、思い入れはあるし、全自由席(整理番号あり)なので、早めに会場に着くようにした。
 会場前には、かなり多くの人が集まっていた。年の頃は、ほぼ私ぐらいの男性が多く、若い人・女性もちらほら混じっていた。整理番号49番だったので、前から6列目の中央やや左に座ることができた。ピアノを弾く裕美さんを、横から見ることができるよいポジションであった。
 ステージは、『グレー&ブルー』で始まった。はじめはピアノのみ、途中からアコースティック・ギターが入る、シンプルなものである。比較的マイナーな曲から、『木綿のハンカチーフ』のようなヒット曲まで、十分堪能することができた。『雨だれ』がないのは意外であり、少々淋しかったが、いいライブであった。やっぱり、生はいいよね。

1999年10月24日(日)

 今日は、学童保育連絡協議会幸ブロックの『学童ほいくまつり』である。見事な晴天に恵まれての開催になった。当日の詳しいことについては、あらためてレポートにしようと思っているが、ここのところなにやらとっても忙しい。なるべく早く実現させたいものだ。

1999年10月17日(日)

 小学校の社会科作品展に行って来た。甘党娘1号の夏休みの自由研究(友人との共同研究)と、甘党娘2号のクラス共同研究が出展されているのである。2日間にわたって、隣接する小学校の体育館で催されていた。2日目の朝早く行ったのだが、すでに何人かの人が来ていた。なかには、私と同じようにこどもの作品が出展されているのであろう人がいて、ビデオを撮ったり、本人と一緒に記念写真を撮ったりしている人がいた。作品を見てみるとそれこそバラエティーに富んでいた。いろいろな文献から調べてきたもの、実地に体験したものと、さまざまであった。私としては、自分で体験したものの方がおもしろいと思った。
 作品展の後、区民祭に出かけた。学童保育連絡協議会幸ブロックが模擬店を出しており、その手伝いのためである。Eホールが焼き鳥などを販売し、私たちブロック役員が、こども向けのくじや宣伝を行った。曇天のすっきりしない天気であったが、けっこうこどもたちが寄ってくれた。よかった、よかった。

1999年9月25日(土)

 山梨県の勝沼へブドウ狩りに出かけた。甘党家がいつも利用しているところは『大々園(0553-44-0769)』である。ここは有機栽培でブドウを育てているところで、値段は高いがとてもうまいブドウを採ることができる。今年もここへ行くことにした。
 道路渋滞は覚悟していたが、中央高速へ乗るまでの一般道まで渋滞しているのはまいった。中央道も25km程度の渋滞で、調布ICからすでにのろのろ状態であった。八王子を過ぎても断続的に渋滞があり、12時30分頃に勝沼ICに着いた。『大々園』はICの近くなので、さっそくそこに向かった。
 『大々園』ではすでに先客がおり、おじさん(園主)が説明しながら案内していた。ここのシステムは、そうやって案内しながら説明・試食し、客が必要なだけ採るというものだ。採り放題ではないので、調子に乗って採りすぎると後で真っ青になってしまう。先客が終わり、私たちの番になった。説明を聞きながら試食したが、ここのブドウはすべてすっきりした甘さで、口に変な甘さが残らない。最高の味がする1kgあたり4,000円の“カッタクルガン”や、1kgあたり2,000円程度の“モルゲンシェーン”“甲斐路”などを採った。今回は、これぞというものをおさえめに採ったので、そんなに高価にはならなかった。
 ブドウ狩りの後は、近くの一宮町にある『ももの里温泉』に行った。ここは町営の温泉で、新しい建物であった。町外の大人の入浴料は600円であった。あまり知られていないのか、休日にしては空いていた。露天風呂はなかなか広々としており、また湯温も低めでのんびりつかることができた。お茶を飲んで一服してから帰路についた。中央道は空いていたが、一般道がまた混んでいて、家についたのは19時を過ぎていた。家でカッタクルガンを食べた。ブドウとは思えない味で、本当にうまい。苦労をした甲斐があった。
ブドウを採る甘党娘たち どれがおいしいかなー?

1999年9月23日(木)

 約1ヶ月ぶりの日記である。書くことがあまりなかったのも事実だが、厳しい残暑に参っていたというのが本音である。特にいったん涼しくなってからの30度を超える暑さには、ほとほと参った。仕事が終わるとぐったりで、家に帰っても何もする気が起きなかった。毎日毎日「早く涼しくなってくれ!」と願うばかりであった。ここにきて、やっと涼しくなってきた。
 きょうは、「'99東京インターナショナルオーディオショウ」に行った。場所は、有楽町の東京国際フォーラムである。かつてこのイベントが「輸入オーディオショウ」といっていた時代に2度ほど参加したことがあり、今回は久々の参加になる。
 会場で受付をすまし、パンフレットを手に、各ブースをまわってみた。デモをしていたり、オーディオ評論家が講演してい一般客用のパスたりしたが、デモソースは圧倒的にクラシックである。後はジャズといったところなので、私にはピンとこない。プラプラまわっていると、イーグルスの『ニューキッド・イン・タウン』が聞こえてきた。よしこれだとそのブースに入った。そこは「ユキム」のブースで、オラクルのターンテーブルでアナログ盤を回していた。久しぶりにレコードを聴いたが、ノイズもなくいい音であった。
その後は評論家の傅信幸氏の講演を聴きに、「TANNOY(TEAC)」「B&W(日本マランツ)」のブースをまわった。傅氏は、ポピュラー音楽をデモのソースにしてくれるので、親しみやすくわかりやすいのだ。TANNOYでは、スーパートゥイーターのデモしていたが、私には効果の程はよくわからなかった。B&Wでは、スピーカーの「ノーチラス」のデモであったが、クリアですっきりはっきりした音を出していた。さすが1本100万円のスピーカーである。私にはとっても手がでないが、聴けただけでも幸せである。両ブースとも満席で立ちっぱなしであったが、いい音を聴けて良かった。

1999年8月21日(土)

 多摩川花火大会に行った。私の両親と弟夫婦と、総勢9人の大所帯で河原に陣取った。すでに始まっていたが、良いところに座ることができた。「ドン、ドン」と腹に響く音とともに、きれいな花火が頭上に広がった。やはり間近で見る花火はよい。今日は風がさわやかで、そんなに暑さを感じなかった。東京側でも同時に花火大会を開催していた。東京側のスターマインは、派手で美しかった。それでも、東京・川崎と両側の花火を堪能することができた。真夏の夜の祭典である。
 ところで、甘党娘と甥っ子は、かき氷に熱中していた。いやはや、なんとも。

1999年8月18日(水)

 ファインビュー室山へ行った。1年ぶりである。はじめにレストランでざるそばを食べた。ここのそばはよく冷えていてけっこううまい。2人前食べてしまった。食事のあとは温泉である。今日は比較的空いていて、露天風呂にゆったりつかることができた。お湯はとても気持ちよいのだが、日差しが強すぎて頭が暑くなってしまった。相当強い日射である。それでもお風呂をじっくり堪能した。
 帰りに安曇野ワイナリーによって“巨峰ソフトクリーム”を食べた。ほどよい冷たさとほどよい甘さで、とても美味しかった。暑い夏にはソフトクリームですね。

1999年8月17日(火)

甘党家族と国宝・松本城
 甘党娘たちのリクエストを受けて、松本市内に出かけた。私も市内に行くのは久しぶりであった。市内の新しい駐車場に車を預けて、まずは松本城に行った。娘たちはお城に行くのが初めてなので、城に登ることにした。お城は、狭い階段で上っていった。外はとても暑いが、上に登るにつれて風が気持ちよく涼しくなっていった。最上階に近づくにつれ階段はさらに狭くなり、人の対面通行で混んできた。最上階のみはらしはバツグンで、風はとても気持ちよかった。
 松本城見学のあと、お土産屋で買い物をして、戻った。

1999年8月16日(月)

 甘党母の実家に来ているが、今日は少し出かけることにした。目的地は、伊那・高遠である。はじめは、伊那の「みはらしファーム」へ行くつもりであったが、早く着きすぎてしまいそうなので、先に高遠に行くことにした。
 中央自動車道・伊那インターで降りて高遠まで約10キロである。道はわかりやすく、さっと着いてしまった。駐車場に車を止めて、城址公園を散策した。さすがにこの時期は人手が少ない。桜の季節はすごい人だかりなのであろう。同行した祖母も、花見には来たことがないと言っていた。桜の木の間をそぞろ歩きしながら、絵島囲い屋敷に向かった。屋敷は歴史博物館の中にあるのだが、残念ながら本日休館。「ありゃー、見えないわ」と思ったが、屋敷は塀沿いにあり、そこから見ることができた。帰りに名物の「高遠饅頭」を買って、伊那に向かった。
 伊那のみはらしファームは、伊那インターから5分ほどのところにある“家族みんなで楽しめる、新しいタイプの農業公園”である。農産物直売書・イチゴ園・レストラン・手作りパン屋などがある。新しい施設のようで、きれいであった。はじめに『そばの家名人亭』で腹ごしらえをした。よく冷えた手打ちそばはコシがあり、なかなか美味しかった。やはり、そばは手打ちに限る。その後日帰り温泉施設の「みはらしの湯」を楽しんだ。客は多かったが、広い湯船でゆったりつかることができた。露天風呂も、市街地が一望でき、なかなかのものであった。やはり、温泉はいいなあ。
みはらしの湯−パンフレットより みはらしの湯−パンフレットより

1999年8月8日(日)

 湘南女性写真研究会の水着撮影会に参加した。このイベントには、4月の撮影会に続いて2回目である。場所は前回と同じ向ヶ丘遊園地である。この日はとてもいい天気で、暑すぎるくらいであった。数名のモデルさんが出演したが、私のお目当ては由貴子さん、前回も撮影したが、笑顔のとてもかわいい人である。10時から撮影会が始まったが、とにかく暑い。モデルさんも吹き出る汗を拭きながらポーズを取っていた。由貴子さんはこの暑さの中でも笑顔を絶やさず、撮影にのぞんでくれた。実にすばらしい。常連らしき人は慣れた感じで撮影していたが、私はまだドギマギしながらの撮影であった。カメラの放列にたじろぎながらも、数カットずつ撮影していった。今回もリバーサルフィルムでの撮影にしたが、露出には自信がない。写真の仕上がりが不安でもあり楽しみでもある。

撮影会の参加証


1999年8月5日(木)

 甘党母と二人で東京ドームへプロ野球の観戦に行った。日本ハム対オリックス戦で、お目当てはイチロー選手である。一度“生で”イチローを見たいと思っていたが、やっと実現できた。午後7時ちょっと前にドームに着いたが、すでに外野自由席は売り切れであった。しようがないので、1塁側の指定席Cにした。席は外野席に近いところであり、イチローを間近に見ることができる席であった。双眼鏡も使いながら、イチローの打席・守備をじっくり見た。引き締まった体をした、いい選手である。ほれぼれしてしまった。
 試合の方は比較的淡々と進んだ。時々ホームランが飛び出し、オリックスの勝利となった。イチローはといえば、四球が多く無安打、せっかく見に来たのに残念であった。あらためて感じたことだが、野球は生で見るに限る。テレビでは野球のおもしろさが伝わらないなと思った。

野球のチケット


1999年8月4日(水)CB400スーパーフォアの写真

 ついにバイクが納車された。今日はさっそく練習である。取扱説明書をよく読み、機能を頭にたたき込んだ。そして、教習所のテキストを読み直してみた。バイクのエンジンをかけるのは、実に久しぶりなので、ドキドキした。エンジンをかけ、ギアを入れてスロットルを開け、クラッチをそろそろとつなぐと、バイクがゆっくり動き出した。当たり前のことなのだが、うれしかった。運転を忘れてしまったのではないかと心配していたのだが、体が覚えていてくれた。そのまま、信号が少なく渋滞のあまりない道路へ出ていった。はたから見るとぎこちない運転だろうが、何とか無事練習運転を終えた。エンストしたのは、自宅の車庫に入れる時だけ。少しずつ慣れていって、上達しなければ。

1999年8月2日(月)チケットの写真

 この夏の話題作『スターウォーズ エピソード1 ファントムメナス』を見た。すでに甘党母はこれを見ており、甘党娘2号も学童保育の館外行事で日本語版を見ていた。甘党母の購入したパンフレットでみっちり予習してから、映画にのぞんだ。
 映画館内は空いており、ど真ん中の席で鑑賞することにした。物語が始まると息もつかせぬ展開で、予習しておかないとストーリーについていけないのではないかと思った。映像はさすがに美しく、迫力満点である。どれが実写でどれが特撮でどれがCGなのか、まったく見当がつかない。技術の進歩とは恐ろしいものだ。『ホーホー、ヘーヘー』と感心しているうちに映画は終わった。人を引きつける力は相当なものだ。


1999年7月27日(火)

 無事にキャンプが終了した。夏の最大のイベントが終わったと言えるだろう。ところで、かねてからの願いだったオートバイを購入することにした。甘党母はいい顔をしないが、あきらめているという感じである。たいへん申し訳ないが、私には夢があるのである。ということで、家の真ん前のO店にバイクを注文した。納車がいつになるかまだはっきりしないが、わくわくしながら待つことにする。それにともない、駐車場を新たに借りたり、任意保険の準備をしたりした。さあ、いよいよだ。

1999年7月23日(金)

 みつばちクラブの『まったりキャンプ』のスタートである。朝の7時30分にこども文化センターに集合し、こどもたちはバス・電車で、おとなたちはワゴン車・トラックでと、分かれてキャンプ場に向かった。1日目の夜や2日目にと遅れて参加する父母も含めて、約90名のキャンプである。いったいどうなるのか、とても楽しみである。

1999年7月3日(土)

 今年の学童保育のキャンプは、おじゃる丸とその仲間たちをテーマとした『まったりキャンプ』である。『ほたるキャンプ』や『がわっぱキャンプ』と、ネーミングに凝ったキャンプもあったが、まさか『まったりキャンプ』とは・・・。まいった、お手上げである。すばらしすぎるネーミングである。そういうわけで、おとなたちはキャンプに没入するために「なりきりグッズ」を作ることになった。仕事のために予定より3時間ほど遅れて会場に着いたが、まだみんなグッズ作りに取り組んでいた。実行委員以外の父母もとても多く参加していた。特に今年初めてのキャンプになる1年生父母の参加が多かった。実にありがたいことである。私の今年の役は「**(当日までヒ・ミ・ツ)」なので、そのための衣装をH氏と一緒に作った。なんやかんやで1時間ほどグッズ作りをした。さて、今年のキャンプはどうかな?スカッと晴れるといいな。

1999年6月27日(日)

 いよいよ、『太田裕美25周年本祭ライブ 追加公演』である。お台場に新しくできたZepp Tokyoで行われた。(太田裕美曰く)雨女の本領発揮で、風雨の強い日になってしまった。
 ゆりかもめに乗って、初めてお台場というところに行ったが、いかにも人工的な街で、私の嫌いなタイプの街であった。会場のZepp Tokyoは、駅から近いところでわかりやすかった。会場へ入ると、博品館よりずっと広かった。今回のライブは後から申し込んだので、後ろよりの席であった。それでも、比較的ステージを見やすい場所であった。会場はほぼ満員。熱心なファンの存在を感じさせるものであった。
 ライブは、博品館での演奏に諸々を加えての総集編で、ゲストパーカッション・ゴスペラーズとのデュエットなどもある盛りだくさんの内容であった。私の大好きな「振り向けばイエスタデイ」は残念ながら歌われなかったが、会場のアンコールにも積極的に応えた2時間のライブであった。満足した。このライブで、当面ソロライブはなしとのことで、少々淋しい感じがした。しかし、このライブがNHK-BSで放送される(日時未定)とのことなので、それを次の楽しみにすることにした。

追加公演のチケット


1999年6月18日(金)

 クラシックギターのリサイタルに行った。私の師匠(ギター教室の先生)の友人が出演するということで、行く気になった。クラシックギターを習っているのに、クラシックギターのコンサートに行くのは、まだ2回目である。前回はかなり前の山下和仁氏のコンサートだった。
 今回の堀井義則氏のギターリサイタルは、小さなホールで行われたのだが、しっかり満席になっていた。私は開場5分後くらいに到着したのだが、後ろの方に座ることになってしまった。演奏は『禁じられた遊び』『アルハンブラ宮殿の想い出』『アランフェス協奏曲〜第2楽章』などよく知られた名曲が多く、じっくり味わうことができた。私がかつて発表会で演奏した『ショーロ』などは、まったく違う曲に聞こえた。当たり前のことだが、腕が違いすぎるのである。堀井氏の演奏は、指の動きはキビキビしていて、音がクリアで優しかった。パンフを見ると私と同い年である。思わずうなってしまった。
 演奏には、清水あずささんとの二重奏もあり、バラエティーに富んだものだった。中でも、ビアソラの『リベルタンゴ』は良かった。この曲はTVコマーシャルで聴いたのだが、とても気に入ったのでCD(The Best of Yo-Yo-Ma)を買ったものである。ギターでの演奏はチェロとは違った良さがあった。
 久しぶりのギターコンサートだった。やはりギターはよい。

ギターリサイタルのチケット


1999年6月12日(土)

 甘党娘1号・2号のピアノの発表会が行われた。娘たちの学童仲間もわざわざ見に来てくれた。娘たちは慣れたもので前日までは緊張感は感じられなかったが、当日会場に向かう車の中では、無言であった。本番に強いこどもといえども、さすがに緊張しているのだろう。
 出番は甘党娘1号の方が先であった。あいさつはブスッとした感じであったが、演奏はタッチの強いしっかりしたものであった。親の欲目かもしれないが、なかなかじょうずであった。
 甘党娘2号は緊張したあいさつであったが、落ち着いて演奏できていた。二人の演奏が無事に終わり、正直ホッとした気持ちがした。
甘党娘1号の写真 甘党娘2号の写真

1999年5月30日(日)

 前回床屋さんに行ってから1ヶ月しか経っていないのに、すっかりヒゲが伸びてしまった。髪の毛はそんなでもないのに。髪よりもヒゲの方が伸びがはやいということを実感した。自分で切るとうまくいかないだろうし、奥さんにやってもらうと怖いしで、床屋さんに行ってみた。「ヒゲだけでもいいですか?」と聞くと、良いですよとのこと。さっそく美しく切ってもらった。料金はたったの500円!こんなに安いのなら、気軽にやってもらおっと。
 学童仲間の“キジさん”改め『駄画師屋・五根松勘助』さんがホームページを開設した。喜ばしいことである。今まで私に提供してくれたアイコンやアニメに新作を加えて紹介していた。新作の中には『ムフフ』と笑ってしまうものもあった。今後の充実を強く期待したい。

1999年5月22日(土)

 太田裕美の25周年記念ライブを、銀座の博品館劇場まで観に行った。銀座へ行ったのは、本当に久しぶりのことである。
 会場に入った後、さっそく物品販売コーナーへ行った。『海賊版LIVE VIDEO 太田裕美インチキ25周年前夜祭』を購入するためである。ビデオを買おうと売場を見ると、コンサートパンフ『First Quarter』も売っていた。一瞬の迷いもなく、二つとも買った。至極当然のことである。物欲は満足したので、席に着くことにした。今回の席は、なんと前から4列目の中央という絶好の位置である。わくわくしながらスタートを待った。
 時間通りにライブは始まった。まさに“目の前”で太田裕美が歌っている。感激である。途中のMCによると、今日と昨日のライブでは曲目ががらりと変わっているとのこと。昨日はシングル特集、今日はアルバムからということであった。しまった、昨日も行けばよかったと後悔した。『ひぐらし』をライブで聴いたのははじめてではないか。『袋小路』もとてもよかった。新しいミニアルバムやCD-BOXの書き下ろし新曲も歌われた。特に『上弦の月』はよかった。太田裕美がギターを弾きながら歌うなんて・・・(しかもマーチンを)。最後は、客席からの曲目アンコールにも応えてくれた。私としては、もっとマニアックなアンコールがほしかったところだが、まあ盛り上がったからいいか。
 とにかく、よかったとしか言いようがない。6月の追加公演も行くぞ!
チケットの写真

1999年5月3日(月)

 連休中はどこに行っても大混雑なので、家族で行楽に行くことは断念した。とにかく私は「人混み」が嫌いなのだ。今日は娘たちがじいさんと出かけたので、私は映画を見ることにした。
 『シン・レッド・ライン』を観た。連休中なので、さすがに混んでいるが、座って観ることができた。映像はきれいで、戦闘シーンはそれなりの迫力があるが、独白シーン・回想シーンが多く、何が言いたいのかよくつかめなかった。昔『地獄の黙示録』を観たときのような感じだった。

1999年5月2日(日)

 ここのところマイマシンの調子が悪く、起動時にエラーがおき再起動を余儀なくされるという状態が続いていた。それでも一度起動してしまえば使用には差し支えなかったのでそのまま使っていたが、休みを使ってハードディスクの再フォーマットをすることにした。そして今後のためにということで、ノートン・システムワークスとMOを購入し、PDにバックアップをとって、ハードディスクのフォーマット、ウィンドウズやアプリケーション・ソフトの再インストールを行った。インターネットの設定などに手間取り、丸二日がかりで作業を行った。このときインターネットに接続できず、実に焦った。設定は正しいはずなのにと何度チャレンジしてもだめ。最終的には、PROXYのアドレスが「ne」ではなく「or」になっていたためと判明し、接続できるようになった。しかしこれだけで、えらく時間がかかってしまった。
 とにかく大がかりの作業であったが、作業完了後のマイマシンは調子は良好で、起動時のエラーもなくなった。本当はもっと速いマシンがほしいのだが、もうしばらくはこのマシンにがんばってもらわなければ・・・。

1999年4月25日(日)

 甘党娘1号・2号の誕生会をした。このところ週末は雨ばかりだったが、今日は昨日の雨が嘘のようにいい天気になった。
 娘たちへの誕生プレゼントは自転車で、すでに渡されている。やはり新車は気持ちがよいようで、さっそく乗り回している。いいなあ。
 誕生ケーキはいつもの『ロッキー洋菓子店』のオリジナルケーキである。マロンクリームがいっぱいのったケーキで、とてもおいしかった。これからしばらくは誕生会がないので(なんと来年まで!)、じっくり味わって食べた。
 娘たちは後日友だちを呼んで誕生会をするそうである。賑やかなことになりそうである。
甘党娘2号と自転車 甘党娘1号と自転車 ロッキーのバースデイケーキ

1999年4月24日(土)

 買いましたよ!、『CD6枚組BOXセット 太田裕美の軌跡〜First Quarter〜(完全生産限定)』とミニアルバム『神様のいたずら』を。予約していたので、予約特典の『まごころコンサートPART1 MC集』も、ちゃんともらいました。二つセットで13,000円弱なので、とても安い!!実にすばらしい企画である。4月22日に買った(発売は4/21)のだが、聴く時間がなかったので、今日じっくり聴いた。
 まずはDISC5から聴いてみた。ここにはライブ音源が詰まっている。なかには、私が聴きに行った最近のライブもあったが、聴き物はファーストコンサートの『雨だれ』であろう。なんとも初々しい声で、ジーンとしてしまった。すばらしい、すばらしすぎる。いきなり、大感動である。次はDISK4、ここには未発表曲や別バージョンの曲が入っている。驚いたのは『恋人たちの100の偽り』で、まったく違う曲であった。イメージに合わなかったので、曲を差し替えたのであろうか?貴重な物である。それからは次々とすべて聴いていった。書き下ろしの新曲『First Quarter−上弦の月−』は、太田裕美の作詞作曲であるが、とてもよい曲であった。CDBOXの最後を飾るいい曲であった。
 このCDBOXは、ブックレットがまた力作である。私の知らない「太田裕美ヒストリー」や関係者のインタビューなど、盛りだくさんである。25年のキャリアがあるとはいえ、常に第一線で活躍したわけではない太田裕美、ものすごくかわいいわけでもなくものすごく歌がうまいわけでもないそんな太田裕美に、なぜこんなすばらしい企画が持ち上がったのだろう、そんなことを感じさせるブックレットだった。(こんな書き方をしたが、私は一貫して太田裕美のファンであり続けた、これからもきっと・・・)
 ミニアルバム『神様のいたずら』も、すばらしい。先日の試聴会の時はピンとこなかったが、あらためて聴いてみると、タイトル曲の『神様のいたずら』もなかなかよい。もちろん『きっと天使』もよかったが・・・。
 とにかく、すばらしいプレゼントであった。今後残りのオリジナルアルバムのCD化も予定されているようなので、これも楽しみである。
 

ジャケットの写真


1999年4月18日(日)

 湘南女性写真研究会が実施する(主催はミス湘南撮影会実行委員会)『ミス湘南コンテスト&水着大撮影会』に参加した。撮影会というものに参加するのは、これで2回目となる。水着の撮影会はこれが初めてである。
 せっかくの撮影会だというのにすっかり曇天である。午後からは雨も降るという予報で、今ひとつ盛り上がりきれない。9時少し前に会場の向丘遊園に着いた。9時30分からミス湘南コンテストが始まった。水着の女性がずらっと勢揃いしたが、この天気では寒そうである。また途中から雨も降り始め、まったく恨めしい天気である。
 撮影会は11時頃から始まった。ローズガーデンを中心にモデルが散らばり、そこかしこでグループ撮影をした。小雨がちらついていたが、モデルさんは皆元気である。カメラマンのさまざまな指示に答えて、ポーズを変え、目線を送っていた。私はというと、雰囲気に圧倒され、ただただ黙ってシャッターを押していた。構図がどうだとか、露出をどうしようなどという余裕もなく、とにかく気後れしながらも撮影を続けた。初めのうちはとにかくいろいろなモデルさんのところを回っていたが、そのうち好みのモデルさんのところでじっくり撮影することにした。撮影者が多いので、その方が多少落ち着いて撮影できた。昼食をはさんで3時間弱の撮影時間だった。
 3時過ぎからはコンテストの結果が発表された。準ミス湘南の一人は私の意見と一致したが、もう一人の準ミスとミス湘南の女性については、意外な結果だった。私がもっとも気に入った女性は、入賞すらできなかった。人の好みとは、不思議なものである。
 とにかく天気が悪かった。晴天に恵まれた場合撮影者も増えるだろうが、明るい太陽の下での水着撮影会に参加したかった。来年も参加しようかな?
 ところで、休憩中にお茶を飲んでいたのだが、すぐ後ろにプロカメラマンの吉森信哉氏がいた。モデルは一緒じゃなかったので、花の撮影にでも来たのだろうか?

1999年3月30日(火)

 天気は曇りであるが、雨は降らなそうである。まずは、よかった。この日も道は空いていて、11時30分頃には韮山に着いた。イチゴ狩りである。受付をすまして、ハウスに向かう。食べ放題なので、気合いを入れてハウスに入った。真っ赤なイチゴが私たちを迎えてくれたが、やや甘さに欠けるものが多かった。このところの天候不順のせいであろうか。それでも甘党家族は不屈の闘志をふりしぼり、食べまくった。指先が赤く染まるほど食べて、ハウスをあとにした。
 その後韮山町内にある日帰り温泉施設『めおと湯の館』へ行った。男湯の方は空いていて、5名ほどしかいなかった。露天風呂がないのが残念であったが、大きな湯船でゆったりすることができた。お湯はやや熱めで、無味無臭であった。
 ひととおりの行程を終え、途中沼津で塩辛や干物を買って家路に向かった。さて、来年はどこにしようか?

イチゴ狩り  イチゴを食べる甘党娘2号と1号


1999年3月29日(月)

 甘党家族で、『1泊2日・伊豆の旅』に出かけた。春休みに伊豆へ行くのは恒例になっていて、今回で8回目になる。目的は、温泉(特に露天風呂)・おいしい魚・イチゴ狩りである。この3点セットを満喫し、リフレッシュを図るのである。ということで、今回は2度目の「雲見温泉」にいった。
 この日は朝から順調で、ほとんど渋滞にあうこともなく行くことができた。あまりに順調で、早く着きすぎてしまうほどだ。途中黄金崎に寄り、散策をし、クリスタルパークを見学した。ここでのんびりして、それから目的地に向かった。
 予約していた民宿はすぐに見つかり、まずは温泉に入った。風呂は、露天風呂付きの岩風呂で、ゆったりとひたることができた。お湯は透明で、塩味がした。
 お風呂の次は、食事である。今回は、特別に「アワビの踊り焼き」を注文した。アワビは刺身にするとかたくなってしまうが、踊り焼きにすると、とても柔らかくておいしい。今回も、柔らかいアワビを堪能することができた。舟盛りは、石鯛とのこと。身がプリプリして、とてもおいしかった。そのほか、金目鯛の煮付けなど、満足のいくものばかりで、つい食べ過ぎてしまった。いやあ、満腹、満腹。

舟盛りの写真  豪華なお食事です


1999年3月22日(月)

 太田裕美の新曲の、東京・信濃町のソニースタジオでの試聴会に参加した。この企画は、オフィシャル・ホームページでのみ告知したとのことで、約70名くらいの参加者であった。会場は第1スタジオというところで、だいたい真ん中くらいの席に着くことができた。
 白い服を着た太田さんの、新曲にまつわる話をはさんで、4曲すべてを聴くことができた。私としては、2曲目と3曲目が、太田裕美らしくていいなあと思った。音質については、「えっ!、スタジオの音ってこんな音?」というくらいあっさりしたものであった。私としては、もっと音像が小さい方がいいなあと感じた。
 イベントの中で、デモテープを聴かせてもらった。ここだけのことということで、興味深い企画であった。質問コーナーもあり、何人かの勇気ある人が、質問していた。今後、フルアルバムやコンサートについても「企画はある」とのことであり、今後の楽しみがまた増えることになった。
 最後に、サイン入りのポスターをもらい、握手をして解散となった。前回のインストア・イベントの時の握手については、舞い上がっていたので夢見心地だったが、今回については、思ったよりも、ほっそりした手だなと感じることができた。とにかく、間近なところで話を聞く機会というものは、そんなにあるものではないので、とても貴重な体験になった。

信濃町スタジオの看板


1999年3月15日(月)

 カンサスのコンサートへ行った。前回(一昨年?)のライブは、川崎クラブチッタであったが、立席なのでとても疲れた。今回は厚生年金会館のライブにした。
 この日はあいにくの雨、それも荒れ模様だ。観客は男性が圧倒的に多く、20代後半から30代が多そうであった。今回のライブはバイオリンのロビー・スタインハートの復活が目玉である。ステージ場では、ほぼ中央に位置し、元気な姿を見せていた。
 オープニングから多くの観客が立ち上がりだした(まるで条件反射のように)。立ち上がってノリノリというわけでもなく、ただ立って聴いているのだ。要するに、前席の人が立つとつられて、または見えないから立っているという感じなのである。「やめてほしいよな、見えないじゃない」と思いながら、前半は座って聴いていた。演奏される曲は良く知っている曲のオンパレード、中にはビートルズの「エリナー・リグビー」まであった。
 いったんステージ演奏は終了し、すぐにアンコールになった。「ダスト・イン・ザ・ウインド」はさすがに名曲である。バイオリンとアコースティック・ギターが絡み合い、聴き惚れてしまった。最後は「伝承」。力強い演奏でこれもまた良かった。
 コンサートは2時間弱と短いものであったが、やはり「生」は良いと思わせるものであった。

1999年3月14日(日)

 今日は、甘党の誕生パーティーの日である。すでに誕生日は過ぎてしまっているのだが、日程が取れずに今日になってしまった。
 はじめに甘党家御用達の『ロッキー洋菓子店』特製のオリジナルケーキを食べた。今回のケーキは甘党母が選んだもので、イチゴと生クリームがたっぷり入った逸品である。味の方は、文句なし!満足の一言である。
 次にプレゼントをいただいた。甘党母からは、リクエストに基づいた「ボタンダウンシャツ」、甘党娘1号・2号からは、「くつ下」をもらった。シャツはとても手触りの良いもので、柄もわたし好みである。くつ下もきれいな緑色のもので、とても気に入った。こうやって、祝ってもらえるのは、本当に良いものである。
 来月は、いよいよ甘党娘たちの誕生日である。すでにリクエストはもらっているのだが、こんな高価なものを買って良いの?

おいしそうなバースデイケーキ


1999年3月12日(金)

 私の好きなオーディオ評論家の傅信幸さんから、直接メールをいただいた。編集者から、「傅さんのことが載っているよ」と紹介を受けたらしい。心のこもったメールをいただき、本当にうれしかった。これもまた、甘党の家宝になることだろう。

1999年3月9日(火)

 学童保育連絡協議会の活動として「早朝宣伝行動」を行った。学童保育の重要性を、「法制化(=学童保育が、児童福祉法などに明確に位置づけられたこと)」と関連させて、市民に訴えようという趣旨である。私も年休を取って、これに参加することにした。
 当日は曇天の寒い日だったが、父母・指導員を含めて約20名の仲間が集まり、市役所前でビラを配り、マイクで宣伝をした。途中、酒に酔ったおじさん(要するに、酔っぱらい)が絡んできたが、それも大した問題なく解消し、用意した約1,900枚のビラを配りきった。私の分担の所は人通りが少なく、あまり配りきれなかったが、なかにはわざわざ「そのビラくれますか?」と話しかけてくれる人や、「ご苦労さん」といってくれる人もいた。
 本当に寒い1時間であったが、いい活動になった。

1999年2月28日(日)

 待ちに待った『高石ともやとザ・ナターシャー・セブン107ソングブック』が届いた。さっそく「No.7山と川」「No.5春を待つ少女」を聴いてみた。ジャケットはアナログ・レコードのまんまだし、出てきた音もまたそのままなので、とても感激した。またおまけの「'98宵々山コンサート・ライブ」も、参加したかったなあと思わせるようなライブCDだった。復刻・CD化してくれたみなさんに、感謝の気持ちを捧げたい。ありがとうございました。

1999年2月18日(木)

 『太田裕美オフィシャルサイト』は、私が定期的に訪れるお気に入りのサイトであるが、先日、太田裕美の誕生日を記念して、「バースデイ・メッセージ」を募集した。「応募者には太田裕美からメッセージが届く」といううたい文句にのせられて、私も心をこめてメッセージを送った。今日サイトを訪れてみると、メッセージが公開されていた。それも音声で!である。てっきり、メールで届くものだと思っていた私には、衝撃的なものだった。さっそくダウンロードして聞いてみた(RealPlayerを使いました)。短いメッセージであるが、ちゃんと私個人への返事になっていた。まさに感涙ものである。甘党の家宝が、またひとつ増えることになった。
 ここのところまったく更新されていなかった「太田裕美研究委員会」も、リニューアルオープンし、「新・太田裕美研究委員会」になっていた。今後改めて旺盛に活動していくということなので、うれしい悲鳴である。

1999年2月14日(日)

 神奈川県学童保育研究集会に参加した。事前に「全体会の司会をしてほしい」と依頼されていたので、やや緊張しながら会場に向かった。会場に着くと、すでに実行委員の方々が会場準備をしていた。実行委員長のK氏と簡単な打ち合わせをして(本当に簡単でした!)、会場で開始時間まで待つことにした。
 予定より少し遅れて研究集会は始まった。『雰囲気を和やかにするために、何かおもしろいことを言わなければ・・・』と思っていたのだが、いざ多くの参加者に見つめられると、何もできなくなってしまった。実に修行不足である。簡単な司会の言葉で、会を進行することになった。
 午前の全体会は、『こどもの心のよりどころ−心の声が聞こえますか』というテーマで、佐藤千穂子さん(北里大学精神神経科の臨床心理士)の講演があった。
 午後は、15の分科会に分かれて話し合いを持った。詳しくは、『学童保育のページ』に記載した。

1999年2月12日(金)

 風邪をひいてしまったようだ。月曜日頃からのどの痛みを感じていたが、昨日の夜からかなりのどが痛くなってきた。いちおう市販の風邪薬を飲んでみたが、あまりかわりはない。これでは仕事にならないので、午前中年休を取って、耳鼻咽喉科へ行った。インフルエンザがはやっているようなので、かなりの混雑を予想していったが、思っていた以上に空いていた。症状として熱はないので、インフルエンザではないだろうと医者に言われ、治療を受け、薬を処方してもらった。のどに直接薬をつけてもらったり、ネブライザーで薬を吸い込んだりしたので、こころもち痛みが減ったように感じた。薬を2回ほど飲むと、のどの痛みはかなり減少した。やはり、早期治療が一番である。

1999年2月7日(日)

 今日は、甘党母の誕生会をした。*回目の誕生日が来たからである。バースデイケーキは、いつもの『ロッキー洋菓子店』のオリジナルケーキ(\4,800)である。みんなで“ハッピーバースデイの歌”を歌い、にぎやかにはじめた。ローソクの火を吹き消し、ケーキにナイフを入れた。今回のケーキはイチゴとマロンクリームが主役である。とても甘い香りがし、見ているだけでおいしそうなものである。ひとり1/8ずつ分け合って食べた。マロンクリームと生クリームの組み合わせが絶妙であり、スポンジは軽くしっとりとしてとてもうまい。「もっと食べたい!」と思わせる味である。
 ケーキのあとはプレゼント贈呈である。私からは、リクエストのあった“小銭入れ”を贈った。甘党娘たちは、二人で共同出資して、小さい“バッグ”を贈った。これは今日二人で近くの店に買いに行ったものだが、こどもたちで選んだわりには良いものであった。なかなかセンスの良い、心のこもった贈り物であった。
 そんなこんなで、誕生会は終了した。さて来月は、いよいよ私の誕生会である。何をおねだりしようかな?

おいしそうなバースデイケーキ


1999年1月31日(日)

 早朝5時20分からのテレビ番組『あの曲=この人』(テレビ朝日)を録画して見た。今回のゲストは太田裕美である。オープニングは弾き語りの「雨だれ」であった。じっにしっとりとしていて、良い。その後、聞き役の由紀さおりが進行し、デビューにいたる経過や、本日のメインの「木綿のハンカチーフ」にまつわる話をした。私は、太田裕美のファンであっても、細かい話・逸話などはほとんど知らないので、デビューにいたる話などは、とても興味深かった。最後に、コンサートでおなじみのバンドをしたがえて、「木綿のハンカチーフ」を歌った。レコードとはかなりちがうアレンジであるが、こちらもなかなか良い。ゲストの話をじっくり聞ける良い番組であった。次回のゲストは宇崎竜童とのことで、これも見たいと思った。

1999年1月23日(土)

 川崎に買い物に出かけた。甘党娘2号に「一緒に行くか?」と声をかけたが、「友だちと遊ぶ」と、あっさりふられてしまった。久しぶりにセーターでも買おうとバーゲンをのぞいてみたが、なかなか気に入ったものが見つからない。最終的に、西武デパートでバーゲン品を購入した。色がもうひとつであったが、まぁいいか。
 帰りに、地下街にある「Pastel」で、ケーキを買った。ここのケーキは1個500円前後とやや高価だが、甘さ控えめでボリュームもあり、なかなかおいしい。いつも混んでいる店である。ミルクレープとイチゴのミルフィーユを購入した。帰宅して、ミルフィーユを食べたが、さっぱりとした甘さで、おいしかった。ここのところ、ちょっと食べ過ぎかな。

イチゴのミルフィーユ  イチゴのミルフィーユ500円です。


1999年1月15日(金)

 所用があって川崎に出かけた。今日は成人の日ということで、振り袖姿の女性をちらほら見かけた。昼食をどうしようかとフラフラ歩いていると、新しいラーメン屋を見つけた。あの喜多方ラーメンの『坂内食堂』の姉妹店『小法師』である。いつの間にできたのであろう。店は大きくはないが、新しく清潔感があった。正午前であるが、ほぼ満席状態であった。チャーシューラーメンを注文した。チャーシューはやや脂身が多いが柔らかい。麺はプリプリしたちぢれ麺であった。肝心のスープであるが、以前別の『坂内』で食べた物よりもうすい感じがした。まずくはないのだが、もうひとつインパクトに欠けた物であった。かつて、横浜そごうの“ラーメン展(?)”に出店していた『坂内』のラーメンを食べたときに感じた「うまい!」というインパクトには及ばなかった。何年か前に旅行の途中で寄った本場喜多方で『まこと食堂』のラーメンを食べたときには、「こんなにうまいラーメンが本当にあるのか!」と感動したものだった。今回はこういう感動はなかったが、川崎で気楽に寄れるラーメン屋ができたことは、喜ばしいことである。今後も足を運んでみよう。
 帰りに、川崎西武デパートの地下で、『三月うさぎ』のシュークリームを初めて買った。自宅で食べてみると、カスタードに独特の香りがあっておいしい。甘さは控えめでちょうど良かった。1個120円とほどよい価格なので、また買ってみよう。

「三月うさぎのシュークリーム」です


1999年1月9日(土)

 秋葉原へCDプレーヤーを買いに行った。すでに1台CDプレーヤーを持っているが、それだけでは足りなくなってしまったからだ。実は昨年末の高石ともやのコンサートの時に、杉田二郎のライブCDを買ったのだが、自宅でこれを聴いてみようとすると、プレーヤーがこのCDを認識しないのである。「すわ、不良品か!」と製造元へ尋ねてみると、古いプレーヤーの場合そういうことがあるので、別のプレーヤーで試してみてほしいと回答があった。ためしに娘の安いCDラジカセにかけてみると、かかるじゃないですか!CDを聴けるのは良いけれど、何せ音が悪い。音の良いCDプレーヤーは高いので、買い換えるにはちょっと難しい。というわけで、安くて音の良いCDプレーヤーを買い足すことにした。雑誌『SOUND PAL』を参考にして、私の好きな評論家である傅信幸氏の評価を基に購入機種をリストアップした。そして、愛聴盤を持って秋葉原へ向かったのである。
 秋葉原について、まず食事をすることにした。今日の目標は、一度行ったことがある秋田ラーメンの『めんめん』である。地下鉄末広町近くの店に道に迷いながら行くと、ちょうど席が空いていた。こだわりラーメン780円を頼んだ。これは醤油味のラーメンで、素材にこだわり、化学調味料を使わないというものである。具はとてもシンプルである。その中で、チャーシューがとても柔らかくてうまい。スープは澄んでいて、あっさりしている。しかし、だしの味が利いていてとてもうまい。満足であった。私は、甘党であるが、ラーメンもとっても好きなのである。
 オーディオを扱っている店をいくつかまわったが、リストアップした機種を置いてある店がない。“オーディオ不況”とは聞いていたが、どの店もオーディオ売り場が狭くなり、落ち着いて試聴できる雰囲気も少ない。以前一度購入したことのあるオーディオ専門店『テレオン』に行くと、めざす機種が置いてあった。それも格安で。「マランツCD-67MK2SE」「マランツCD-19」「CEC CD2100」の3機種を聴き比べたが、違いが良くわからない。そこで第1候補のマランツCD-67MK2SEに決めた。この機種は大サービス中で、約4割引で購入できた。他の店で接続ケーブルも買って、家路を急いだ。
 家につくと、さっそくセッティングをして、古参の「デンオンDCD-1650G」と聴き比べてみた。岡村孝子、太田裕美、辛島美登里、アコースティックギター・ソロ、サイモンとガーファンクル、カンサスなどふだん聴き慣れているもので比べてみた。S&Gやカンサスでは、違いはほとんどわからなかった。ボーカル物では、CD-67MK2SEの方がクリアでかっちりしている印象であった。DCD-1650Gの方が、柔らかい感じであった。ギター物では、CD-67MK2SEの方が音の重心が低い感じがした。両機種は定価で2倍以上の差があるが、それぞれに一長一短があり、どちらが良いとは言えない。当面は併用していくことにした。

1999年1月1日(金)

 静かな正月である。昨日から感じていたが、街を走る自動車の数がめっきり減り、街が穏やかになっている。みんな帰省したのであろうか。甘党家は家族旅行を控えているので、今年は帰省はしない。だからよけいに静かに感じるのだろう。
 昨日の大みそかには、娘たちにつきあって、十数年ぶりに「紅白歌合戦」を見てしまった。さすがに、時代の変化を感じた。
 昼には、家族そろってお雑煮を食べ、近くの公園で、バレーボールやバトミントンをした。風が冷たかったが、久々にこどもと体を動かした感じがした。
 年賀状に返事を書き、元日は静かに暮れていった。今年の目標は『○○を買って、○○する。』である。努力あるのみ。

甘党娘1号と2号  お雑煮を食べましょう。


☆2000年の日記へ(1月1日〜)