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【 地上の星座 】




 白い息が闇に溶けていく中、凍った石段を踏みしめて歩く。薄い氷の砕ける音を聞きながら、頭を上げて終着点を見やった。
 闇に紛れて消えていく階は、天上のその先まで続いているように感じる。見えない段を追って夜空を見上げると、星ひとつない凍てつく大気の中に、のっぺりとした真円の月だけが輝いていた。時おり雲に隠れる所をみると、まもなく雪が降るかもしれない。
「にしてもだ」
 ひとつ大きな息を吐いて視界を白く染めながら、エドはムッとした表情で呟いた。
「あのクソオヤジは人使いが荒すぎだ」
 年端も行かない子供を年末ぎりぎりまで働かせるなんて、あまりにも配慮が足りないのではなかろうか。自分の仕事の資料くらい自分で持ってこいと、抱えた書物に忌々しげに目をやった。
 手に余るほど分厚いそれは、歩くたびに重みを増していくようで、そろそろ腕が痺れてきた。近道とはいえ、街灯も手すりもない崩れかけた石段なんて登るんじゃなかったと、少々後悔する。
 さすが軍の資料室だけあって、明日にも年が明けるというのに常日頃と同じように開いていた。きっと偉そう大佐みたいな仕事の遅いヤツのせいで、やむなく開館しているに違いない。まったく迷惑な野郎だ。
 まあそのおかげで、こっちはぎりぎりまで文献を閲覧出来る点は助かるが。用事がないと入りづらい場所なものだから、これ幸いにとつい夢中になってしまって、すっかり遅くなってしまった。
 そこまで考えて、エドはふと立ち止まり首を傾げた。もしかすると、ヤツはそれを承知でオレに行かせたのだろうか。
「……ありえないな」
 命令口調の仏頂面を思い出し、エドは口をへの字に曲げた。他にも山ほど仕事を言い渡しておいて、ついでだろうと、どさくさ紛れに私事を押し付けてきたんだっけ。
 その時のいけ好かない笑顔を思い出すと無性に腹が立って、思わず歯噛みする。手にしていた本をびりびりに破いて、雪の代わりに降らせてやりたい誘惑に駆られた。でもなー。本に罪はないよなー。
 眉をしかめた不機嫌な顔で、エドは石段の上から地上に目をやった。そこには暖かな光の粒が、様々な模様を形作っていた。
「まるで ─ 」

 まるで地上の星座のようだ

 この石段を登りきった場所で、眼下に広がる景色を眺めながらそう呟いた男の横顔を不意に思い出し、エドは紡ぎかけた言葉を飲み込んだ。
 
 ひとつひとつの小さな灯が寄り添い集まって、大きな星座を描いているように見えないかね?

 似合わない感傷的な台詞だと思ったものだが。愛しげに街を見やる微かに笑んだ表情に、何も言えなくなった事を覚えている。同じ景色を見ているのに、あいつが触れ得ない別の所にいるのを感じ、奥が締めつけられるように悲しくて、けれどもその場にいた事を、何故か誇らしいとも思った。
 思い出している内に気恥ずかしくなり、エドは苦笑して気を取り直し、足を速めて石段を登った。闇に溶けていた頂上がようやっと見えてきた時気がついた。ほのかな灯がある事に。
 石段の上では、男が街を見下ろしていた。わずかに頭を垂れるその姿は、まるで祈りを捧げているように見えた。一心に、懸命に。
「遅いぞ鋼の」
 ゆっくりとこちらに向けた顔は、いつも通りのいけ好かない仏頂面だった。それなのに、手に持った灯が黒い瞳に映る様をまるで星のようだと思った。似合わない事を考えていると自覚しながら、エドは茫然とその顔を見上げていた。
「……なんであんたがこんな所にいるんだ?」
 呆けたままでようやっと呟くと、ロイはわざとらしくため息をついて肩をすくめてみせた。
「お子様がいつまで経っても帰って来ないから、わざわざ迎えに来てやったのだ」
 『わざわざ』を強調した押し付けがましい姿に、エドは思わずムッとした。何となく感動していたのに全てぶち壊しだ。
 何処に寄り道したのかと糾弾されるかと思ったが、ヤツは本を受け取ると、そのまま黙って背を向けた。遅くなった事を謝れとすら言わなかった。そうされると逆に罪悪感がわいてきて、エドは振り向かない背に向けて声をかけた。
「あー。……マスタング大佐…」
「なんだ?」
「遅くなって悪かった。……ごめんなさい」
「まったくだ。これでは年内に片付くかどうか怪しいな」
「う゛ー。ホント、ごめん」
 謝罪の言葉を口にしても、男は背を向けたままでいた。これみよがしに大きな息を吐いて嫌味まで言ってくる。が、ヤツは急にくるりと振り向くと、にやりと笑ってみせた。
「一緒に今年中に片が付くよう頑張ろうではないか」
「ああ? 何でオレもだよ」
「今日の分に、前回の旅でやってもらった仕事の報告書がまだ出ていないだろう」
「アレを今日中にやれっていうのかよ! そういう事は早く言え!!」
 そんな事なら大急ぎで戻ってきたのにと怒鳴るエドに、ロイは爽やかに笑ってみせた。
「こうなったら一蓮托生だ。諦めろ」
「諦められるかー!!」
 楽しそうに高笑いに、エドの怒声が重なった。何かもう台無しだ。色々とぶち壊しだ…!
「ほら、急ぐぞ」
 くつくつと笑いを堪えながら目を向ける男に向かって、エドは不機嫌な表情のまま走ってその横に陣取った。それからもう一度地上の世界に視線を落とすと、光の粒をすくうように空に向かって手を伸ばす。
「何をやっているのだ?」
「別に。何でもねえ」
 怪訝そうに首を捻る男に、エドはにっと笑ってみせた。そしてロイの背をひとつ叩いて不意に走り出す。
「急ぐぞ大佐!」
「おい、こら待て!」
 背後で慌てた声音が響いた。

 精一杯伸ばしてみた両の手の内に、街の灯を全て納めきれなかった。自分には拾いきれない零れ落ちた光の一粒一粒を、命のひとつひとつを、この男なら抱える事が出来るのだろうか。
 そんな事をやろうとするヤツがいたら、そいつはものすごく傲慢か、とてつもないバカのどちらかに違いない。まあ、野郎の場合はバカ一択で決まりだが。
 でも、そんなバカは嫌いじゃない。

 淡い命の光を受けて、二人の錬金術師は深淵の闇の中を駆けていった。



了 (2007.12.31)



師走は先生と一緒に錬金術師も走りますよという話。密かに『New Year New Year』のちょっと前の時間軸になっています。
今年はあまりにも書かなすぎたので、反省と来年への意気込みを示してみました。来年はもうちょっとコンスタントにやらかしていきたいですねえ。
原作もいよいよ大詰めですが、大佐とエドには街の光を全部すくいとってもらいたいものです。頑張れや(お前もなー)