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【 Home,Sweet Home 】

Another story for PSYCHIC FORCE 〜Last Episode〜 




「やあ、遅かったね。待ちくたびれたよ」
「そうか? たまになんだから大目にみてくれよ」
 暗く冷たい無機質な空間に声が響いた。暖かな声が。
 お互いの姿がやっと見える程度の暗い光しか存在しない地下最深部のその場所にポッと明かりが灯ったようにキースには思えた。目の前には以前と何ら変わらない、悪びれない笑顔で彼が立っていた。その様に安心すると共にどうしてこんな風に笑っていられるのだろうと疑問にも思う。こうやって何ひとつ昔と変わらずに彼が此処に存在する事は奇蹟に思えた。
「いや、君は昔から時間にはルーズだっただろう?」
「ちょっと待てよ。待ち合わせに遅れてくるのはお前の方だったろ? 俺は時間はちゃんと守ってたぜ」
 キースの言葉にバーンは不満気に異議を唱えた。あの映画の時もこの試合の観戦に付き合わせた時も遅れてきたといちいち細かく反論する。
「でも君は一緒にレポートを片づけようとか、試験勉強をしようとかいう時は遅れてくるんだよね」
 そして大抵途中で寝てしまったよ─と、からかうように付け加えるキースにバーンは言葉を濁して明後日の方を向いてしまった。その様子を見てキースが声をたてて笑う。バーンは少し咎めるように笑っているキースを眺めて、それから不意に笑顔に戻った。
「良かった。今は俺の声が聞こえるんだな」
「昔から、……以前から聞こえてはいたんだよ」
 バーンの漏らした言葉にキースは寂しそうに微笑んで応えた。
「──ああ、知ってた」
 バーンは眼を伏せて小さく呟いて、それからすぐにキースを真っ直ぐ見据える。久し振りに見た自分の正面に対等の位置で立つ人物の姿にキースは軽い感動すら覚えた。こんな当たり前の光景を既に忘れてしまっていた。
「…で。どうする? もう一度前と同じ事を言ってみるか?」
「言ったら僕の申し出を受け入れるかい?」
 悪戯っぽく問い掛けるバーンにキースは柔らかに微笑んで応えた。
「お前、俺の性格は良く知ってるだろ?」
 済まなそうな笑顔での予想していた変わり映えのしない答え。やはり分かっては貰えないのかと失望する心の何処かで変わらない彼の姿に安堵する自分が確かに居た。それに気づいてキースは内心苦笑する。バーンは眼を逸らさずにキースを見つめていた。まるで一瞬でも眼を離したら彼が居なくなってしまうのではないかと危惧しているかのように真摯な眼差しだった。その唇がもう一度開かれる。
「俺は平凡な人間なんだよ。家族や友人や─、周りの人達と平穏で退屈な時間を過ごしているのが性に合ってるんだ」
「…それは多分、人類最大の野望だね」
 からかうようなキースの言葉にバーンはほんの少し眼を細めてキースを見つめ、照れくさそうに笑った。
「野望か。ああ、ホントにその通りだ」
 それから不意に彼に向かって右手を差し出す。あまりに急な事でびっくりしたようにその姿を眺めているキースに向かってにっこりと微笑んでバーンは二の句を継いだ。
「これはお前のための手だ。お前と離れた所に居ても、たとえ俺が死んだとしても何時でもこの手がお前を助けてやるよ。だから覚えておけ」
 照れるでもなくそう言いきる姿にキースは絶句してそれから吹き出した。
「君は─。相変わらず自信過剰だな」
「そうか? 言うだけの事はやってるつもりだけどな」
 バーンは冗談のような言葉をしごく真面目な顔で言った。その様にまたキースは笑い出してしまう。本当に楽しそうに。あまりおかしそうに笑われるのでとうとうバーンは非難するように拗ねたような視線をキースに向けた。それに気づいてキースは何とか笑いを収める。こんなに笑ったのもこんなに嬉しい言葉を聞いたのも久し振りだった。
「分かった。よく覚えておくよ」
 すました表情でのキースの答えにバーンはしたり顔でうんうんと肯くともう一度真っ直ぐ彼を見据える。迷わないその瞳。そうして明るく笑って言った。
「それじゃ、始めるか」
「ああそうだね」
 不意にその空間の空気の色が二分した。冷たい蒼と燃える赤に。二人を中心に分断された『色』が互いの領域を侵犯しようと隙を窺っているように感じられる。
「──君は怒るかもしれないけれど」
 一触即発の緊張感の中、突然キースが口を開いた。怪訝そうに自分を見つめるバーンにキースは申し訳なさそうに笑いかける。
「僕はこの時をずっと待っていたのかもしれない。君と戦えるこの瞬間を」
 その言葉にバーンは唖然とした表情で絶句する。が、しばらくの沈黙の後にやれやれといった体で苦笑した。
「俺とお前は正反対だって周りからさんざん言われていたけれど…。やっぱり俺達はよく似ているよ」
 それからお互い複雑な表情で見つめ合うと二人同時に笑い出した。まるで幼い子供のような無邪気な笑顔だった。
 そして─。せめぎあっていた空間が変化を見せた。凄烈なまでの凍てつく氷刃。燃えさかる紅蓮の炎。二つが密度を増しながら急速に集束し──爆発する。



 遠雷。雷にも似た爆発音が遠く鳴り響いている。その度に揺れ動く建物の中をブラドは獲物を求めてさ迷っていた。最高の、自分だけの獲物。これを他の何者かに獲られるのだけは我慢出来ない。ついこの間まで居た場所だ。勝手は分かっていた。そこかしこに倒れている肉隗などには眼も向けずにたった一人だけを捜し求め続ける。途中を邪魔するものは人、物問わず切り裂いて。
 その甲斐あってか求めてやまない獲物の影を見つける事に成功した。そいつは何処となくぼんやりと宙を見つめてただ黙って立ちつくしている。ブラドは自身の内で血が沸き踊るのを感じた。この瞬間を夢見ていた。この男をこの手で切り刻むこの瞬間を。
 歓喜の笑みを漏らし舌なめずりするブラドにようやく気がついたバーンはその姿を認めて顔色を変えた。
「ちょ…ちょっと待て、ブラド!」
 慌てて制止の声を上げるバーンに構わずブラドは彼に向かって突進した。もうこれ以上我慢するつもりはなかった。待ち焦がれていた快楽の時がすぐ眼の前に来ているのだ。ブラドは狼狽しているバーンに襲いかかった。──襲いかかった…はずだった。
「だから待てって言ったのに…」
 ため息をつきながらぼやくバーンの声をブラドは床に突っ伏して聞いていた。
「一体どうなってやがるんだ!?」
 ブラドが痛む身体を引きずってようやく立ち上がった。間違いなくこいつの心臓めがけて飛びかかったはずだ。だが結果はバーンを突き抜けて床へ見事にダイビングした形となってしまっていた。──ん? 突き抜けて?
 『ブラド』は彼にしては珍しく唖然とした表情で困った顔をしているバーンを見つめた。その後思い直したように彼の間近まで近付くとしげしげとその姿を眺める。それから突然バーンの身体に向かって手を差し出しぶんぶんと振り回した。
「一体てめえ何しやがったんだ!?」
「いや、俺に聞かれても困るんだけど…」
 バーンは本当に困った様子で、手を伸ばしたままあっけに取られているブラドを見ていた。ブラドの手はバーンの身体を抵抗なく背中まで貫通していた。良く見ると彼の姿を通して向こうの景色が透けて見える。此処にバーンの実体はなかった。



「キースとやりあってる最中にすぐ近くで爆発があったのは覚えているんだけどな」
 その時咄嗟にキースの身を庇った事も覚えていた。が、バーンの記憶は此処までだった。気がついてみると何時の間にかこの場に佇んでいたのだ。戸惑った表情で自分を見つめるバーンの瞳をブラドはあっけに取られたままただ眺めて─。そして急に恨めしそうな視線を向けた。
「てめえ嘘つきやがったな。俺はてめえの言葉を信じて我慢してやったのに」
「そんなつもりじゃなかったんだよ。不可抗力じゃないか」
「あのガキ共にも手を出さないでやったのに…!」
 渋い表情のバーンにブラドは咎める目付きで不平を訴えた。だってそうではないか。獲物が眼の前に居るのに切り裂くどころか触わる事すら出来ないなんて生殺しにされたも同然だ。諦めきれる訳がない。
「──てめえの身体は何処だ?」
「え?」
「てめえの身体は何処かと聞いているんだ。この際ちょっと位壊れてても構うもんか!」
 このまま我慢など出来る訳がない。こいつの血を見なければ気が収まらなかった。多分最深部のキースの居る場所にあるんじゃないか─、というバーンの言葉を半分も聞かない内にブラドはその場へ赴くために踵を返していた。その背を向けた方向から間の抜けたのんびりとした声が届く。
「でも俺の身体、ちょっと壊れたくらいじゃないかもしれないぜ? 壁やら天井やらに潰されてぐっちゃぐちゃで顔見ても分からなかったりしてな」
 ブラドは動きを止めてバーンの方に振り向いた。バーンは腕組みをしながら神妙な表情をしてうんうんと肯いている。それから上目使いでブラドに悪戯っぽく笑いかけた。
「それに『俺』は此処に居るからな。もし生きていても恨み言も言わなきゃ、お前を罵る事も泣き叫ぶ事もないぜ?」
 ブラドは完全に向き直り心底恨めしそうな表情でバーンを見た。沈黙を持って責めるブラドにバーンは苦笑する。そんな表情をされても困るのだが─。
「俺の楽しみ…」
 ぼそりとブラドが呟いた。狂気じみた瞳の輝きが影を潜めて何だか眼に涙を溜めているようにさえ見えてバーンは本当に困り果ててしまった。『ブラド』にこんな表情をさせるのはものすごく悪い事をしている気になる。
「あー、でも俺生きてると思うぜ」
 咎める目付きで見られるのに耐えられなくなったバーンは努めて明るく声を上げた。ブラドは不審気な態度を露わにする。
「本当か?」
「多分な。─いや、間違いありません!」
 ブラドの露骨に疑っている態度を気にしてバーンは右手を掲げて宣誓するように断言した。そうして未だ不満気な彼に向かってにっこりと笑いかける。
「だからもう少しだけ大人しくして待っていてくれよ。ちょっと時間はかかるかもしれないけどな」
 『大人しく』という部分を特に強調してバーンはブラドを言い含めるように言葉を紡いだ。俺以外の人間を殺してもつまらないだろ? と、大真面目な表情で付け加える。ブラドはしばし考え込むように小首を傾げ、それからにやりと笑った。何時もの『ブラド』の浮かべる悪魔的な、しかし何処か嬉しそうな笑みだった。そして不意にバーンの瞳を間近に覗き込むと、困惑した表情を見せるバーンの存在が感じられない頭を抱え込むように腕を回してその唇にゆっくりと己の唇を重ね合わせた。もちろん双方とも何も感じる事はなかった。それでもバーンは生々しい温かさを感じて頬が紅潮するのを抑える事は出来なかった。真っ赤になったバーンにブラドはゆったりと優しいとも思える笑みを浮かべてみせた。
「今度だけは待っててやるよ。ただし二度目はないからな」
 それからからかうように付け加える。
「その時までにはもう少しキスが上手くなっておけよ、坊や」
 そうして茫然と自分を見つめているバーンに向かって『ブラド』はもう一度笑った。
 そろそろ壊す事にも飽きてきたしな。しばらく眠ってみるのも悪くない。眠っていれば時はすぐにやって来る。──お楽しみはこれからだ。



「バーン…? 君、どうしてこんな所にいるんだい?」
 急にがくりと俯いたブラドがゆっくりと顔を上げて不思議そうに問いかけた。夢見るような眼でぼんやりとバーンを見上げている。
「あいつ、逃げやがったな」
 バーンはまだ少し顔を赤らめながら憮然として呟いた。はっきりしない頭を覚ますようにブラドは軽く頭を振り─、急に眼を細めてバーンをまじまじと眺めると困惑したように言った。
「気のせいかな。何だか君の身体が透けて見えるんだけど…」
「あー、えーっと…」
 何でまた同じ事を説明しなきゃならないんだと、釈然としないながらもバーンはどう説明しようかと言葉を詰まらせた。それに構わずブラドはバーンに向かって勢い良く手を差し出し遠慮なしにぶんぶんと振り回した。抵抗なくその身体を突きぬける自分の手に絶句して眼を見張る。バーンの方はといえば、もう一人の『ブラド』と期せずして全く同じ行動を取る彼にやっぱり同一人物なんだなあと妙に感慨深く感じていた。
「バーン! これって一体…!?」
「いや、話せば長くなるんだけど─」
 そう言いながらバーンは手短にこれまでの経緯を説明した。ブラドにはとても信じられる話ではなかったのだが目の前に実体のない彼が実際に居るのだから納得するしかなかった。何だか頭痛がする。この男はどうしてこう突拍子もない事をやらかすのだろうか? 何時でもハラハラさせられるばかりなのが何だか悔しかった。
「─で? 本当に君の身体は生きているんだね?」
「死んだ気がしないから生きてるよ。分かるんだ」
 ブラドが念を押して尋ねるのにバーンは自信満々で答えた。ちっとも理由になっていない理由をつけるのにブラドはあきれてため息をつく。バーンはにこにこと笑いながらそんなブラドを眺めていた。
「大丈夫だって。ちゃんと身体付きであんたの所に帰るから」
 その言葉の意味を咄嗟に掴めずにブラドはきょとんとバーンを見上げた。するとバーンの顔から笑みが消えて何処かしら心細そうな色が浮かぶ。
「だって─。待っててくれるんだろ?」
 恐る恐るそう言うバーンの泣き出しそうな、まるで捨てられた小猫みたいに心底心細そうな顔を見つめて─、ブラドは思わず吹き出してしまった。
「だからどうしてそこで笑うんだよ!」
 ケラケラと笑うブラドにバーンは情けない声を上げて咎めるようにブラドを見た。それが更におかしくてブラドは笑いを止める事が出来ない。バーンがふてくされたようにそっぽを向いたのでブラドは苦労して笑いを収めて完全に拗ねてしまった彼をなだめた。
「いや悪かったよ。分かってる、ちゃんと待っていてやるから」
 そうして未だ拗ねた視線を向ける青い瞳に笑いかける。
「だからなるべく早く還って来いよ」
 バーンの顔にやっと笑みが戻った。その様子にブラドは心底あきれてしまって心の中で苦笑する。もちろん彼がまた怒り出しそうなので顔には出さなかったが。
 ふと、バーンが視線を逸らしてあらぬ方向を見上げた。微かに眼を細めて何もない空間を凝視してぽつりと呟く。
「時間みたいだ。キースが呼んでる」
 何か言いた気な表情のブラドに視線を戻して苦笑すると、バーンは考え込むように首を傾げた。そして不意にブラドに向かって手招きする。別に離れた位置に居る訳でもないのにと訝しがりながらブラドはバーンの側へ歩み寄った。ほんの2、3歩ですぐに彼の瞳を間近で覗き込めるほどの側に来る。バーンは不思議そうに自分に視線を向けるブラドに悪戯っぽく微笑みながらほんのちょっと屈み込んでその唇に口付けた。掠め取るようなほんの一瞬の口付け。あっけに取られたブラドに向かって照れくさそうに笑ってバーンは言葉を紡いだ。
「じゃ、またな」
 恥ずかしそうな笑顔を浮かべるバーンの姿が急激に霞む。にっこりと最高の笑顔を残してバーンの姿はその場から溶けるように消滅した。
 ─まあいいか─
 眠りに落ちる前、意識が途切れる直前のバーンの思考はその言葉で終わっていた。未だに自分のブラドに対する気持ちが掴み切れないのだが─。時間はまだあるだろう。次に会うまでにきっとたっぷり残っている。どうせ寝るだけだしな。暇になったら考えてみるさ。きっとその内答えが見つかる、きっと─。



 ついさっきまでバーンの姿が残っていた空間をブラドは凝視していた。彼には最後の最後まで驚かされっぱなしだったとブラドは大きなため息をつく。
 ─いや、これから始まるのかな?─
 『最後』という言葉を心の中で訂正している自分に少し驚きつつもブラドは何故かとても楽しい気分でいた。多分もう一人の自分も彼に再び会いたいだろう、それまではあまり無茶しないようにしていて貰わないとな。
 不意にブラドは笑い出した。今までもう一人の、『ヤツ』の存在を否定こそすれ共存する気になった事など一度もなかった。それがこんな気分になるなんて。全く彼はとんでもない置き土産をしていってくれたものだ。
 爆発はまだ続いている。取り敢えず此処から生きて帰る事が必要だろう。
 帰る─、何処へ?
 ブラドは静かに微笑んだ。
 還る場所はある。

 そして全ては、これから始まる。


了  1999.8.30     


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