−技術革新−
日本経済のこれまでの25年と、これからの25年を対比して考えてみよう。
これまでの四半世紀は、日本経済が成長率を鈍化させていく25年だった。
実質経済成長率は、1950−1975年(高度成長期)の約8.6%から、1975−2000年に3.8%(1999、2000年は日本経済研究センター予測)に低下している。
大きく見えた日本経済
高度成長の多くは敗戦国や新興工業国が復興、キャッチアップの過程で経験する一時的な現象だ。
成長率の鈍化はむしろ経済の安定と成熟の表れとも言えよう。
事実、1985年までは、低下したといっても日本は先進国の中では、高い成長率を維持していた。
産業は石油危機の衝撃を乗り越えて国際競争力を強め、鉄鋼、自動車、半導体などの分野で世界をリードした。
日本の経営が高く評価され、ジャパン・アズ・ナンバーワン論が流行した。
円レートは上昇し、1985年には1人当たり国内総生産(GDP)で米国に追いついた。
国際収支(経常収支)は大幅な黒字で、世界最大の債権国となった。
世界の中で日本経済が一番大きく見えた時代だった。
その過程で輸出が摩擦を引き起こし、内外価格差=国内高コスト、が顕著になり、対外直接投資が増加した。
そこには、地球規模の経済に対応した構造転換を行う必要が示唆されていた。
しかし1980年代半ばからのバブルは成長率をカサ上げし、構造転換の必要を忘れさせた。
だがそれも一時のこと。
バブルの破綻により1990年代は、経済停滞の10年となった。
1990年代を通じて120兆円の財政出動が行われ、歴史的超低金利が続いた。
しかし景気は、財政金融政策が前面に出ると好転するが、政策が退くと失速する。
このゴー・ストップの繰り返しだった。
なすべき手術をしないから薬の投与を止めるとまた傷が痛むわけだ。
政策が需要補給だけでなく、金融システム再建を直接志向するようになったのはごく最近である。
しかし1990年代の停滞はバブルの傷と、その手当ての失敗だけに帰せられるべきではない。
例えば、地下神話はバブル期に絶頂に達したが、それ以前から日本経済に根付いていた。
銀行は土地担保に頼っていた。
企業はキャピタルゲインによって投資家に報いつつ、薄利多売を実践した。
バブル以前からあった地下神話を払拭し、新たな仕組みを創り出す必要があったのだ。
人口減を越えて
これからの四半世紀を考えると、まずこれまでから受け継いだ構造再構築を遂行しなければならない。
それには、グローバル化された経済の中で、日本が投資先に選ばれるだけの魅力ある環境を創ること、1990年代の景気対策で悪化した財政再建を果たすこと、等の課題が含まれる。
人口の絶対的な現象が起きることも避けられない。
人口変化の影響は2010−2015年ごろに集中的に表れよう。
そのころ団塊世代が引退する。
それだけ労働力供給が制約される。
年金保険料を納める方から年金を受給する側に回るわけだ。
さらに、ほぼ同時に団塊の世代の娘たちが母親となる年齢に達し、労働力市場から一時退場する。
このことは、成長を回復し、財政を再建して高齢化社会をスタートさせるべきちょうどその時期に、人口変動の波頭が重なることを意味する。
2022年以降になると、高齢人口の比率は上昇するが、その絶対規模はむしろ縮小に向かうのだが。
このように考えると今後の四半世紀も、日本経済は厳しい課題を負うことになりそうだ。
そこに活路があるとすれば生産性の向上しかない。
だがこの点では、大きな希望の光が射している。
情報技術革新の本格化、ネットワーク経済の創出によって、従来以上に生産性が向上する可能性が生まれているからだ。
この技術革新は、それが大規模であればあるだけ、「創造的破壊」の様相を強めよう。
技術革新が進展するには、先端部門で活発に新技術が創造されると同時に、これに代替えされる部門では大規模な整理が進められ、両者の間で資源、労働力が速やかに移動しなければならない。
こうした社会的流動性・柔軟性が確保されることが、技術革新の成功と、明るい日本経済の将来展望を可能にするであろう。
いよいよ、新千年紀:ミレニアムの幕開けである。
<日本経済新聞/2000年01月01日/香西泰:日本経済研究センター会長>