全摘手術決断


また更新まで半年の年月が流れていました。その間私はいろいろと考え、ついに全摘手術を決意しました。4月いっぱいで仕事も辞め先行き不安な日々ではありますが、明るい未来を信じ頑張っていきたいと思っています。!(^^)!今後は入院・手術体験を掲載していきますので、筋腫・内膜症などで悩んでいる方に参考にして頂ければと思います。

手術を決意するまで
2002年9月末日検診に行ったところ、筋腫が9センチになっていました。前回の6月では6センチほどだったのが、一気に3センチ増えていました。超音波では卵巣もやっと見える状態で、お腹を触診しても筋腫が大きくなっているのがわかるようです。先生にも言われましたが、私にも自覚はありました。生理以外でも痛みを感じる頻度が増え、生理も長引くようになってきていました。それに出血の量。自分でも悪化している事はわかります。哀しいくらいに。ただ今までの職場が突然9月一杯で閉鎖が決まり、別部署に異動することになり10月から研修が始まるため、半年後の3月に検診ということにしました。

 10月から別部署に異動になり、今までの残業の日々から解放され、規則正しい生活が始まりました。責任もなくなったので、自分の時間が持てるようになり、先の事を考えることができました。研修が終わり、実務に入った11月過ぎくらいから、仕事・職場に対して疑問を抱き始め、12月には仕事に対する意欲がなくなってきていました。初めての経験で自分でも戸惑ってしまうくらい・・。今まで張りつめた生活を送っていたのに、突然緊張感のない生活になってしまったため、自分でもどうしていいのかわからなくなってしまったようです。それと今まで仕事に忙殺される日々で筋腫のことはあまり考えないでいたのが、時間が出来たことにより、常に頭の中に常駐?するようになったため、気が散り、集中力もなくなってきていました。だんだんそういう自分に嫌気がさしてきて、自己嫌悪の日々。長く続ける仕事ではない、会社も危険な状態・・。仕事を変えようと思い始めた時、やはり筋腫の事が引っかかってしまいます。3日以上続く生理痛、長引く出血、多量の出血・・。それに最近は吐き気がひどく、職場でも何度か吐いてしまったことがあります。今の職場はシフト制なので、前月生理があたりそうな時に休みを集中させるようにはしていましたが、ずれてしまう事も当然あります。それを考えると、今のまま仕事を続けるのは無理ではないかと思い始めるようになりました。生理痛の薬は市販の薬や飲み薬では吐いてしまうので、ここ数年は座薬にしていますが、ひどい時には1日3回となってしまうこともあります。身体には絶対によくない。生理以外でも寝ているときや歩いているときに捻れるような痛みを感じるようになり、不快な日々・・。いつまで続くのだろうか・・。閉経まで後何年?゛またホルモン治療゛・・という考えは私の中から消えました。そうなると後は全摘。このまま我慢して過ごすことも不可能ではないでしょう。でも耐えられなくなって手術したときには、どれだけ悪化しているのか・・。仕事の事、これから先の事考えると、少しでも早く手術をするべきではないか・・と。今まで全摘は嫌!避けたい・・と思っていました。全摘することによってコンプレックス持ってしまう気もして。でも今の方がコンプレックスになっている気がしてきました。今のままでは前向きに生きれない・・。私は何にこだわっているんだろう・・。全摘したら私は私でなくなるのだろうか?開腹だから傷は残り全摘という事実を傷をみる度に思い出すかもしれない。でも・・傷も見慣れてくるだろうし、私の身体の大事な一部になるはず。全摘しても私は私!何も変わらないはず。生理に怯える日々とは別れを告げ、前向きに生きようと決めました。
でもここからが大変。12月末には全摘の決意を固めましたが、時期はいつにしようか・・仕事はどうしようか・・考えることがいっぱい。((;・・ヘ) 結局仕事は3月末をめどに退職し、手術はその後5月か6月にしようと決め、密かに準備。

 半年後の2003年3月に病院に行き検診受けましたが、筋腫はまた大きくなっていました。卵巣も隠れてみえないとの事。先生からは゛また半年後くらいに検診゛と言われましたが、手術するつもりである事を告げました。先生も年齢的には微妙な年齢なので今まで全摘を全面的には勧めてはいませんでしたが、全摘がベストであるのは間違いないので、今回手術と聞くと、妙に張り切っていました。(^_^;)\(・_・) オイオイ 先生も閉経までこのままの状態でいられるか保証できないし、100中95人の医師が全摘勧めるだろうとの事でした。(100人中99人と言うかと思ったら、微妙な数字?でも先生のこういう言い方が気に入っているんですよね。(^_^;)
手術に関しては自己血採血希望であることも告げましたが、手術の時期に関してはまだはっきり決めていなかったので、手術希望の一ヶ月前に再度受診するということになりました。回復までにどれくらいの時間を要するか尋ねてみましたが、癒着している可能性が高いので時間がかかるかもしれないとの事。この不景気で就職難の時代なので仕事を続けることも検討はしましたが、普段から欠勤者が多い職場で人数が足りない状態で1ヶ月以上の欠勤は無理。私自身が耐えられない。やはり仕事は退職して治療に専念し、回復してから新しい仕事探すことに最終決断。
後は母にいつ告げるか。これが重大な問題です。全摘手術と2度目の失業。母にとってはショックな出来事だと思います。仕事の事は異動してからの私の様子をみて薄々は感じているようでしたが、手術に関しては私の性格からしても全摘するとは思っていないはず。孫という母の夢を永遠に閉ざしてしまうことに関しては本当に申し訳なく、なかなか言い出せませんでした。仕事は3月いっぱいの予定でしたが、新人が入ったばかりで独り立ちまでもう少し時間がかかるので、4月末での退職と決め、職場に告げる前日母に退職と手術の報告しました。退職の事は予想していたようでしたが、手術に関してはやはり驚いたようです。が、毎回生理で苦しむ私の姿を見ているのがつらかったので、私が健康になってくれればそれでいいと言ってくれました。でもこの次の日母は血圧が悪くなり、元々悪い心臓の調子が・・。母には心配ばかりかけて本当に申し訳ない・・。早く健康を取り戻して、私なりの親孝行しようと思っています。

 4月末日で退職した後、健康保険の手続きなど終了した5月中旬病院に行き、手術日決めてきました。6月17日入院で、6月19日手術です。順調に回復すれば7/4退院予定。いよいよ手術。段々手術日が近づいてくると緊張してきます。それと子宮がなくなってしまうんだという寂しさも・・。5月下旬に新潟に住む伯母が突然亡くなり、久々に親戚と再会しました。伯母の孫達もみんな大きくなり、立派に成長していました。その中で伯母から゛なおちゃんも早くお母さんに孫を見せてあげて゛と言われました。親戚には手術することは話していないので、こういう事を言われることも覚悟はしていましたが、やはりつらかった・・。孫達がおばあちゃんを慕っている姿をみていると、孫という幸せを与えてあげることが出来なかった事に対して本当に申し訳ないという気持ちで一杯で、涙が出そうでした。親戚の中には46歳で結婚して47歳で初産している方がいるので尚更・・。でもあんなに筋腫が大きければ、子供は望めないでしょう。この後きた生理は12日くらい続き、その一週間後また出血が始まり・・どんどん症状は悪化してきています。やはり手術するしかないのです
子供を産みたかったという気持ちは消えないかもしれないけど、子宮がなくなったという寂しさを感じるかもしれないけど、それを乗り越えないと何も始まらない。前向きに頑張っていきたいと思います。!(^^)! 子宮全摘しても私は私。

筋腫・内膜症で悩んでいる方はたくさんいると思います。最近は益々増加傾向にあり、若い人も増えてきました。なかなか他の人に相談できず、一人で苦しんでいる人も多いと思います。選択肢もいくつかあり、人様々です。私は最終的に全摘決断しましたが、それまでは情けないくらい悩んで悩んで・・。でもそれで良かったと思っています。即断できる人も多いかと思いますが、私にはこれだけの時間が必要だったのです。前は中途半端な気持ちで手術しようとしていた気がするので、もしあのとき全摘になっていたら、今頃後悔していたかもしれません。今回自分で納得して出した結論なので、後悔しません。考える時間を与えて下さった先生に感謝。今の先生でなければ、私は全摘手術決断できなかったかもしれません。。9月に受診した時、先生は全摘という言葉は一切口にせず、「自分の身体のことは自分が一番よくわかるよな」とひと言だけ仰いました。それが胸に響きました。自分の身体の悲鳴を聞けるのは、、、理解できるのは自分だけ。この言葉がなければ、いつまでも悩んでいたかもしれません。信頼できる先生と出会えて良かったと心から思います。これからは前向きに頑張っていきます。一人で悩んでいる人も・・自分なりの決断できるよう祈っています。頑張りましょうね!
全摘は女性にとってやはりつらいことです。今気になっている症状があって病院に行けずにいるのであれば、是非婦人科を受診していただきたいと思います。こういう思いをしないように早めの受診して下さいね。お願いします。
2003年6月 NAOMI

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