「ボクは、パパと やくそくしたとおり、もう いっぱいわるいヤツ(血)と たたかってやっつけたのに まだ なおらないの」
「そうだね。よく頑張っていっぱいやっつけたけど、まだ悪の血液軍団をつくる工場があって、どんどん悪いヤツをつくってくるから、その工場をやっつけないとダメなんだよ!」
「じゃあ、わるい こうじょうを やっつけないと・・ ボクは死ぬの?」
「・・そうなんだ。だから、大事なコウタが死なないように、コウタ、おにいちゃんたち、パパとママ、先生たち、みんなで協力して、悪い工場をやっつけよう!!」

これは私(父)が入院1ヶ月半で、息子・晃太に病気について話したときの会話です。
息子・晃太の苦痛をこらえるけなげな姿や、あどけない寝顔を見るたびに、親としてやれることはなんでもやって、この小さな命を何としてでも、救いたいという気持ちでいっぱいでした。(2002年11月)


皆様のご支援を受けて、晃太は3月13日にさい帯血での移植に望みます。
「たくさんの人たちが工場をやっつける武器をつくってくれたよ!!それで工場をやっつけるよ!」
「武器ってどんなやつ?ミサイル?」
「そうだよ、勇気がいっぱいつまった強力なやつだよ! でも今度は晃太ひとりで戦わなきゃいけないんだ」
「ひとりってどうゆうこと?」
「1ヶ月、クリーンルームっていうバイキンが入ってこないお部屋で治療するんだ、パパやママは中に入れないんだ」
「え〜〜〜!!」と泣いていましたが
「みんなが応援してるから絶対大丈夫、負けないよ」
しばらくして「ボクがんばるよ!」といってくれました。
皆様の気持ちがいっぱい詰まった臍帯血で戦います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです、ありがとうございます。
これからも応援よろしくお願いいたします。

 小さな命は必ず、救われるものと信じております。(2003年2月)

3月13日の臍帯血移植後、息子晃太はすこぶる経過良好です。
食事も食べるようになり、量も少しずつ増えてきました。
また、飲むと吐いてしまった、薬も飲めるようになり、5月15日には、とうとう点滴が外れました。身軽になったはずの晃太が、歩くときに思わず点滴棒を引っ張っているのには笑ってしまいました。遺伝子の検査では、まだ陽性反応があり、白血病のしつこさ、恐ろしさが完全になくなった訳ではありません。
5月18日(日曜日)は外出が許され、病院近くのアパートで、約4時間、ともに過ごし、久しぶりに夕食を一緒に食べました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、病室に戻るときはちょっと胸の奥がジンとしてしまいました。
今まで、ごくあたりまえだと思っていたことが、こんなに楽しくて、嬉しいことだと改めて感じました。もう少し晃太には頑張ってもらわなければなりませんが、次の目標は、外泊です。更に、待ち望んだ、退院へと一歩一歩前進です!またまた一段、階段を上がることが出来ました。
皆様には、本当に感謝しております。ありがとうございました。
(2003年5月)


この1年あまり、何としても息子の小さな命を救おうと、なりふり構わず突っ走ってきました。
そして、晃太は多くの難関を乗り切り、私達の手元に帰ってきました。
とても大きな喜びで、感慨深く、お礼の言葉が見つかりません。
温かい励ましやご協力をいただいた皆様に、心より感謝いたします。
いっしょに泣いて笑って励ましあった家族を、かけがえのないものと再認識させられました。
多少の不安は残りましたが、今後は入院中の晃太の望みをひとつひとつ実現させながら、希望を持って闘い続けます。
この夏休みに約束のひとつ、ホエールウォッチングにトライしましたが、残念ながらクジラには会えませんでした。
しかし、楽しみはあとになればなるほど喜びも大きいのではないかと思います。
大きなクジラを目と体で感じるまで、何度でもチャレンジします。
(2003年8月)




晃太(コウタ)
平成8年1月21日 N家の三男として、東京にて生まれる。
長男、次男とは年が少々離れている。
小さい頃から、あまり人見知りをせず、近所の人にも随分かわいがられた。
お隣の人にも預かってもらうこと、しばしば。
小さい頃から犬や猫が好きで、寝るときにはいつも飼い猫のコナンを抱いている。
元気で活発、少々落ち着きはないが、ひょうきんである。
カメラを向けるとふざけてしまう。
ピアノ教室に通い始めたばかり。