俺、インド日記
(04/03/20更新)

その3.俺、インド日記

「俺、インド日記」
実際に「俺、インド日記」を確認しながら、
小川くんのインド紀行を見てみましょう。

(白い背景の部分が「俺、インド日記」の抜粋です。)



いざインドへ


 
11月1日、朝5時半に自宅を出る。

 飛行機の時間は12:00、家から空港までは3時間ほど。不慣れな海外旅行なので、 余裕をもって朝5時半に自宅を出発する。最寄駅は東武東上線坂戸駅、そこから池袋まで45分、 山手線で上野駅まで行き、京成上野駅まで5分くらい歩き、スカイライナーで成田へ。 (でも、上野の手前の日暮里駅で京成線に乗り換えできるのね。電車の乗換えが苦手な 春は太陽さん、この事実を帰りに知った;汗。ちなみに京成上野駅から空港まで約1時間かかります。 また、たいていは成田空港駅より手前の空港第2ビル駅で降りなければなりませんので、 事前によく確認しておきましょう。)
 空港には予定通り9時頃着きました。でも時間をもてあまして、慣れない場所でふらふらと 挙動不審な私。

 11/01 13:40 成田空港
 飛行機も海外旅行も修学旅行以来で、手続きがイマイチスムーズと言えない感じだった。
 そのうえ乗務員ローテーションの為、出発が12:00→17:00に変更。早々に荷物を預けて しまったため、せっかく持ってきた本も読めずに、さらに時間をもてあましている。

 あんな小さなバックパックなんだから、預けなくても良かったのに、いっちょ前な旅行者気取りです。
ところが、インド航空の都合でさらに5時間待ち。「マジかよ〜」と思ったが、食事券が出た。 おいしく昼食をいただいて、それは満足だったのだけど、荷物を預けてしまったものだから、せっかく 持ってきた文庫本なんかも読めず(泣)。空港内の本屋さんで1冊買っても良かったんだけど、荷物が 増えるのも嫌だな、と思って、とりあえず適当に空港内をぶらついてみた。でも、本当にやることがなく って困った私は、とりあえず記念写真とか撮ってみたりして。

成田空港のロビー
出発前、成田空港ロビー
後ろには、当時まだ発売されたばかりの日産・スカイライン(R34)が!
 でも、いくら貧乏旅行って言っても、この格好は今見るとヤバイなあ(苦笑)。 よくシャッターを切ってもらえたものだ。

 11/01 16:00 ホリデーイン東武成田
 再び飛行機が遅れてしまった。何と22:30発。
 そんな訳で出発までホリデーインで休憩・待機。
 まあ考えようによっては向こうの到着が朝になるので、焦って宿を探したりする必要もないという事で、 まあ良しとする。
 今不安なのは、所持金が足りるかどうかである。さっき一緒になった男性は同じ2週間で10万円程度ドル を用意したって言ってたし、ちょっと心配。まあ少なく持って行って、それをどれだけあまらせるかって 言う旅ではあるんだけど。
 緊張が続く。

 そうなんです、また遅れたっスよ。なんと22時30分に変更、言葉も出ない。が、エア・インディア の計らい(?)でホリディ・イン東武成田にて、部屋と夕食のサービスを受ける。夕食、結構 おいしかったです(喜)。食事の後に部屋で仮眠をとったが、1日空港にいて疲れたのか、緊張からか、 たっぷりと寝汗をかいていた。
 さて、そんなこんなで、今日は変更や連絡や手続きのたびに受付で列に並ばされたのだが、そんな中で 自動車製造会社勤務のTさん(日記中の「さっき一緒になった男性」)と知り合った。お互い一人旅で、 海外旅行も2度目(しかも1度目も私と同じで修学旅行で韓国)、手続き等で不安なところなどを話ながら、 ちょっと仲良くなった。
 で、結局出発は23時。なんだかんだ成田で1日潰れたなあ・・・。でも、インドには早朝の到着なので、 夜中に着いて焦って宿探しするよりは良かったかな。

11月2日(月) ついにインドの地を踏む!(デリー国際空港&デリー市内)

 朝5時くらいにインド空港に着く。飛行機を降りてすぐにトイレに行ったのだが、個室を覗くと、自然に トイレットペーパーがなくて「ああ、インドなんだな」と感じた。
 入国手続き後に手持ちのドルをルピーに両替。その際、Kさんという同じ年頃の女性と一緒に手続きする。 なぜ一緒に両替したのか理由は忘れてしまったけど、たしか窓口が混み合っていて、なるべく個人ではなく 団体でまとめて両替するように言われたんじゃなかったかな。で、窓口の人に小額で嫌な顔をされないように 「2人で一緒に」ってことになった気がする。Kさんとは両替後すぐ別れたのだけど、その後意外な再会をします。 また、空港の出口で再びTさんとおちあったので、市街に入るまで一緒に行動することにしました。
 インドに着いて、まずはじめに驚くのが空港建物の出口付近のフェンスにしがみつくホームレスの群れ。 写真はもちろん、あまりまじまじと見るのもはばかられて、今となってはどういう風に群れているのか良く覚えて ないのだが、金網の向こう一面にインド人の顔が無数にある感じで、彼らはバクシーシ(喜銭)を求めて そこに居るのだが、この光景はかなり怖い。
 街に向かうにあたり、はじめはTさんと「タクシーか、リクシャー(自転車かバイクをベースにした ミニタクシーで、イメージ的には人力車)を捕まえよう」と話していたのだが、こちらから求めなくても 次から次へと寄ってきて、しかもしつっこく高値(と言っても日本のタクシーよりは全然安いのだけれど)で 「乗ってけ」と迫ってくるタクシー&リクシャー乗りにうんざりして、歩いて街を目指すことに。すると、 そこへ1台のタクシーが寄ってきて、その後部座席の中年の日本人Y氏が「一緒に乗っていかないか」と 声をかけてくれた。我々が困っているのを見て、助けてくれたのだが、なぜY氏は我々を助けてくれたのかというと、 TさんとY氏が機内で隣り同士だった縁で、まさに奇遇である。ところが、仕事で法務局へ行くというY氏は 我々旅行者とはちょっと意識が違って、しかもこの国について特に下調べしていないらしく、2〜3倍くらいの値を 吹っかけられて、それをY氏が全然高いと思ってないので、結局1人200ルピーも払う。空港からニューデリー 駅くらいの距離なら、せめてこの半分で十分。しかも、ドライバーは最初駅に向かわず、怪しい旅行代理店に連れて 行く始末。旅行代理店のオフィスの中から何人か出てきて無理やりに店内へと誘うが、当然強気で断る。 そんなことをしていたら、先に止まっていたもう1台のタクシーの中から、さっき空港で一緒に両替してもらった Kさんが降りてきて、強引な旅行代理店のスタッフに困った顔をしていた。そこで我々は「彼女は知り合いで、 行き先も一緒だから、一緒に駅に引き返せ」と片言の英語で何とか伝え、そのときは事なきを得たが、ケリが ついていざ駅に向かうとなったら、Kさんの乗ってきたタクシーのドライバーが「彼女は俺の客だ!そっちの タクシーに同乗はさせない」とごねて、結局2台のタクシーで駅方面へと走り出したのだが、なんと突然に Kさんのタクシーが脇道にそれて、我々ははぐれてしまった。その後Kさんが無事だったのか、旅行から5年以上 がたった今でも気になっている。ああ、あの時強引にでも1台のタクシーに同乗していれば・・・。
 さて、何とか駅に着いたものの、ホテルや土産屋やタクシーの客引きと観光ガイドがしくこくつきまとってくる ので、(挙句の果てには我々を取り合ったガイド同士がとっ組み合いのケンカを始める始末で、)すっかり疲れて しまって、駅から若干離れた小ぎれいな通りに建っているホテルアルカの喫茶店に入って(逃げ込んで) 一息つく。ちなみに、ホテルアルカはインドでは結構グレードの高いホテルらしいです。 (同じ系列かどうかは分かりませんがベナレスにもアルカがあって、ガンジス川が良く見える位置に建っている ので外国人観光客にとても人気らしい。)
 初心者バックパッカーの我々は、インドに着いてからのたった数時間ではインドタイム(悠久の時間の 流れ)を感じられるどころか、さまざまな歓迎のされ方にうんざりしてしまって、「ひとまず荷物を置いて身軽 になろう」ということで、まずは今晩の宿探しから始めることにしたのだが、インドに着いて始めて落ち着いた 雰囲気を感じられたホテルの喫茶店と、外とのキャップにすっかり戦意喪失し、そのホテルの受付で空き部屋を 確認したところ、「ツインが一部屋空いてます」との答え。ああ、嬉しい!ホテルなら荷物を置いて 出かけても(絶対ではないけど)安心だし、なんとシャワーもお湯が出るという。ところが値段が3190ルピー (9000円くらい)。まあ割り勘したら4500円で、出せないことはないけど、一晩100〜200ルピー の安宿を考えていた私にはこれはちょっと大きな出費。
領収書
ホテルの領収書

まとまった額の両替や中級以上のホテル宿泊の領収書はとっておいたほうが良いようです。
宿泊や買い物の際に自分を信用してもらう証明書として役立ちます。

 さて、一服したし、宿も確保できたもんだから元気も出てきて、午後は街を歩こうってことになりました。 アルカはコンノートプレースという地区にあるのだが、コンノートプレースはかなり治安が良くて、 ニューデリー駅周辺に比べて客引きも少なく、ホームレスも少ないし、屋台も結構あって、散策するにはイイ感じ。 まずはエアインディアのオフィスに行って、帰りの便のリコンファームをして、その近所でインド政府主催の物産 展をやっていたので、それを覗いたりして、結構充実した時間をすごせた。それでも、地下道にはハンセン病で 手足を失った物乞いを見かけたり、少年から「マリファナを分けてくれ」と声をかけられたりと、いろいろ ショックを受けた。特につらかったのが、幼い女の子に力なく右足をたたかれ、小さな声で「バクシーシ・・・」 と言われたこと。日本人旅行者は客引きや物乞いにとって格好のターゲット。どんな旅行ガイドにもそれは書いて あるし、朝からさんざん体験させられたので、「施しをしたら次から次へと湧いてきてカモにされるな」というのは 分かって、例によって悪ガキが「バクシーシ、バクシーシ」と集まってきても邪険に扱えるんだけど、その女の子の 場合は「助けてください・・・」と訴えているように見えたから、なんかドキッとした。歩き出そうとした ときにズボンをつかまれたりもして・・・あの感覚は忘れられない。
 でも、そんなことをしているうちに街を歩くことにも若干慣れたので、一旦Tさんと別れてニューデリー駅へと向かい、 アーグラのまで鉄道のチケットを購入する。インドの鉄道のチケット売り場は大変混み合うことと、事前に予約券 を買っておかないと席がなくなってしまうことがあるので、余裕を持って前日のうちに買ってしまうと良いようです。
 そんなこんなで1日が終わって、2人ともぐっすりと眠る。

11月3日(火) やられた!大失敗(デリー〜アーグラ)

 朝9時にホテルを出て、バザール(旧市街)を覗いてから、飛行機で移動するTさんと別れ、私は駅へ。 インドの鉄道は遅れて当然。特に、通勤に使うわけじゃない長距離列車なんて、出発時刻なんて目安でしかありません。 それに、日本のように行き先がきちんと表示されてないし、到着ホームだってそのときどきで変わるらしい。 そんなわけで、周りの人にチケットを見せながら確認して、ようやく自分の列車を見つけた。
 乗り込もうとして、私の近くに駅員さんらしき人が居たので、ダメ押しで「アーグラに行きますか?」と尋ねたら、 「この列車は到着が夕方になるので、次の特急に変更した方がいい。追加料金を払えばチケットを変更できるから ついて来なさい」というので、最初は疑ったのだが、『地球の歩き方』にもインドの鉄道員の親切ぶりが紹介 されていたことを思い出して、ついていってみる。ところが、駅の窓口に行くと見せかけて、気付けば駅の外に出されて いて、駅のロータリーの先にある雑居ビル2階にある事務所みたいなところに連れて行かれ、「これはやばい!」 と思って「ここは?」と尋ねると、「安心しなさい、ガバメント・ツーリスト・オフィスだ」といって、 チケットを取り上げられ、半強制的に事務所内の個室に鍵をかけられて閉じ込められ、にこやかなネクタイの男が テーブルの上にインドの地図を広げ、「どこまで行きますか?」というので、正直に「カルカッタまで」と答える。 すると、列車の時刻表を見ながら旅行計画を立てて、それに見合った列車のチケットを本当に取ってきた。 途中、チャイ(インド風ミルクティー)やターリー(カレーセット)を出され、ちょっと怖かったが、目的が旅行計画 を立てたことのサービス料であることが見え見えなので、毒が入ってるって事もないだろうと思って、 出されたものはすべていただく。で、このカレーがまた美味いんだな〜。
 最初から詐欺を疑っていたのに、その割に和やかな雰囲気なので、「ひょっとして、善良な会社?」とか思っても みたが、最後に数人の男に囲まれて、250ドル分のトラベラーズチェックにサインさせられて取り上げられたうえ、 財布の中にあった1200ルピーも「出せ!」と脅かされる。しかも、「日本円はないのか」というので、(さすがに 円は5千円ほどしか持ってこなくって、それをとられたら私日本に帰れなくなるんじゃないかと思って)抵抗したら、 「お前の乗るアーグラ行きの列車はもう出てしまったから、車で送るから乗れ」と、頼んでもいないガイド つきでアーグラまで強制的に送られる。(あとで聞いたら、デリーで開放してしまうとすぐ警察に逃げ込まれる ので、サービスを装ってわざと次の目的地まで車を出すのが常套手段のようです。)結局、ここでは3万円近く 取られてしまったわけです。(ちなみに、デリーからカルカッタまで北インドを列車で移動するのにかかる金額は トータルで5000円程度で済むと思います。つまり、単純計算で6倍です;泣。)その後、なんだかんだ5時間くらい車に 揺られ、途中、よく分からない土産店に軟禁され「陶器の置物を買え〜」と迫られたが、「ノーマネーだコノ野郎」 とダダをこねて開放してもらった。アーグラについた頃にはすっかり夜も更け、タージマハルは翌日に持ち越し。 ちなみに、なぜかガイドと一緒にホテルに1泊することになった。この状況、落ち着いて眠れないし(泣)。 なお、宿はホテルジプシー、入れた部屋は決して安くはなかったが、私の状況を見かねたガイドも割り勘を 提案してきて、150ルピーですんだ。この時点での所持金は日本円で5000円ほどと600ルピー。旅は始まった ばかり、果たしてカルカッタまで行けるのか?

ガイドと運転手
ガイド(左)とドライバー。
このドライバーはこの夜は車中泊のようでした。
 なお、車中で退屈しのぎにドライバーとガイドの様子を観察したりしていたのだが、移動の間はずっと、 ガイドがドライバーに対しずいぶんな態度で威張っていたので、ガイドの方がドライバーよりカーストが高いのかな? とか推測してみた。

インド日記の続き

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