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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2009/04/14 begin「来ぬ人を」〜end「百敷や」
(2009/04/16 説明追加)
(2009/04/17 デバッグ)

小倉百人一首97番「来ぬ人を」〜100番「ももしきや」まではなんだか古事記がうらにありそうです。
下表のようにちょっとまとめてみました。
ここには定家の順徳院への敬意が表現されていると感じます。
また物語のはじめとおわりがきちんと対応づけられた構造に美しさを感じます。
begin:「来ぬ人を」(まだ人が生まれる前のちはやぶる神世)
end:「古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」(いくら偲んでも偲びきれない昔のことであった)
97番〜100番だけとっても小倉百人一首は本当に考えつくされた芸術品ですね(^^)

No. 作者 対応する古事記の章 作者や歌と古事記との対応
97 藤原定家 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ

建保4年(1216)閏6月「内裏百番歌合」91番右の歌で、左の歌は順徳院「よる浪のおよばぬうらの玉松のねにあらはれぬ色ぞつれなき」が番えられ、順徳院の意向で勝ちになった歌。(当時は順徳天皇)
天地の初め
伊邪那岐命と伊邪那美命
 一 淤能碁呂島
 二 二神の国生み
 三 二神の神生み
 四 火神迦具土神

【参考】古今集仮名序
このうた、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり。あまのうきはしのしたにて、め神を神となりたまへる事をいへるうたなり。
1.まだ人が生まれる前のちはやぶる神世
  →来ぬ人を
2.イザナギがイザナミより先に「あなにやし、えをとめを」と言うことにより、前に2回失敗して待ちに待った初めての島・淡路之穂之狭別島(淡路島)が生まれる
  →まつほの浦(淡路島の地名、待つ、穂)
  →夕なぎ(言う、イザナギ)
3.イザナミは火の神カグツチを生むことで陰部が焼けて病の床に伏し亡くなる
  →焼くや
  →藻(陰部)
4.イザナミは出雲国と伯耆国との境にある比婆の山に葬られる
  →焼くや
  →藻塩(喪塩)
  →身もこがれつつ
⇒定家による葬式のイメージは仏教の火葬と思われます。

[みかきもり] 小倉百人一首で順徳院が100番目なのは、この歌の「内裏百番歌合」でのことがあったからのように感じます。
順徳院「よる浪の」は古事記の物語がさらに続きます。
1.イザナギはイザナミに会いたいと思って黄泉国(根の国)に行く。
  →よる浪(イザナミに会いに行く)
2.イザナミは「黄泉国の神と相談する、その間私の姿を見てはいけない」と言って御殿の中に帰っていくが、その間がたいへん長くてイザナギは待ちきれなくなった。
  →およばぬうら(たいへん長い間)
  →玉松(イザナミを待つ)
  →ね(根の国)
  →あらはれぬ(イザナミは姿をあらわさない)
3.待ちきれなくなったイザナギは火をともして八種の雷神が成り出でたイザナミを見てしまう。 逃げるイザナギにイザナミは「私に恥をかかせた」と醜女や軍勢を追いかけさせる。 最後はイザナミが追いかけるがイザナギが逃げ切り巨大な岩で塞いで夫婦離別の言葉をかわす。
  →色ぞつれなき(その後の様子はつれない)

順徳院はおそらく定家の「来ぬ人を」に着想を得て「よる浪の」の歌を作成し、右・左と番え、定家を勝ちとしたのでしょう。 その二十歳の順徳院の見識の高さや遊び心に五十五歳の定家はいたく感銘を受けたと思われます。
小倉百人一首97番〜100番は、定家の順徳院に対する敬意から古事記の物語を描くように歌が選択されたのではないでしょうか。
98 藤原家隆 風そよぐならの小川の夕暮は
みそぎぞ夏のしるしなりける
伊邪那岐命と伊邪那美命
 五 黄泉国
 六 禊祓と三貴子
1.イザナギはイザナミに会いたいと思い、後を追って黄泉国に行く
⇒これは十市皇女が亡くなったときの高市皇子の歌を思わせます。
 「山振(山吹)の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく」(山吹の「黄」と山清水の「泉」で黄泉)
 →風そよぐ(山吹が風でゆれる)
 →なら(十市皇女は奈良の赤穂に埋葬)
 →小川(泉に通じる道)
 →夕暮れ(黄泉につながる時間)

2.イザナギは身についた穢れを清めるために禊ぎ祓えを行い、幾多の神が成り出でる。最後に天照大御神、月読命、須佐之男命がイザナギの三貴子として成り出でる。イザナギは御頸珠を天照大御神に授け、高天原を治めることを委任した。
 →みそぎ
 →夏(撫づ(なづ)との掛詞;いつくしむ)
 →しるし(御頸珠は高天原を治めることのしるし)

[みかきもり] 高市皇子は黄泉への道は知らないと歌いましたが、イザナギは黄泉への道を知っていました。泉から流れ出る小川をつたっていけばいいんですね(^^)
イザナギはしっかり者の姉・天照大御神をかわいがったんでしょうね。月読命は静かだし、須佐之男命はずっと泣きわめいてるし…
99 後鳥羽院 人もをし人もうらめしあぢきなく
世を思ふゆゑに物思ふ身は
天照大御神と須佐之男命
 三 天の石屋戸
1.須佐之男命が田を壊し神殿を穢しても天照大御神は須佐之男命をかばうが、須佐之男命の乱暴はますます激しくなる。須佐之男命は機屋を壊し、その機織女がその際に亡くなってしまう。天照大御神はそれを見て恐れを感じて天の石屋戸にこもってしまい、高天原や葦原中国は暗闇になってしまった。
 →「人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は」そのまま天照大御神の心境といえます。

⇒治天の君の後鳥羽院が承久の乱で敗戦して流刑になり和歌の世界が暗くなってしまったことと、この天の石屋戸で天照大御神がこもってしまい世界が暗闇になったことを掛けていると思われます。

[みかきもり] 天照大御神が須佐之男命をかわいい弟と思いたくてもこれでは…。「私の立場もわかって」と言いたいことでしょう。
100 順徳院 ももしきや古き軒端のしのぶにも
なほあまりある昔なりけり

建保4年(1216)7,8月頃「二百首和歌」の中の一首。
<定家「来ぬ人を」と同時期の作>
天照大御神と須佐之男命
 五 八俣の大蛇

【参考】古今集仮名序
ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。
すさのをのみことは、あまてるおほむ神のこのかみ也。
女とすみたまはむとて、いづものくにに宮づくりしたまふ時に、その所にやいろのくものたつを見てよみたまへる也。
やくもたついづもやへがきつまごめにやへがきつくるそのやへがきを。
1.八俣の大蛇を退治した須佐之男命は妻を娶った。新居の宮を造る場所を探していると、「気分がすがすがしい」と言ってこの須賀の地に新居の宮をつくり住んだ。新居の宮をつくったときその地から盛んに雲が立ち上ったので須佐之男命は歌を詠む。「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」
 →ももしきや(宮ができた!)
 →古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり(いくら偲んでも偲びきれない昔のことであった)

⇒順徳院は新古今和歌集時代までの歌学の集大成とされる歌学書「八雲御抄」を著しています。「八雲立つ」と「八雲御抄」の八雲を掛けていると思われます。
⇒「百敷や」で百番<「内裏百番歌合」、百人一首の100番目>を掛けていると思われます。

[みかきもり] 新婚の妻とともに住む新居の宮が建った喜びが「ももしきや」の一言で伝わってきます(^^)
■参考文献
・百人一首 全訳注        有吉 保  (講談社学術文庫)
・古今和歌集(一) 全訳注    久曾神 昇 (講談社学術文庫)
・古事記(上) 全訳注      次田 真幸 (講談社学術文庫)
・百人一首のなぞ         國文學編集部(學燈社)
・全訳古語辞典(第二版)     宮腰 賢、桜井 満(旺文社)

■参考URL
・万葉の花とみどり(ヤマブキ)
 http://manyo.web.infoseek.co.jp/yamabuki.html

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