平壌第2日 万景台〜地下鉄

 今日は終日市内観光の日である。2階のレストランでバイキングの朝食をとる。パン、キムチ、スクランブルエッグ、ゆで卵、野菜や肉のソテー、厚揚げ、チャーハン、ごはん、おかゆ、スープ、ミルク、コーヒーが並んでいる。ジュースは粉末を溶かしたオレンジジュースだったが、翌日からはオロナミンCのようなものに変わった。また、バターは3月に賞味期限が切れていた。パンやごはん、おかずの味はどれも問題なかった。

バイキングの朝食

ホテルからの景色はいつもぼーっと視程が悪い。もやなのか、スモッグなのか。朝は風が強かった。

 さて、バスに乗ると、昨日無言で乗っていた白いジャンパーの屈強な男が、プロ用のビデオカメラをかついで乗ってきた。彼は、公安ではなく、観光宣伝社のカメラマンだったのだ。今回撮影したビデオは、最終日までに編集して、1本6000円で売るそうだ。

 朝8時半ごろ出発し、まずは平壌郊外にある金日成氏の生家と言われる万景台へ向かう。道中、発電所です、と言われた方を見ると、石炭火力発電所が朦々と真っ黒い煙を吐き出していた。


マンギョンデ(万景台)の生家

 万景台は「ヨロズの景色の見える」高台で、当時は大金持ちの墓地になっていた。金日成氏の家は貧しく、地主の墓守をしていたそうだ。氏は1912年4月15日にここで生まれ、幼年時代を過ごし、14歳の時に朝鮮を幸福にしようという志を持って家を出たそうである。藁葺き屋根で土壁の家と、農具、機織り機、ゴザ、麺打ち機、水がめなどが展示されている。復元品のせいか、家は真新しくキレイで、道具類も完備し立派だ。当時家族で撮った写真も残っている。

 小中学生から大人まで、いろいろな団体が途切れることなく訪れている。みな整列し、行儀良く見学し、時には生花も供える見学者もいた。


 平壌の地下鉄

 平壌の地下鉄は1973年に開通、全長34kmで2路線17駅がある。6時始発、22時30分終電だそうだ。ラッシュ時には3分に1本、普通の時は5〜6分に1本の割合で運行されている。駅は地下宮殿とも呼ばれ、「朝鮮人民の闘争の路程」を表す壁画、彫刻で飾られ、それぞれにテイストの異なる、凝った内装デザインが施されている。駅名は富興、栄光、烽火、勝利、統一、凱旋、戦友、赤い星、光復、建国、黄金原、建設、革新、戦勝、楽園などである。

 私達は終点の富興駅から栄光駅まで乗車した。自動改札は観光客なのでフリーパスし、長い長いエスカレーターを降りる。天井が低くてトンネルのようになっており、角度は日本のものよりかなり急で、スピードも速い。構造上、エスカレーターの下がちょっと透けて見える。隣のベルトとの間に1箇所、小さなスピーカーがついていて、何かアナウンスが流れていた。

 エスカレーターを降り、広い20段ほどの階段を下りるとホームにつく。ホームには階段やエスカレータ、売店がなく、天井が高いので広々し、開放感さえ感じられる。明るくはないが、ゴミひとつなく、床もぴかぴかだ。しばらくしてやってきた電車に乗り込む。私達の乗った車両は蛍光灯が少ししかついておらず、とても暗い。午前10時過ぎのためか、車両はすいている。車両の端には、金親子の肖像画が掲げてあった。中吊り広告などは一切ない。

地下鉄、プフン(富興)駅

10チョン硬貨を入れる自動改札。目の前には「21世紀の太陽、金正日将軍万歳!」のスローガン。

ホームへのエスカレーター。

プフン駅のホーム

ヨンゴワン(栄光)駅。ブドウを形取ったシャンデリアがとても美しい。

「総合案内版」。目的地のボタンを押すと当駅からの最短経路が光る便利モノ。端の方の駅名のない点は何なのか。

  市民の足といえば、地下鉄の他に、路面電車、トロリーバス、普通のバス、2階建てバスもある。バス代は全て10チョンである。バス停に長蛇の列ができているのがたびたび見られた。また、市民の足ではないが、乗用車は日本の高級車が最も多いようである。その他に、ベンツや、ボルボ、旧ソ連のLADAやボルガ、ルーマニアのダーチャもよく見かけた。


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