開城第1日 開城市内

開城市内へ

 開城はかつて高麗時代の都だった。古い家並みがよく保存されていることで有名だ。今はどうかわからないが、商業が盛んで、開城の人は「けちんぼ」だと言われているそうである。夕刻、個人行動禁止のため、ガイドさんの引率で市内を散策する。ホテルの周囲は住宅街で、昔風の平屋建ての家が密集し、平壌と違って路地裏をのぞき込むと生活感が漂っている。街を歩くと石炭を焚くにおいがしていた。

 5分も歩くと大通りに出る。街はのんびりした雰囲気で、学校帰りの子供たちが並んで革命歌を歌いながら歩き(最後尾の子はバケツとほうきを持ちつまずいてこけていた)、大人は自転車に乗っている。中国の開封の街を静かにしたような感じである。ただ、中国の風景と違って、家路につく大人たちの自転車のかごは空っぽで、夕食の材料は積まれていない。

開城の街

夜、遠くの山頂でライトアップされた金日成氏の銅像。大船観音を思わせる。


開城民俗旅館

 朝鮮古典風の平屋建てで、李朝時代の民家を改築してホテルにしたそうである。部屋は全部で50室あり、塀でいくつかの区画に分かれていて、それぞれに門がある。門を入ると3〜4組が宿泊できるように、別々の小さな建物になっている。塀で囲まれた1区画が、おそらく昔は1軒のお屋敷に相当していたのだろう。

 部屋の入り口は古い日本の家と全く同じ雰囲気で、庭の植木が建物と上品に調和し、着物姿の文豪がたたずんでいてもよく似合いそうだ。靴を脱いで部屋に上がると、そこは3畳くらいの前室のようになっており、そこから左右それぞれ6畳くらいのオンドルの部屋に続いている。部屋の間やガラス戸の前にはすだれがあり、使わないときは上の方に巻いて収納するようになっている。試しに引っ張ると、かなり重いもので、加速度がついてものすごい勢いで下りてきた。床には厚手のゴザが敷き詰められ、畳の部屋のようだ。右側が寝室で、寝具の入った螺鈿のタンスと、原産地不明のテレビがおかれている。前のドアを開けるとバスルームがある。

 別棟に食堂があり、そこで夕食となる。食事をする部屋もオンドルでゴザが敷いてあるので、座敷の宴会場のようである。ここで、2名で1羽注文しておいたサムゲタン(参鶏湯)が出てくる。サムゲタンは丸ごと1羽の鶏にモチ米、高麗人参、ナツメを詰め、柔らかく煮込んだ料理である(これも一種の薬膳だ)。小皿に盛られた塩が別に出てきて、好みの味付けをするようになっている。鶏肉がやわらか〜くトロけ、朝鮮人参が沢山入ったスープは滋味豊かで、いかにも栄養満点といった感じだ。いきなり洗面器大のボールのような器が出てきたので、6人で1羽くらいが適量かと暗い気持ちになったが、難なく完食。しかも他のおかずやご飯も食べている。

 ホテルで湯が出る時間は21時から23時までなので、チャンスを逃さないようにと、時間通りに部屋に戻ってバスタブの上の赤い蛇口をひねる。勢いよく茶色い冷水が注がれる。しばらく待っても温かくなる気配がないので、もしやと思って青い方をひねる(中国でもよくあることだ)。すると今度は細々と冷水が出て、しばらくするとぬるくなってきた。しかし、これでは入浴できる量にはほど遠い。ツアーのみんなが一斉にお湯を使っているのだろうと思い、またあとで試すことにする。30分ほど経って、また青い蛇口をひねる、が、もう二度とお湯は出て来なかった(中国でもよくあることだ)。

 入浴はあきらめて、ポットのお湯をうすめて行水することにし、エンジのビロードのカバーをめくってテレビをつけてみる。朝鮮中央テレビが映っている。他のチャンネルはないかと、12個くらいあるチャンネルボタンを次々と押してみるが、何も変わらない。何かの本で、北朝鮮のテレビはチャンネルが固定されていると読んだことがあるが、このことだろうか。かなりの大音響で門の外まで聞こえるような勢いだったので、ボリュームダウンのボタンを押すが、変わらない。ボリュームアップのボタンを押したら、ますます大音響になってしまった。北朝鮮のテレビは静かな音で見られないようになっているのかと疑惑の念を抱く。仕方がないので、近所迷惑なテレビはあきらめることにした。この夜は、停電が頻発していた。

6-1号室の入り口

寝室。押入の中に螺鈿のタンスが。

もう一つの部屋。手前に鏡台と文机もある。


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