『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第一章 「カンマを伴う分詞句」をめぐる一般的形勢、及び基礎的作業

第3節 カンマの有無を契機とする「制限的修飾」と「非制限的修飾」


〔注1−25〕

   発話の構成要素である名詞句について、その指示内容について何ごとかを語り得るほどの「特定」が(そのような「特定」が実現されていることを受け手に伝える働きをする言語的脈絡が示されてもおらず、そのような言語的脈絡に代わる働きをする非言語的脈絡が受け手に共有されてもいないにもかかわらず)話者の念頭においては既に実現されていることがある。このような場合、そのような「特定」が既に実現されていることが受け手に伝わるのに必要な脈絡は話者の念頭にあるに過ぎない。そのような「特定」は発話に込められた「話者の思い」によって、話者の念頭にあるに過ぎない非言語的脈絡の働きで密かに実現されているのである。

   発話に込められた「話者の思い」が受け手に共有されるには、それを可能にする言語的脈絡が示されるか、あるいは、そのような言語的脈絡に代わる働きをする「当該発話に関わる非言語的脈絡」が受け手にも共有されるか、そのいずれかの条件が充たされる必要がある。

   "prince des philosophes"〈哲学者の中の哲学者〉の指示内容はアリストテレスであるということが受け手に伝わるには、例えば"Aristote, prince des philosophes"〈哲学者の中の哲学者であるアリストテレス〉のように、話者の思いが言語表現という形で示されるか、もしくは、話者と受け手が、"prince des philosophes"とはある偉大な哲学者の呼称であり、その哲学者とはプラトンのことでも他の哲学者のことでもなくアリストテレスのことであるという「当該発話に関わる非言語的脈絡」を共有していることが必要である。

   ただし、「哲学者の中の哲学者」といった主題になると、「人々は種々の見解を有しているため、哲学者中の哲学者という特性を様々な個人に認め、さらに、その人たちをこの言葉で示す」(『ポール・ロワイヤル論理学』、p.62)ことが往々にしてある。発話に関わる非言語的脈絡は話者に独占されていることも少なくないのであり、それが受け手にも共有されるのはしばしば「たまたま」である。受け手にも共有されている非言語的脈絡を介して「話者の思い」が受け手に伝わるとしても、そのような「たまたま」に則してのことである。

   私にとって"God"は、茫とした《唯一神》であるにとどまるが、「アメリカ合衆国第43代大統領George Walker Bushが口にする"God bless America."」の"God"は「アメリカ合衆国の神、キリスト教の神」である(その非言語的脈絡の広がりが私の場合とは異なる人にとっては、この"God"は単に「キリスト教の神」さらには「神」、時には「異教徒の神」でもあろう)。こうした了解を支えているのは「発話という情報」であるとともにこの発話(「アメリカ合衆国第43代大統領George Walker Bushが口にする"God bless America."」)に関わる「非言語的脈絡」という情報でもある。ここでの「非言語的脈絡」とは、"God"に関わるものばかりでないことは言うに及ぶまい。(「非言語的脈絡」については[1−6]参照)

(〔注1−25〕 了)

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