『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第一章 「カンマを伴う分詞句」をめぐる一般的形勢、及び基礎的作業

第4節 「特定」の諸相


〔注1−32〕

   "the"についても事情は同じである。Zandvoortは A HANDBOOK OF ENGLISH GRAMMAR の中で、R.A . Close, English as a Foreign Language, London, 1962の§85から次の部分を引用している。

"the"はそれを冠された個体を識別するにはそれだけでは十分なものではない。"the"は特定化の指標として機能し、実際の識別は、我々がいずれの個体を表現しているのかを明らかにする何らかの制限的語や句によって、あるいは、文脈によって実現される。(Zandvoort, A HANDBOOK, 320)
   第2版(1977)の翻訳である齊藤俊雄訳『クロース 現代英語文法』の該当部分は次の通りである。
"the"は、個体を確認するのに、それ自体では十分でなく、「特定化の信号」――話者が、「あなたは私がさしていっているものを知っている/知るでしょう」というメッセージを伝える信号――として機能する。実際の特定化は、何かほかのものでなされる。(68)
   これらの記述は受け手の視点から行われている。類似の記述を、清水護 編『英文法辞典』から挙げておく。
A.であげた用法の定冠詞(文脈、周囲の状況などで特定のものに限定される名詞につく定冠詞…引用者)は、だいたい、そのときの状況や文脈によって特定のものに限定される名詞につくもので、冠詞そのものが名詞を限定するというよりも、名詞が冠詞以外のもので限定されるから、その限定のしるしとしてつく程度の形式的・消極的な働きしかしないものである。(Definite Article 定冠詞の項)(下線は引用者)
   「the + 名詞」が脈絡の中で「どの個体」に照応するのかを受け手に伝えるのは"the"ではないことを以下の例で体験できるはずだ。
An intruder has stolen a vase. The intruder stole the vase from a locked case. The case was smashed open.(CGEL、5.36)〈ある侵入者が花瓶を盗んだ。その侵入者は鍵のかかったケースからその花瓶を盗んだ。そのケースは叩き壊されて開けられていた。〉
   "An intruder"には「特別の個別性」([1−27]参照)という在り方の「特定」が実現されている。"An intruder has stolen a vase."という発話全体の働きである。また"The intruder"の場合、「特別の個別性」という在り方の「特定」が実現されていることに加え、その個体がこの脈絡の中で「どの個体」に照応するのかという「発話内照応性」という在り方の「特定」も実現されている。ただし、定冠詞"the"の働きによるわけではない。"The intruder"という「the+名詞」は、それに先行する"An intruder has stolen a vase."の直後に出現することによって、先行部で既に実現されていた「特別の個別性」という在り方の「特定」を引き継ぐと同時に、その個体が発話の流れの中で「どの個体」に照応するのかという「発話内照応性」という在り方の「特定」も実現するのである。"the"は「特別の個別性」という在り方の「特定」を引き継いでいるという「信号」の役割を果たしてはいるが、「発話内照応性」という在り方の「特定」の実現にあたっては無力である。

   また、もしこの一件が警察がその捜査に関与すべき類の窃盗事件に照応するとしたら、"An intruder"も"The intruder"も、これからその正体を突き止められるべき対象、発話内の「一個体」と外部世界の「一個体」とを照応させるのに必要な個体識別標識がこれから見出されるべき対象である。発話内の「一個体」が、外部世界でも有効に機能するような個体識別標識を一つ一つまとうにつれて、発話内の"The intruder"に照応する外部世界の「特別な一個体」の正体が明らかになってゆき、ついには外部世界においてその個体を「特定」することが可能になるかもしれないが、当然のことながら、そうした「発話外照応性」という在り方の「特定」の実現もまた定冠詞"the"が担うべき役割ではない。そして、「発話外照応性」は、発話の内側にとどまって記述を続けている本稿においては直接的記述対象とはならないことは既述の通りである。

(〔注1−32〕 了)

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