『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第六章 開かれた世界へ

第5節 解読という誘惑


〔注6−42〕

   残る一例の母節の主辞は固有名詞"Tom"であるが、これは、「Being fine the day, we decided . . .は不適切であるが、Being athletic, Tom found the climb quite easyは問題ない。Tomが分詞とその後に続く動詞双方の主辞であるからだ。」(PEG, 277)という記述中に示されている文例の場合である。

   母節の主辞が代名詞の場合、その直後にカンマを伴う分詞句は位置しないことが注意事項として指摘されることがある。

【注意】代名詞である主文の主語に、分詞構文を直接続けることは避ける。
   Tom, seeing me, ran away.〔正〕/He, seeing me, ran away. 〔まれ〕
   〈トムは、私を見ると、逃げて行った.〉
これは、〈非制限的〉関係詞節が、代名詞を先行詞としてとることができないのと並行的現象である。 (安井稔『改訂版 英文法総覧』p.234)

主語が代名詞の場合には分詞句はその前に置かれ、完全に前置される。
  (大江三郎『講座第五巻』p.227)

   なぜか。以下に引用する記述に見られる程度の憶見なら語れそうな気もするが、感想を述べるにとどめる。

   "He, seeing me, ran away."のような形態の文("And he, feeling her watching him, would glance up at her …."という文が『講座第五巻』p.230に引用してあった)を私は一度だけ目にした記憶がある。

They, having rightly argued that the tax cut was irresponsible, are now forced to choose between busting the budget themselves and abandoning pet projects.
〈(ブッシュ大統領の)減税案は無責任であると当然のことながら主張してきた民主党側は、今や予算を彼ら自身が破綻させるか、お気に入りの諸政策を断念するかの二者択一を迫られている。〉
(注)They : The Democrats
(Editorial: Some W's for Mr. Bush, Washington Post.com, Sunday, August 5, 2001; Page B06)

   従って、こうした文は私にとっては極めて稀な形態の文である。そして、このような形態の文を目にすることが滅多にない理由は恐らく、"He, seeing me, ran away."といった文の代役を、"He saw me and ran away."(あるいは" Seeing me, he ran away.")という形態の文が通常は果たしているからであろう。

   こうした感想はほどほどに妥当でもあり無難でもある推測であるような気がする。少なくとも次のように口走るよりはずっと。

すでに述べたように分詞句は構造的には主節の主語を修飾する句である。学校文法ではこれを「分詞構文の意味上の主語はふつうその文の主語である」という。代名詞が主語として用いられるということは談話の先行部分においてそれが受ける名詞句がすでに出ているということを意味する。従って分詞句の理解に際してそれの意味上の主語は談話的に先立つ部分に認知でき、時問的に後続する部分までそれの認知を延期するという不都合は生じない。これに対して主語が代名詞でない場合、その名詞句は既出でない可能性が非常に強い。従ってこのような場合――例えば(3)a(John, taking out a cigarette, lighted it and smoked quietly. …引用者)や(6)(John, having done his homework, went upstairs to bed. …引用者)――主語が分詞句のあとに置かれる、つまり分詞句が完全に前置されると、分詞句の意味上の主語を認知するのにそれのあとまで待たねばならないという文の知覚処理上の不都合が生じる
(大江三郎『講座第五巻』p.227--228)(下線は引用者)
   これをもし「不都合」というなら、制限的名詞修飾要素が後置されると、それが完結するまで被修飾語句である名詞が何を指示しているのか分からないという「不都合」が出来するとでも言わねばならなくなる。認知にはいずれ一定の時間が不可欠である([1−43]参照)。分詞句が文頭に位置した場合にその暗黙の主辞を認知するには一定の時間を要することが不可欠であることを指し、これを「知覚処理上の不都合」と評するとすれば、著しく適切を欠いた判断である。「知覚処理上の不都合が生じる」と書く代わりにせめて「suspenseが生じる」とでも言って欲しいところだ。Curmeはあちらこちらでこの"suspense"という語を用いている。
自動詞や受動態の場合、主辞はしばしば一時的に保留され、時には文末に至るまで保留されることがある。宙ぶらりん感[the feeling of suspense]を引き起こし、そうすることで主辞に対する意識を一層強めることが狙いである。(CURME, Syntax, 3)
   Curmeから短い文例を挙げておく。
From mere cuttings have been grown some of the finest rosebushes I have.
(ibid)(下線は引用者)
   ただし、Fowlerは、こうした"suspense"が文頭に位置する分詞句によって演出される場合、そこに「仰々しさ」を感じ取っている。
こうした文においては、私たちは中に入る前に、歩哨に誰何される。分詞あるいはそれに相当する何かしらの語句がまず先に置かれ、指揮官(即ち文の主辞)との面会がしかるべき形式を踏まずには行われないようにするのである。
(Fowler, A Dictionary of Modern English Usage, PARTICIPLES[分詞] 4. Initial participle &c.)
   八例挙げられているが初めの二例だけを引用する。
Described as 'disciples of Tolstoi', two Frenchmen sentenced at Cheltenham to two months' imprisonment for false statements to the registration officer are not to be recommended for deportation.

Composed of the 3rd Royal Fusiliers, the Scottish Horse, & the 2nd Royal Dublin Fusiliers, the 149th Brigade, as General Jackson (50th Division) says in his foreword, represented 'the very best material, traditions, & qualities of England, Scotland, & Ireland'.
(ibid)(下線と太字体は引用者)

   主辞が文末に位置しているため、文の主辞の認知にほんのわずか余計な時間を要するという程のことを指して「不都合」とは言わない。分詞句が文頭に位置する場合の分詞句の暗黙の主辞の認知についても同じことだ。以上の点は言葉遣いの問題ではない。

(〔注6−42〕 了)

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