第6節 何が曖昧なのか その一 「簡潔さ」と「曖昧さ」
〔注7-57〕
「カンマを伴う分詞節」を「圧縮」や「縮約」に結びつけて考えることにはどの程度の妥当性があるのだろうか。以下は周知の指摘であるはずである。 しかしながら、-ed節や無動詞節とは違って、こうした-ing分詞節は厳密に省略的な節であるとは見なし得ない。なぜなら、-ing分詞は必ずしも(-ing分詞節と…引用者)等価の定動詞節中の進行語形の代わりではないからである。-ing分詞はそうした相的区別[aspectual distinction]を中立化する。歴史的視点からの次のような記述は、「カンマを伴う分詞節」を「圧縮」や「縮約」に結びつけて考える姿勢に疑義を唱える根拠ともなりそうなものであるが、均衡感覚に優れたCurmeの記述はむしろ、いかように考えるにせよ慎重であるべきことを教えているように受け取れる。 こうした簡略化された節[abridged clauses]はその元来の形態においてはより完全な節構造より古いものであり、それゆえ、歴史的な意味では、より完全な節構造から簡略化されたとは言い得ないのではあるけれども、「簡略化された[abridged]」とか「縮約された[contracted]」という表現は不適切であるわけではない。というのも、より簡略な構造はより完全な、より複雑な構造と長きに渡って密接に関わってきており、より完全な形態と対照した場合、現在では簡略化されたもの[abridgments]あるいは縮約されたもの[contractions]と感じられているのであるから。「簡略化された節」の一例は「述辞並置分詞構造[predicate appositive participial construction]」(ibid)である(具体例は[7-49]参照)。歴史的過程は簡略化というよりむしろ複雑化であるらしいことを次のような記述は教えてくれる。 分詞は簡潔で便利である一方、副詞的関係を明白に表してはいないことがしばしばある。正確な意味にとっては不十分であるとして分詞を退ける代わりに、完全な節の特徴、つまり接続詞を分詞に導入することによって、分詞を向上させる試みが昔から行われてきた。「カンマを伴う分詞節」を「圧縮」や「縮約」に結びつけて考えることにどの程度の妥当性があるのかについては、更に本文の続く記述を参照。
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