第6節 何が曖昧なのか
〔注7−76〕
相に関わる重要な問題として、相を語ること自体が容易ではない、つまり、相という文法的範疇それ自体がいわば曖昧であるという現実がある。相の世界もまた一つの迷宮であり、相全般について明示的に記述するなどということは私の手に負えることではないと感じている。
ASPECTという語は、動詞の表す活動作用[verb action]が時間との関連でどのように見なされるのかあるいは経験されるのかを反映する文法的範疇のことを言う。時制とは違って、相は、発話が行われる時と関連していないという点で、直示的[deictic]ではない。
実際には、相は意味の上で時制と非常に密接に結びついているため、英文法における時制と相の区別は、我々の頭の中で二種類の認識を、即ち、時制の語形的認識[morphological realization of tense]と相の意味上の認識[syntactic realization of aspect]を区別するのに役立つ用語上の利便[a terminological convenience]というほどのものでしかない。
相を大がかりに認めるのは、さきのDeutschbeinやCurmeのような、意味に重きをおく学者である。ただし時制の場合のような一致したものは認められない。
相に相当する意味は、単に完了形、進行形の如き文法形式によってのみでなく、動詞の示す意味全体により、接尾辞等により、さらに文脈により表わされるのであって、英語に相を認めるか否か、認めるとしてもどの範囲内で認めるかについては、一致した意見がない。
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