1 空華の現象学 { 経済、文化などの生活の哲学 }

2 広場

3 あなたもインタ−ネット散文詩を創造してみませんか

{下線の部分をクリックして下さい。これから開発していこうとするインタ−ネット散文詩のイメ−ジが湧くと思います}

創造の源泉は無である。何も書かれていない真っ白な画用紙があればこそ、その上に絵を描くことが 出来る。何も音の聞こえない静寂があればこそ、そこに名曲を流すことができる。あなたの持っているノートはまだ何も書かれていないページであればこそ、そこにあなたの色々な思いを書き込むことが出来る。 仕事の苦労話でも、ものをつくる創造の喜びでも、ほっと一息つく時の一片の詩でも、複雑な人間関係の中にふと友情を感じるような時でもなんでも書き込むことが出来る。

宇宙もビックバンの前は無であったという説が有力である。その無の宇宙から、今の様に広大な宇宙が出来てそこには銀河が無数にあり、恒星や惑星があり、そして文明を生み出した人類が地球に誕生した。とすると無というのは創造の源泉として大切なものではないかという考えが生まれる。 

ある優れた禅僧は「真理を知るには 自己を忘れることである。」と言った。たとえば仕事に夢中になっている時は 自己を忘れ 仕事と一体になっている時ではないだろうか。その時こそ真実に生きている時ではないだろうか。 自己を忘れるとは自己が無になることであろう。そうした時、宇宙の聖なる神秘が知られるということを昔の哲人は経験したようだ。そういう書物がいくつも残っている。たとえば「正法眼蔵」。決して科学的な分析力ではこうした無と無に住みつく神秘な英知を把握することは出来ないとはそうした過去の優れた人が見破ってきたことだと思われる。 

無こそ神秘の扉をあける鍵ではないだろうか。

今、あなたは空華の世界を知らないとする。これは無の状態であり、創造の始まりを待つ状態にあるのではなかろうか。さあ、なんでも良い。ビデオでも名画で゛も音楽でも風景でも、人とのふれあいでもあなたが何かに感動する時 、あなたの創造は始まるのではないでしょうか。

人は宇宙の聖なるもの、いのちの世界、空華の世界にふれた時に感動するものです。理屈はどうでも良いのです。感動した時、あなたは日常の世界と隣り合わせにある永遠の生命の世界に既にふれているのです。あとはぺんをとるなりして白いノートの余白に字をうめていくのです。

それこそあなたの芸術です。あとは人にも同じ感動を与えるような技術が修練として要求されますが、これは時間をかけてのんびりやれば良いのです。

空華カルチュア{ culture }

代表 音風祐介