寄りみち(VOL.81, 2000年4月号)

MY古酒をつくりませんか?花札(桜)

 春、4月です。
 暖かくなって、桜の花も咲きました。新しい事が始まる季節、わくわくしますね。

 新しい人生の門出を迎える季節に一つ提案・・・。自分の記念日に自分で自分の古酒をつくりませんか。

 まず、自分のお気に入りのお酒(生酒でないもの)を選んで、記念日(入学、入社、結婚、出産、などなど)の当日の新聞紙に包んで保存(寝かせて)します。保存の場所は、日光の当たらない、なるだけ温度変化の少ない場所。冷蔵庫でもいいし、押し入れの中とか、流し台の下など。

 保存の温度の違いで、お酒の熟成の具合も違ってきます。冷蔵庫で保存してあげれば年寄りゆっくりと、押し入れの中などの常温で保存すれば、自分の生活といっしょの季節の変化を体験して、それなりに熟成してゆきます。
 どちらがお好きか、自分が楽しいかは各々で・・・。

 どんなお酒に育ってゆくんでしょうか。これこそ、店頭で売られている古酒とは違う自分だけの楽しみのいっぱいつまった古酒。時の流れを感じながら味わいたいですね。
 問題は、寝かせたお酒をいつ開けるか? か。

 実は、木陰浮月粋人盃にも1本あるんです。憶えていますか?

 平成7年10月4日、第15回粋人盃、鳥森亭で岡山の利守酒造専務・利守弘充さんを囲んで「酒一筋」を楽しみました。第15回目(キリの良い数?)ということで、その日の新聞に包んで参加者30名全員のサインを入れた純米吟醸「田村」が1升、倉庫の地下室で眠っています。

 もう5年目を迎えました。どう変わっているのかな。とりあえず、開ける時は当日参加された方が優先ですよね。
 30人で1升が1本・・・。
 何時、どうやって開ければいいやら。

KAWASAKI Frontale

 4月5日(水)、等々力競技場での川崎フロンターレ対ガンバ大阪の対戦、フロンターレの応援に行ってきました。
 延長のすえ、2対2の引き分けでしたが後半になるにしたがって上り調子になったフロンターレ、だんだんと実力を発揮、熱のこもった試合で観ているほうもつい声が出る、ドキドキの力の入る戦いでした。

 もう1回、フロンターレにゴールを決めて欲しかったけれど・・・残念。次回は頑張ってもらいたいですね。
 この興奮で、2日間ほど応援疲れがとれなかった、私・・・歳カナ。

ヤッター!!4月15日(土)川崎フロンターレが地元で初勝利!雨の中、応援に行ってヨカッター。

第40回 木陰浮月粋人盃のようす

 3月22日、北陸酒蔵ツアーの熱気も冷めやらぬうちに、第40回の木陰浮月粋人盃「天狗舞特集」を行ないました。
 吟醸酒のセレクトは、蔵元の車多一成さんにお願いし、発売前の「大吟醸・中三郎(生)」や非売品「山廃吟醸生原酒」を含めたそうそうたる旨酒を「海鮮山鮮」の渡辺栄治さんのこだわりの料理とこころゆくまで楽しみました。
 北陸酒蔵ツアーに参加したメンバーはラベルの裏にひそむ蔵元の情熱をそのグラスに映し出し、また土産話にもおおいに花がさきました。旨酒と共に「天狗舞」の感性までも伝えることができたでしょうか?少しでも伝わったのであれば、これ以上の喜びはありません。
 次回は6月に予定しています。詳しくは来月号にてお伝えします。

吟醸王国 石川県・松任・鶴来 主の住む里へ<1> 天狗舞

 3月に粋人盃のメンバー11人で行った酒蔵見学のレポートが届いています。見学させて頂いた順番で、今回は、渋谷薫さんが書いて下さった「天狗舞」の車多酒造の見学をご紹介します。
 車多酒造は文政六年(1823年)創業、松任市で生まれた独特の風味の山廃造り「味くちの酒」を醸しています。

【雪残る早春の加賀百万石、肥沃な土地に根付いた美酒の源を尋ねて】  渋谷薫

 3月とはいえ、まだまだ日本海からの冷えきった北風を受けながら金沢駅に降り立ったのは午前11時だった。
 太平洋から日本海側に近づくにつれ、新幹線の窓から見上げる青空は狭くなり、目的地金沢に着いた時は、重苦しく垂れこめた雨雲から冷たい冬の雨が降りしきっていた。

 北陸本線で約30分、松任駅へ。初日は「天狗舞」だ。
 タクシー3台に分かれ、目印の煙突のある車多酒造さんに向かう。 「最近酒造見学に来るお客さん、結構いるよ」タクシーの運ちゃんが言っていた。

 車多酒造さんの建物は由緒ある旧家をそのまま使っていて趣があり、金沢に来た、という実感がわいた。杉玉はまだ中心の方は緑が残っている感じだった。
 その軒下に建物同様年代物の大きな太鼓がつるしてある。地主さんだったころ、大勢の使用人を呼び集める時などに鳴らして使っていたそうだ。

 本日向かえてくださったのは車多一成さんと徳田さんである。
 がらがらと引戸を開けて中に入り、案内されたのは太い梁と高い天井の囲炉裏のある部屋であった。魚を象った木製の自在鉤はマホガニーの様にぴかぴかに磨き込まれている。150年前の家だというが、居心地はかなり良い。
 皆で囲炉裏を囲み、初めなので少々緊張ぎみでお話しを伺う。一成さんはこの部屋でよく一人で酒を飲むそうだ。「家の中にいながら雪見酒ができるんですよ。」なんと畳から5mもある天井には歴史の重みだろうか、所々にすき間が空いていて部屋の中に雪が降り込んで来たりするという。風流を解するにはそれなりに辛抱も肝心だ。

 さっそく蔵のパンフレットを頂く。あまり説明がましいことは書かれていない。
 写真もレイアウトも美しいシンプルなパンフレットだ。一成さんと徳田さんお二人で制作されたそうだ。そういえば金沢駅ホールの柱に天狗舞の広告があったが、着物姿の若い女性が、カラフルな釣瓶(つるべ)に入れた酒を喉を見せて豪快に飲み干している写真だった。後で聞いたところによると、CM用ビデオもあるという。
 この先一成さんが蔵のアピールをされるようになると、きっとこうしたポスターの趣も変わり、昔ながらの酒蔵イメージがどんどん洗練されたものになってゆくのかもしれない。現に今は準備中だが、ホームページも一成さんご自身が制作中で、十四代の高木酒造さんの写真を手がけた名智カメラマンとお仕事をされているということだ。完成が待ち遠しい。

 今日の絞りは山廃純米だそうだ。「明日だったら大吟醸だったんですが、残念でした」
 いやいやとんでもない。山廃生の美味しさを教えてくれたのは天狗舞だったのだから!今年の出荷は6000石、市販では1.8Lで70万本だそうだ。全体の出荷の中で山廃が占める割合は8割 ! ! !やはりこの蔵は山廃のオーソリティだったのだ。
 さて、いよいよお蔵の中を案内していただく。
 ほの暗くひんやり湿った空気の中に一歩踏み込むと、酒造所独特のお米とお酒の香りが胸を満たしていくのが分かる。一年ぶりだ。鼓動が早くなった。
 初めに蒸米をする「甑」を見せていただく。1500kgと1800kgの2機で、1日最大3300kgできるそうだ。

 続いて精米機。32インチロールのものが2台あり、全て自家精米だそうだ。
 50%磨くのに1昼夜、35%では4昼夜100時間近くかかるという。お米が固ければ更に余計に時間がかかる。
 車多酒造さんでは現在酒母のお米は地元米の五百万石と山田錦しか使用していないそうだ。精米機の奥の棚には来年用の山田錦を貯蔵してあった。一段720kgで大吟タンク1本分。精米してから貯蔵するそうだが、何%精米かは聞けなかった。
 石川県は酒米の精米歩合では全国一という。平均58%、最低でも65%。
 車多酒造さんの場合、大吟は全て40%以上の磨きというから、贅沢なお酒だ。
 戻り際、山田錦の袋に入った地元米「ほほほのほ」を触らせて貰う。これは主に普通酒の掛米に使用されるらしい。命名した人の真意が知りたくなった。

 来た道を戻り、最初に横目で見ながら通過した麹蓋・麹箱の説明を受ける。
 麹蓋は吟こうぶり・古古酒などの大吟のみに使用し、中吟以下は箱麹だそうだ。蓋を揺すりながらちょうど真ん中に米を持ってくるのが実はとても難しく、相当熟練が必要ということだが、ここの蔵の人は全員できるという。やはりすごい。

 次は瓶詰めライン。こちらでは、火入れした60℃のままで瓶を積み上げるとなかなか酒の温度が下がらないため、酒瓶に冷水のシャワーを当てる機械を導入している。これで35℃位に下げるそうだ。「shibuya」という会社のもので、ちょっと嬉しくなった。残念ながら一号機は越の寒梅さんのところに行ってしまい、ここにあるのはのは二号機だそうだ。

 瓶を和紙で包む作業も今は機械を導入しているということだが、大吟の包装だけは今でも一本一本手作業で行っている。大吟の包装紙は一枚60円もする本物の和紙で、機械では包めないのだそうだ。機械包装のものを見ると、外側は和紙風だが内側はビニール張りで、瓶底中心部で熱処理をして接着しているのがわかった。
 傍らにお化粧を済ませた「吟こうぶり」が積み上げられている。出荷を待つばかりだ。
 なんと「吟こうぶり」として育てられたお酒の中にも落ちこぼれが出るそうだ。
 徳田さん自ら味見されて、そして更に社長さんが「よし」と納得したものしか「吟こうぶり」になれないのだ。では「吟こうぶり落ち」はどうなるのか?なんと古古酒吟醸に混ぜられるという。「古古酒吟醸の中には当たりがあるってことですね」「お客さんに違いが分かるくらいじゃ出せません」う〜ん、納得。ちなみに大吟は全て瓶貯蔵ということだが、その貯蔵温度は「企業秘密」だそうだ。

 さて、次は麹室である。もちろん雑菌を嫌うため、全員手をしっかり消毒する。
 普通酒用の麹を味見させて貰う。触るとさらさらしていて、味はほんのり甘い。
 大吟の麹室は40℃以上になり、そこで3〜4時間ぶっ続けでひたすら米を一粒一粒ほぐすという。とんでもなくハードな仕事だ。そのせいか、車多酒造さんでは70歳定年制をとっている。多分体力の限界をその当たりに置いているのだろう。
 去年ベテランの麹やさんが70歳で引退されたが、後を引き継いだ若い麹やさんは、10キロ!も痩せたというのだ。約半年も続く酒造り、70歳でそんな体力を維持できたのだろう。日本酒造りには、人間の限界をはるかに越えた力や感覚が、本当にたくさん存在するものだと改めて感じる。ちなみに定年された麹やさんは、他のお蔵に杜氏さんとして再就職されたそうだ。定年がなければまだまだ続けておられたに違いない。

 麹室を後にし、いよいよ仕込みタンクの並ぶ「石蔵」を見せて頂くことになった。
 実は昨晩、石蔵仕込み山純生を飲んできたので、必要以上に感情移入してしまった。
 こちらのお蔵は地元の「戸室石」と「天狗石」でできているという話しだった。
 タンクは奥から仕込みの早い順に並んでいた。2日目のもろみはまだお米の香りがとても強い。3日目もお米の香りだが、ぷつぷつと小さな音をたてながら泡が立ち始めている。「夜、しんと静まり返っている時に、一人でこの音を聞くと不気味ですよ」
 確かに目に見えない大量の微生物の活動音だけが、蔵じゅう充満しているさまは、一種異様な世界かもしれない。4日目には表面の泡の中に2本の筋のようなものが見られた。これが初期の筋泡というやつかな?そして5日目〜6日目、私は無謀にも発酵絶好調のタンクの中に顔を突っ込み過ぎてしまったため、多量の炭酸ガスを吸い込み、ものすごくむせてしまった。一年に一人か二人は蔵人さんがこいつで気を失ってお酒のお風呂で溺れて亡くなるそうだが、本当に命懸けだということを改めて実感。
 発酵日数は吟醸は34〜5日、山廃純米でも24〜5日とかなり低温でゆっくりだそうだ。
 最後に、その山廃のもろみも見ることができた。表面は泡というより、そとかべかちりめんのような不思議な凹凸模様を描いている。「山廃面してますよ」徳田さんが嬉しそうにおっしゃった。「やまはいづら」愛情のこもった言葉だった。
 蔵見学の最後に、圧搾機から直接絞りたての「山廃純米」を汲んでもらい、試飲させてもらった。18.5度、プラス4のお酒だそうだ。甘味と酸味と苦味が口の中で暴れる。
 飲み込んだ後はもう一口欲しくなる引き締まった辛さが残っていた。

 さて、囲炉裏部屋に戻り、山廃吟醸の生を頂いた。このまま一年半程寝かせて来年の夏出る予定だそうだ。絞って2週間ほどのお酒は、酒盃底の藍色の渦巻きの上で、わずかなおりを踊らせていた。この滴が再び私たちの舌を潤す時までこの余韻をしっかり覚えていたい、と心底そう思ってしまうほど、強烈に旨い酒だった。

 その晩、一成さんお勧めの香林坊の居酒屋「いたる」で酒宴が開かれた。富山湾の新鮮な捕れたての魚介の刺身が有名なお店で、民芸調の店内に掘炬燵風のテーブル、一成さんを囲んでの楽しい一時であった。大吟生(非売品の中三郎),古古酒,旨吟生とそれぞれ素晴しいお酒を頂き盛り上がり通しだったが、特に印象的だったのはやはり、乾杯に頂いた大吟生だろう。乾杯の後、暫し我慢でお通しの塩辛をつまんでから、店の名物「日本海の刺身桶盛り」がどん!と登場するや否や、さては引立て役にわざと塩辛を出したか、と感じるほど盃が止まらない。旨い酒は何にでもあう、つまみは塩がよい、つまみいらずの酒、などなど様々な意見は多かれど、「旨いものを引立て、尚且つ自分もつまみに引立てられる酒」というものをしみじみ感じた感激の夜であった。

 お忙しい中、細やかに説明して下さった徳田さん、遅くまで酔っ払いにおつきあい下さった一成さん、私たちを寛大に向かえて下さったお蔵の皆さん、そして社長さん、本当にどうもありがとうございました。

 私事で何ですが、不慣れなレポートを最後まで読んで下さった皆様にも感謝いたします。

今月の酒・味だより

 今月の酒味だよりはお休みです。


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