オーストラリア奮闘記第二部

ここで会いました。


これから、エアーズロックに行くことにした。またアデレードも通るけど、シドニーに最終的に行かねばならない。エアーズロックは是非行きたかったので、MAXの家に寄るとまた何泊もしてしまい、もう寄れなくなってしまうので、マックスに電話して御礼の手紙書いておいた。本当のことを言うと、横柄に育てられた俺にとって、これ以上の優しさには耐えられないのだ。しばらくちょっと辛い事していないと、感情的にもろくなりそうだ。


まずは、アデレードに向かった。昨日は、3時過ぎまでディスコに居たので、疲れが出てきた。これから26時間バスで移動する。寝たり起きたり繰り返して、同じような風景を通過してアデレードについた。


エアーズロックの宿など取っていないので、アデレードのバスティーポでエアーズロックのパンフレット持ってきて調べる。ドミトリー(相部屋)のロッジが35ドル。キャンプ場が15ドル。何も予約してないで泊まれるのかなー。考え込んでいた。


30Mぐらい先のベンチに日本人らしき女の人が一人で座っている。こっちを見ているように見える。新婚さんかなー。しばらくいろいろ資料見て、考え込んでエアーズロックのバスの出発時間を確認に行く。戻ってくるとまだ一人で座っている。


話し掛けてみた。「エアーズロック行くの?」ニコニコしながら「そうです。」と答えてきた。なんと彼女は、一人で来ていると言う。こんなにビビリまくって移動してきたのに、女の子が一人で来るとはびっくりした。バスも同じ。色々体験をお互い話してから、バスに乗った。席は別だったので、それからは疲れていたのかすぐ寝てしまった。


突然バスの外でドンと言う音がした。何の音だろう。あたりは真っ暗。何も見えない。懐中電灯が何かを照らしている。目を凝らすと、カンガルーを運んでいた。「引いちまったのか。」共存していくと言うことは、こう言う事なのだろうか?ブロークンヒルで聞いた、車についているカンガルーよけも役立っている。事故多いんだろうなー。複雑な気持ちで、また寝る。


しばらくして、バスが休憩所に止まる。のどが渇いていたので、ジュース買いに行く。外に出てびっくりした。星が落ちてきそうな輝き。こんなすごいの見た事無かった。何だよー星座全然分からない。するとさっきの女の子が来て色々星座教えてくれた。俺が南十字星だと思っていたのは、「ニセ十字というんだよ」と言われ。オリオン座の反対なのがあると言うと、「ここは南半球だから見え方違うけどオリオン座だよ」といわれた。一つも分からない何かカッコ悪リー。



彼女がMちゃん。彼女こそが数年後私の奥さんになります。人生色々。今は、前妻となっとります。出会ったときの詳細は、誰にも話してなかったので、初公開なのだ。



すげー!エアーズロック!!


朝になると、周りは砂漠地帯。たまに動物が歩いている。サファリパークも行った事も無かった俺にとっては、メチャクチャすげー景色だった。これぞ大自然。何時間たっても同じ景色。日本には絶対無いすごい光景だ。オーストラリアを感じながらエアーズロックに向かってひたすら移動していった。


かなり近くまで来た休憩所につくと、凄く暑くなってきた。しかも、耳元でぶんぶんうるさい音が・・・。そうなのだここは、ハエだらけ。話しているだけで、口の中に入ってしまう。手前の休憩所で、網が顔の周りに張ってある帽子の意味がやっとわかってきた。


エアーズロックに近づくにつれ、日本人が増えてくる。そして、アリススプリングにつく頃には、日本人で一杯になった。オーストラリアに来る日本人はみんなエアーズロックに向かうらしい。今までの日本語とは無縁の生活から比べると、何とも日本人ツアーのようなことか。まあいいか。


アリスからバスに乗り換えて、エアーズロックへ・・。途中から、マウントオルガなどの凄い大きな岩が迫ってくる。でかい!でかすぎる!大きな岩を横目に見ながら、幸せを感じていた。



しばらくすると、エアーズロックが見えてきた。すげーきれいだし、形が整っている。


自分の考えの中では、自然の創造物で感動的なのは、まずは大きさ。次に形。富山も世界で一番高い山ではないけれど、均整の取れた、その形が感動を呼ぶ。世界でも類を見ないほどなのではないだろうか。だから世界中に知れ渡る山なのだ。エベレストの形に感動する人は、あまりいないと思う。この観点から言うと、日本では岩手山も形の美しさから感動的である。そういう意味では、エアーズロックは、すばらしい自然による創造物といえる。つまり、形も大きさもすばらしく、凄く感動させてくれると言うことなのだ!


ロッジが集まっている場所でSUNSETツアーをやっていた。まだ時間早かったので、途中で知り合った日本人たちと(全員一人旅)、エアーズロック周辺のツアーに出かけることにした。 彼らは、気さくな人たちだったので、エアーズロック滞在中は、一緒に居ることにした。



ツアーに出かけようとすると、大学の友達2人に会った。彼らと打ち合わせしていたわけではない。お互いにオーストラリアにきていることは全く知らなかった。何か不思議な接点を感じながら、後で会う事を約束して分かれる。東京でもあまり会わないのに、こんなところで会うとは、なんと言う確率だろう。また、このことがお互いの気持ちを勇気付けることになったことも言うまでもない。

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オーストラリア人のガイドによるツアーは、言葉早すぎて、半分ぐらいしかわからなかった。みんなで考えながら訳して、何とか説明全体を理解した。本当に凄い大自然と、自然の厳しさをまの当たりにした。ここに一人で置き去りにされたら、生きていけないだろう。一人で来ていると言いながら、周りに助けられながら居る自分を感じていた。人は一人では生きていけないのだ。



エアーズロック周辺には、アボリジニ(オーストラリア原住民)が大勢いた。アメリカで言うインディアンと一緒だ。彼らにとって、ここは聖地であるらしい。彼らによる壁画が、あちこちにあり、遺跡を見学しているようだった。彼らの身なりは、おせいじにも良い身なりとはいえない。あまり裕福ではないらしい。また、彼らの写真をとることも禁じられている。魂を取られてしまうそうだ。(昔の日本みたい)

オーストラリア建国200年とは、白人がゴールドラッシュで移民してきてから勝手に建国して200年経ったというだけ。彼らにとってのこの200年は、屈辱の歴史なのだろう。大都市には、アボリジニが全く生活していない。つまり差別されていることが予想される。彼らが、職業を持つことが、今後のオーストラリアの発展には必要なことなのだ。



エアーズロックに登るぞ!


ツアーから戻ってきて、ロッジを予約する。しかし、満室だと断られたので、キャンプ場に移動することにした。ここであったみんなには、お別れしようと挨拶していると、その中の一人が、ドミトリーで、日本人一人しか居ないし、ベッド一つあまっているはずだから、一緒に泊まろうと言われた。なんとも、移動せずに泊まれることが決まった。

夜は満点の星空の下でバーベキュー。次々に起こる出来事に夜中までみんなで飲み明かす。こんなに楽しい時間は、生まれて初めて。しかも毎日が楽しい。


翌朝、エアーズロック登頂のツアーに行く。バスで移動して、エアーズロックへ・・。近くに来るほど凄い創造物だ!この世界一の一枚岩には、鎖がつなげてあって、これを伝わりながら登っていく。当然凄く急なので、鎖を離せば落ちてしまう。「帽子が風で飛ばされても取ろうと思うな。去年おちて死んだ人がいるよ。」

日本なら、鎖じゃなくて階段になっていることだろう。どう見ても危険な登頂路だった。みんなで登る。途中写真をとりながら登っていくと、一緒に居た仲間が、「写真とってやるよ。」と言ってきたので写真をとってもらうことにした。すると足元の地形が荒れていたため、バランスを崩して、俺のカメラを落としてしまう。カメラが、空いてしまい、フィルムが出てしまった。

彼は、その後とてもがっかりしていていたが、そのために、しばらく一緒に居たMちゃんが、「写真日本で渡すから、私ので写真とろう。」と言ってくれた。


このことが無かったら、結婚してなかっただろう。彼は、キューピットだったのかもしれない。


頂上まで登頂して、周りを見る。映画の場面みたいだった。すばらしい世界を感じながら、自己陶酔していっていった。「オーストラリアに来たぞ!!」



その後、もう一泊して、移動のことを考えた。ゴールドコーストをケアンズから移動するか、ブリスベンから移動するか。ブレットからは、必ず、知り合いの居るLismoreには、寄って欲しいと言われていた。ブリスベンの少し南。Sydneyにも寄らなければならないので、日程的にもきつくなっていた。ケアンズやめた!今まで、お金余りかかっていなかったので、アリススプリングから、ブリスベンまで、飛行機でいって、南下することにした。



移動時間の関係でもう一泊アリススプリングに泊まらなければならない。移動する人たちを聞いてみると、Iと、Mちゃんがアリススプリングまで行くらしい。そこまで一緒に行くことを決めた。


バスで移動してから、アリスで、レンタカーを借りて、適当に観光する。日本には無いドライブを3人で満喫した。みんなありがとう。では日本で会おう!


ブリスベンに行く飛行機は、快適だった。スチュワーデスの優しさが、中華民航との違いを感じさせた。移動距離を考えるとつくづくオーストラリアは、でかいのだ!バスなら25時間もかかってしまうのだが、飛行機ならたった2時間だ!



こんなこともありました


ブリスベンに着くと、またもや日本人に話し掛けられた。又、一緒に行動をともにする。ユースホステルに泊まり、海岸を散歩した。サーファーズパラダイスでは、いきなり、「シーズンインザサン」が流れている。チューブじゃねーか!なんか興ざめした。


ユースホステルで夜を迎える。ドミトリーなので、二段ベッドが幾つか並んでいた。中は、日本人とアメリカ人とオーストラリア人。夜はみんなでビールを飲みながら、盛り上がった。遅くなってから俺は、二段ベッドの下で眠り始める。当然男だけの部屋だった。上の段で、喘ぎ声が聞こえてきた。うるさいなー。と思っていたが良く考えたら、さっき飲んでいた外国人(俺もそうだけど)同士が先ほどの盛り上がりの中で、ホモカップルになったらしい。絡み合いが始まっていた。

こえーよー!俺は、とっさに巻き込まれるのを恐れて、ベッドの端に、洗濯物を干すロープを鉄格子のように張り巡らした。何とか、巻き込まないでくれー!それから、何時間か、喘ぎ声と揺れに耐えながら、眠れずに居たのだった。勘弁してくれよー。



もう一泊して、カジノやピストルを撃ちに行ったり、パラセイリングをしたり、日本では体験できないレジャーをした。



しかし、楽しい日々を送りながらも、徐々に自分の中で納得が行かない気持ちが支配し始めていた。最近日本人とばかりだし、英語を話す機会もどんどん減っている。このままではいけない。何しにオーストラリアに来たんだ。チャレンジしなくては・・・。



結論が出た。リズモアに次に行くことは決まっていたので、そこまで300キロ。ヒッチハイクだ!これしかない。明日朝決行!!



ヒッチハイクは、スリリング!!




朝起きると晴天。絶好のヒッチハイク日和。いざチャレンジ!!



出来るだけ大通りを目指して歩く。狭い道より遠くに行く車も多く、交通量多いからすぐつかまると確信。頭の中では、絶対成功にすることしか考えていなかった。気合が入る。ヒッチハイクを始めた。さあー頑張るぞー。

しかし、道行く車は速度も落とさず通過していく。どーなってんだよー。全然乗せてくれそーも無い。アクションを大きくして、手を振ること約30分あまり。止まった。しかもきれいな若い女性。やったー。

彼女は看護婦だった。これから病院に行くとこらしい。とてもきれいな人で優しくうきうきしながらいろいろ話す。でも行き先のリズモアのことを話すたびに黙ってしまう。なんとなく変な沈黙がはしり、突然彼女が大声で言った「OH!MY GODESS!!」


なんだろー。


「あなたは、リズモアと反対側に立っていたのよ。こっちは逆!!」


すぐ車を降ろされてしまった。なんてこった。せっかくいいスタート切ったつもりだったのにスタートよりも10キロ以上も遠くなっていたのだ!くそー!まあいいか。


すぐ気を取り直して、反対車線に移動した。頭の中では、なんでGODじゃなくてGODESSなんだろうと考えていた。後で分かったけど、GODESSは女神でしした。いろんな言い方あるのだ。


しばらくしたら、二人の中年男性が乗せてくれた。今までのこといろいろ話していると気に入られたよう。とても優しくて、ゴールドコースト良く見える海岸沿い自宅で冷たいピーチワイン飲まないかと誘われた。今度は、凄いラッキー!やったー。

しばらくすると反対車線のさっきのスタートを横目に見る。やっとスタートだ!さらにさっきのマイナス分も大幅に取り返す50キロほどの移動。良かった。


ゴールドコースト沿いのきれいなマンションに着く。バックはそのままで良いと言われたので、トランクに入れたまま部屋に案内される。10階以上のところが部屋だったので、ベランダから、すばらしい風景が見えた。すごい!なんて運が良いのだろう!


さらに二人は、部屋を案内してくれた。ちょっと変だ。なんか俺の尻触りながら案内されている気がした。でも、あまり深く考えずにピーチワインもらう。うまい!またしばらく話していると、いつのまにか二人になっていた。なんか変????


いつの間にか、禿げたおじさんが俺の隣に座ってきていた。いきなり彼は甘い声で、短パンでいる俺の膝をなぜながらこう言った

「Which do you like boys or girls?」


「I like girls!!」

飛び立って大声で叫んだ。また触ってきたら殺すぐらいのつもりだった。二人いるし、バックも車の中。やばい!!どきどきしていた。


すると反応は、思った風ではなかった。


「It’s OK」


バックも返してくれて、ヒッチハイクしやすい地点も教えてすぐ開放してくれた。


一応御礼を言って分かれた。


こわかったよー!暴力よりヤダよー!膝をなぜられた感触が残っていて、思い出すだけでも、背筋が寒い。でも優しい人だったことだけは確かだった。


しばらく道端で座っていた。ヒッチハイクするのが怖い。またホモが乗せてくれて、今度は許してくれなかったらどうしよう。ブリスベンに続きこんなことまであるとさすがに弱気になってきた。


でももう交通手段変えられるような場所ではなかった。やるしかない!なんかあったら戦うしかないのだ!!



気持ちを落ち着かせてから、中年男性でないことを祈りながらヒッチハイク再開。とまれーー。


しばらくするとボルボが止まった。でも今までに無く緊張した。車中を見ると老夫婦。よかったー。助かったよー。ほっとした。


とても優しいのだけど、発音が難しい。何言っているか良く分からなかった。でも日本に行ったことがある親日家で日本語少し知っていた。片言の日本語ではしゃぎながら、楽しいドライブだ。気は楽になった。しばらくして、降りる。ありがとー。


だいぶ気楽になったものの、新しい車に乗ると思うと、まだ気持ちは落ち着かない。緊張しながらヒッチハイクしていると、今度は全然乗せてくれなくなった。やはり、緊張感が消極的なアピールになっているのだろう。だんだん乗せてくれない人たちに頭に来た。たまに、罵声を浴びせながら通っていく車もいて、ますます頭に来て、走っていく車に石を投げたりしていた。


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ゆるさん。なんとか乗せてもらうしかない。車の興味を引くように、道端でバック転したり、大声で叫んだりしていた。


一時間ぐらい待っていただろうか?もうすっかりさっきの恐怖は無くなっていた。何でも良いから、乗せてくれーーーー!


ピックアップトラックが止まった。一人の若い男性。仕事中らしい。

「OK!」

もう全然恐怖心はなくなった。


こういった具合で、もう一台仕事中の車に乗せて貰い。6台目をまつ。


また来なくなった。すっかり田舎だ。ここまで来ると、大変な中で楽しんでいる自分がいる。こんなの絶対日本では体験できない。もう失敗して死んでもいいぐらい満足していた。


いろいろ考えながら、ヒッチハイクしていると、さっき走っていった車がユーターンしてきた。二人連れで来ている日本の男の学生だった。「今までもヒッチハイクしているやついたけど、日本人がしているのは初めて。急いで戻ってきた。」良かったー。日本語楽だよー。今までの事話しまくった。彼らも日本から来て、ケアンズからレンタカーで旅行しているらしい。日本人は楽だ。


彼らも気を使ってくれて、遠回りなのにだいぶそばまで走ってくれる。あと30キロ。ここまで来れば大丈夫。そっちも頑張れよー。


あと少しだ。日も傾いてきたけど、なんとかするぞー。


15分ぐらいで、果物たくさん積んだ老人がトラックに乗せてくれた。車には、犬が二匹乗っている。映画に出てきそうなボロボロの車だ。犬を後ろの座席に乗せて、助手席に乗せてもらう。

座席に座るとちょっと変だ?


ん・・・?あたたかい・・?なに・・・・?


手で触ってみる。やわらかい犬の糞がそこにはあったのだ。「あー!!」思わず声を上げた。老人も驚いて謝りまくった。

「OK!OK!」

ニコニコしながら、犬の糞のおとしてそのまま座った。


30キロも歩けないし、ホモよりましだ。もう匂うのもすべてあきらめていた。老人優しくて、笑いながら、ヒッチハイクの話を聞いていた。「うちに泊まらないか?」嬉しかったけど、リズモアでは、ブレットの知り合いの家に泊まる約束になっている。丁寧に断った。ついにリズモアについた。どうもありがとう。


とても田舎だ。人もほとんど歩いていない。でもすごくきれいな緑につつまれた町だ。凄い達成感に満たされていた。ついにヒッチハイクで300キロ達成したのだ!


しかし手を見ると糞まみれ。忘れていた。これじゃー糞まみれでブレットの友達にあえねーよ。郵便局の裏手に回り、水道で手と短パン洗って、全部服を新しいのに着替えた。まさか街中の郵便局の裏に、全裸の日本人がいるとは思うまい!!客観的に見たらカッコワリー。



電話で着いたことを連絡して、しばらくタバコを吸いながら待つ。最後は汚かったけど、楽しかった。あの糞のインパクトが、ホモのショッキングな出来事を打ち消していた。ヒッチハイクで乗り切った自身が喜びに変った。全部で7回のヒッチハイク。効率よかったのかなー?でも、ここまで出来たら上出来だ。さすがにこれ以上やると、死ぬかもなー。



リズモアもサイコーです!


しばらく待っていると、Willisファミリーがやって来た。医者の主人と奥さん。二人の男の子と、一人の女の子。みんなニコニコして迎えてくれた。ワンボックスに乗せてくれると、子供たちが、いきなり「いち・にー・さん・しー・ごー・・・」と言い始めた。びっくりしていると、ブレットが教えてくれたらしい。「いち」は痛いの「ache」、「にー」は膝の「knee」、「さん」は「sun」、「しー」は「she」、「ごー」は「go」、「ろく」は「Rock」。身振りを交えて、三人が言っているのを見て、嬉しくなった。リズモアも良いぞー。


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凄く田舎だ。でもこれがオーストラリアと言わんばかりの広い広い大草原。車で、家に向かう道の分岐点から「Willis road」と書いてあった。そこの入り口には、ウィリアス家のポストがある。そこから500Mぐらい入ると家に到着。途中に牛が歩いていたりして、とても自然と動物が一杯の良いところ。すげーーーーー!


子供たちは、とても俺に興味を持ったようだ。日本語を一生懸命教えた。彼らの発音もわかりやすく、コミュニケーションとるの楽。みんなで話していると、急に奥さんのエリザベスがニコニコしながら言った。「It’s educational!」。「educational」のところでは、全員がニコニコしながらハモッテ言っていた。

なーんだそうか、何で分かりやすいか。彼らは、オーストラリア語ではなく、意識して英語を話していたのだ。子供を含めて英語を無理に話すことが、エリザベスは、勉強になってよいと思ったようだ。子供たちも勉強しているような違和感があったみたい。優しい人たちだ。多分ブレットや、ブロークンヒルの人たちに、入れ知恵されていると思う。とても暖かい人たちだ。


その夜はさすがに疲れていて、眠くなっていた。寝ようとすると、テレビを見ているみんなから呼ばれる。なんだー。テレビで、高倉健が出ている。映画のようだ。英語の映画なのだが、彼の会話は、日本語。字幕スーパーも出ていない。しばらく同時通訳をすると、みんな凄く嬉しそうだった。でも、長い話はさすがに辛い。少しして、通訳から開放してもらった。


みんなやっと、俺がただの言葉の不自由な人でないことが分かったらしい。母国語の日本語を話すことに、分かっていながらびっくりしたようだ。そーなのだ俺は偉いのだー!!

第二部おわり

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