「外国の読み物」と題して『巴里に死す』を紹介しています。ほかにも『巴里に死す』については様々な記事がありました。

外国の読み物

世界はコミュニケーションの発達により狭くなった。半球は近くなり、大洋は縦横に行き交われるようになった。文学界でさえ、国境に限りなく広がっている。比較文学は、国際的に専門分野の一つになり、すべての出版社が外国の傑作に門戸を開き始めている。政治の世界のみならず、文学の上での通訳者が必要になった訳である。鋭い批評家であり、分別ある随筆家でもあるアルマン ピエラールは、2つの出版社において選書の編集長を務めている。その上、海外の傑作で紹介されるべく作には、彼自らが責を負っている。最近の仕事として、日本で稀に見る成功、12万5千部の出版数を記録した芹沢光治良の「パリに死す」を発表。彼の仕事とはいえ、日本語をこなせる訳でないし、勿論翻訳する能力がある訳ではないが。フランス語版として、まるでフランス人作家が書いた如き結果を示している。文体は明確、精妙、透明である。著者にしても登場人物にしても、我々、西洋文化の国民性から計り知れない、典型的な日本人像と言える。

(中略:ストーリーの紹介)

この著作を、一種の聖なる殉死の教訓と結論するのは、相応しくない。宮島が過ちを告白しても、伸子はぎこちなかった。その娘は、日記を読んで正しい判断を下す事ができるかもしれない。
「自分自身が幸福であるからこそ、配偶者を幸福にする事が可能なのでしょう。もし母が幸福を現実のものと考えたなら、父も、もっと幸せでありましたでしょう。苦痛を感じる故に、父をも不幸にしていました……」
 シンプルな、しかし奥深く感動的なこの小説は、日本女性の、又はすべての女性の栄誉として書かれたのではないだろうか。

北仏とベルギー、ブリュッセルの記事
1954年3月18日 本の世界

出版されるすべての本について批評するのは漠然とし過ぎる。ここに紹介するものがすべてではない。我々に今まで機会のなかった、初めての日本の小説として芹沢光治良の「パリに死す」について述べよう。期待外れどころではなく、魅力と感動が、1行目から最後まで上昇していく。日本、東洋の規律と繊細さと精妙さを隠し持っている。確かに「日、いずる国」の軍隊は、この作品に示されたようなデリケートな使者ではなかった。しかし、どこの国の軍隊が、それ程の勇気を持っていたであろう?いかなる国家も欠点があるものだ。何はともあれ、アルマン ピエラールの賞賛にたえる作業によって、母性愛と真理の美しさを示した作品である。野蛮な日本のイメージどころか、芹沢氏の日本は、「一片を見て全般を卜(ぼく)すべからず」である。10万部以上出たというのは、それだけの燕が存在する、これは考えものだ。このような作品を産み、それ程の成功を見せたというのは平凡な国民ではないし、愛によって分析される我々の国と一線をなすものである。地図の上では距離があっても、東京とセーヌ河畔を近付けるものと言えよう。たった250ページの本ではあるが、大きな書物である!

北仏とベルギー、ブリュッセルの記事
リールという北仏の地方紙
1953年10月9日
ベルギー、ブリュッセルの記事
1953年12月4日


ともに『巴里に死す』のあらすじ等が紹介されている。