(1) あらすじ

実際の登場人物は、中国へ軍医として出征中の山田中尉の妻のみである。夫への長い手紙の中の彼女の独白が、たった今彼女のパリ滞在時の親友ルネ夫人から届いた便りをきっかけに、戦地の夫への思いや、祖国フランスをナチスドイツの軍隊から守るため出征したルネ夫人と彼女の愛息二人ミッシェルとジャンへの思いが去来し、あたかもこの夫妻の対話のように起伏をともなって展開されていく。

彼女が夫へ書いた話は、かつてルネ夫人のパリ郊外の別荘で、ある夏の日に陽光を受けながら、コクリコ(ひなげし)の花園で聞かされたルネ夫人の悲話と、自分も打ち明けた二人の秘密に触れながら、女の情愛が、文明の基礎になるべき次の時代のことや、パリがナチスドイツにより陥落したことに触れられていく。

ルネ夫人には、第一次大戦に出征し毒ガスで肺をやられて帰国した美術家で建築家の若い夫がいた。スイスの結核高原療養所に付き添い、彼の闘病生活中に第二子のジャンを授かるが、毒ガスが子供へ与える影響と母体への影響とを恐れる夫や、彼女の母の人工中絶の強い勧めを断り、精神的弧絶のうちにジャンを産む。ルネ夫人には、夫が彼女の不義の子かもしれないとの疑惑を消せずに心臓麻痺で亡くなったという悲しい過去があった。山田夫人も、夫のパリ留学に同行した初期に長男を流産し、その後授かった第二子である長女を、周囲の中絶の勧めに従えず悩み苦しながら産んだ悲しい過去をルネ夫人に打ち明けていた。

(2) いくつもの挿話が入れ子細工のように、興味深く語られていることに先ず驚かされる。愚かな人間の戦争への本質的な批判精神を巧みに隠しながら。

(イ)主人公がパリ時代にルネ夫人の別荘で過ごした夏のこと。p.10上段

彼女がルネ夫人から借りて読んだデュアメルの『文明』の話がさりげなく入れられている。「欧州大戦に従軍した外科医が、野戦病院で手当した人々の不幸や悲哀を克明に記録して戦争を描き、これが文明だろうかと、自然に愬(うった)えた作品です」と。デュアメルは、芹沢作品にも人間に関する肝(きも)の部分でよく引用される当時フランス最大の良心、モラリストで医学博士、作家で詩人のジョルジュ・デュアメルのこと。(注1) 第一次大戦時には志願の野戦外科医として出征し、その体験をもとに『殉難者の記録』と『文明』とを書いている。『文明』では、フランスで最も権威のある文学賞のひとつ、ゴンクール賞を得た。デュアメルは、機械主義文明や画一主義を鋭く批判。機械技術的な文明の発展ではなく、人間の心に基礎をおく文明の発展、人間的なユマニスムの寛容を尊ぶ文明の必要を説いた。また、本作品の最後の方に、「変わったと言えば、きっと、貴方もお帰りになれば、目に見えない精神の変化に、驚かれることが多かろうと思います。日本が産まれかわる時ですもの、当たり前のことでしょうが、この時ほんとうに産まれかわらなければ日本もおしまいだと、私のような女の身でも感じているのですから、殿方はみな立派な覚悟をもっていることでございましょう。一人一人がその覚悟を持たなければ、どうにもなりませんもの---」(p.27上下段)とあるが、本書が出版された昭和15年(1940年)は、戦前の昭和史にとっても日本の国運の大きな転換点。「八紘一宇」(注2)の精神や民族主義的精神が高揚され出し、翌昭和16年(1941年)12月8日には真珠湾攻撃があり、約4年強で敗戦する太平洋戦争に突入する。

当時、これが特高の厳しいチェックや検閲でよく問題にならなかったと不思議な気がしてならない。

(注1) 57年『巴里に死す』が仏詩人協会の友好大賞を受けた際の会長でアカデミシアン。『私の小説勉強』『現代日本文学』『巴里便り』『怒りに胸はふるえて』『友好国際賞と娘』『海外旅行記を読むには』『文学と天才教育』『私は敗戦前こんな態度で創作した』『静かな人生のたそがれ』(当HP「芹沢光治良文学館」より)

「人間は神と動物が同居している生物だとフランス最大のモラリスト、デュアメルはいっているが、人間に将来がなくなったら、人間のなかの神は死んで、動物だけの生物になってしまうだろう。---人間が動物になったら、なかなか人間にもどるのは困難だ。」『芹沢光治良文学館』第11巻エッセイ 文学と人生 pp.552-553「怒りに胸はふるえて」より

(注2)  「八紘一宇」というのは、ざっくり言えば、「世界は一家、人類は皆兄弟」という意味。昭和15年(1940年)第二次近衛内閣の基本国策要綱、大東亜共栄圏の建設の精神として掲げられている。

「皇国ノ国是ハ八紘一宇トスル嚢国ノ(天皇が国譲りをする)大精神ニ基キ、世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ、先ツ皇国(天皇を尊ぶ国づくり)ヲ核心トシ、日満支(日本・満州・中国)ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序 (欧州列強の植民地主義秩序を打破した東アジアにおける嚢国主義の新秩序) ヲ建設スル」

(ロ)ルネ夫人の手紙にあった、愛息ミッシェルとジャンの志願の出征の話。

かつてパリ時代に山田さんを父親のように慕い、僕の日本人さんと付きまとっていたひ弱なジャンまでが、祖国防衛のために志願兵として出兵するというルネ夫人の絶望に打ちひしがれた悲話が、戦争への批判を隠しながら、ここでもさりげなくこのように語られる。「大戦(第一次大戦)の記憶のある間、人類が二度と同じ愚昧なことを繰返す筈はないと----それを、人類は、たった一人の人間(ナチスドイツのヒットラーのことか)のために、その愚昧なことを繰返さなければならなくなりました。そのために、私はまた、ミッシェルとジャンをも捧げるのです。その一人の人間の無謀な意図を遮るために、愚かな戦いにしろ自分を捧げなければ、人間性が信じられなくなると、ジャンはきっぱり申して征きましたが、何と悲しい言葉でしょう」(p.11下段)そして「どうぞ、ジャンのために祈ってやってあげて下さい。山田さんのためにお祈り致します。こんな風にかよう女の心というものが、この大戦の後に産まれる文明の基礎にならなければ、人類は同じ愚なことを又繰返すのだと、本気で私たち女性は考えなければならないようです-----」と。P.12上段

よく読むと、ここにも戦争への断固とした批判精神が秘められているのではないか。

(ハ)ルネ夫人と山田夫人の出産にともなう二人の秘密の話のこと。pp.16-21

未亡人ルネ夫人の別荘で、コクリコ(ひなげし)が夏の陽射しにゆれる花園で語られたその悲しい話が二人の友情を確かなものにした。当時フランスでは、経済的理由であっても母体保護の大義名分で、ややもすれば簡単に人工中絶が行われていた事実を描きながら、本文ではそれへの作者の懐疑や疑問が顔を出す。本書があの『巴里に死す』の姉妹編といわれる所以でもある。ルネ夫人はフランス人というよりは『巴里に死す』の伸子かもしれない。読みながら何度も伸子の顔が重なった。ルネ夫人は山田夫人にこう語っている。「---お考えになってごらんなさい。あの子(ジャン)の碧くしずんだ目を見る度に、あの時、良人や母や親しい人々の勧告に従って、人工流産したらと思うと、どんな才能の芽がかくれているか、それを摘んでしまったら、私は天国の門をくぐれなかったろうと思いますの---私の国の多くの女性は、ただ自分の小さな幸福という観念のもとに、その大きな罪を犯して、大きい真実の幸福を失っているけど---」と。p.20下段 ここには、「神の領分」と「人間の領分」についてモラリストとしての作者の問いかけが見て取れる。

(ニ)ルネ夫人のオオトイユの別荘(パリから急行で二時間ばかり南下した寒村エタンプ、そこから自動車で一時間ばかりにあるシャトー。邸内を清流が流れ花園や果樹園もある古い城館) pp12下段-13上段 の食堂でよく交わされた会話。第一次大戦の数年後の「戦争論」と「平和論」の話。

機械化にともなう大量殺戮が不可避の近代戦では、勝者も敗者も、その惨害のあとはすさまじく、戦争中の不幸はむろん、戦後も甚大な影響が残った歴史的事実がさりげなく語られているところが凄い。ヨーロッパでは当時、あれが最後の戦争になると誰もが考えていた。当時フランスは戦勝国。敗戦国のドイツは、国をあげての不幸の最中(さなか)にあった。しかし、そのフランスで何がおこっていたのか。

山田夫人の口を借りて作者はこう語っている。「ルネ夫人はよく申したでしょう。フランスでは国庫が枯渇して、国民の死蔵する金(きん)を求めて、『今度は金(きん)をもって国土を護れ』というようなポスターが、農村の壁にもはられ、フランは下落して、外国人が侵入するように押しかけ、パンの値が毎週あがり、国民は生活難に喘いでいましたわね。勝利の代償がこれだろうかと、フランス人は異口同音にその社会不安を、そう云いあったのですから、どんな意味からも、戦争はもうおしまいだと、希望をまじえて決めたのも無理からぬことでした。当時は国際連盟の機能に大きな希望をかけてもおりましたから」と。p21下段

「覚えていらっしゃるかしら。ドイツが国際連盟に迎えられた日のことを。ルネ夫人のサロンで、---ジュネーブの講演を、ラジオで聴いた日のことを。---夫人のサロンや食卓に集まった人々が、そのことについて盛んに議論したことを。

国際連盟にドイツをあたかも貴賓を迎えるように、鄭重に迎えるのは、ドイツの歓心を買うようなもので、祖国を血で護った将兵のことを忘れた悲しむべき政治家の誤謬であると論ずる者。

ドイツを国際連盟に迎えてはじめて、ベルサイユ条約の意図したヨーロッパの平和が、将来に保証せられるのだと論ずる者。

その時、ルネ夫人は主婦らしい態度で、敢然と、一人仲間はずれの子供を食卓に招かない間は、平和はありません。ドイツを国際連盟に加入させ、ドイツの国運が繁盛するのを見て、フランスにも平和が来ると思います。お互いに敵愾心を棄てた日にこそ、ヨーロッパの平和も希望されます、敵愾心を棄てるのは、先ず戦勝国から!でなければ、敗戦国の敵愾心はどうなるのでしょうか。

そう仰有って、議論を中止させたから、私は夫人もドイツ人に対する敵愾心を忘れ、ひたすらキリスト教精神に生きようとしているのだと思いました」と。P22上下段

しかし、現実には、日本人の山田夫妻を寄宿させていたルネ夫人のパリでは珍しい独立家屋にドイツ人の青年が下宿をもとめると、平和論者のルネ夫人がこう言って拒絶する。「XXさんがどう仰有ったかも存じませんが、私は下宿人をおこうとは思いません。万一、下宿人をおかなければならない事情になりましても、それはさきの戦争(第一次大戦)のためですし、良人を戦争でなくした私が、ドイツ人をわが屋根の下へ迎えることができないのは、貴方のお母様に伺えば分かると思います」p.23上下段 やはり、人間の理性と感情は別物である。作者もそう考えている。

(ホ)昭和15年(1940年)6月第二次大戦中にパリは陥落し、ドイツ軍の入城を許す事態に。山田夫人が中国戦線の夫へ書いている話に、人間の理性と感情の問題が容易に解決できないという真実があることが明らかにされている。

「この大戦(第二次大戦)後、ヨーロッパはどうなるのでしょう、関係ないことのようですが、又、十年か二十年先に、同じ大戦が起きるでしょうか。女性のこころが、次の文化の基礎にならなければ、人類は同じ愚昧をまた繰返すだろうと書いているルネ夫人からして、次の復讐を言外に響かせているように感じます。あんな風に激しい平和論者だった夫人までが」と。pp.24下-25上人間の世界は複雑といえば複雑。単純といえば単純なのかもしれないが、人間には理性や知性だけで感情や欲望をもはや制御できないほど文明が進みすぎたのかもしれないと作者は考えているのではないか。この状況を救えるのは、既存の宗教や倫理ではありえないとも。

また、パリ陥落からフォンテンブローの森がドイツ軍に占領されたことを知っ た山田夫人が二人の娘、ラン子と悦子にいろいろ尋ねられていくうちに、つい口を滑らし流産でなくした長男がいたことを告白するくだりがある。pp.25下-27上

そのフォンテンブローの産院に近い森蔭の墓場にカトリックの式で葬った小さな赤ん坊のことを。複雑なことを簡単に書いているようだが、小さな天使とは作者は天使に何を託したのか。平和のための祈りの天使だったのかもしれない。

(3)最後に、本書のタイトル「情愛距離」考をひとつ。

「情愛」(注3)とは何か。なぜ 「愛情」ではないのか。「情愛の距離」の「距離」とは何をさすのか。作者がこのタイトル「情愛距離」に秘めた真意はどんな思いであったのか。

そもそも「情愛」(注3)とは何か、「愛情」(注3)どこが違うのか。「情愛」は、主観的な「愛情」より客観的で、親の愛情であることが多い。目下のものや子供などを対象に、相手を慈しみ、相手に示される寛容やいつくしみのこころと人情などの優しい暖かい人間性の発露。一般には夫婦間ではあまり使われないが、妻の立場で使うとすれば、夫の母親のような立場や視線で夫を慈しみ包み込むことではないか。

山田夫人の場合は、娘たちは身近におり、実際に距離があるのは戦地の夫との距離だけだが、それも本文では差し当たり問題になるものではなさそうである。ここでは、ルネ夫人の場合が問題だと思われる。亡くなった夫とのかつての痛ましい「情愛」と、残された二人の愛息ミッシェルとジャンのこと、いや、むしろ夫の忘れ形見のジャンへの「情愛」が。その「距離」とは、「情愛」を阻む「もの」のことでなければならない。それは、一義的には、「戦争」もしくは「戦時下の自由を奪われた状況」と考えられる。では「情愛」を阻む距離の向こうにあるのもは一体何なのか。

愛する夫や子供の無事だけではないだろう。作者は戦争の向こうに人類が深刻な反省に基づいて築くべき戦後の新しい文明や文化観を描こうとしていたのではないか。特高の検閲が厳しい戦時下ゆえに無色の筆で。もしそうだとすれば、それはどんなことだと考えられるのか。

手がかりは、ルネ夫人の食堂で語られたと言う「戦争論」と「ヨーロッパの平和論」そしてルネ夫人の「女の心(ここでは「情愛」)を基礎とする次世代の恒久平和論」。作者は、ルネ夫人の言葉として山田夫人の夫への手紙にこう語らせている。「こんな風にかよう女の心といものが、この大戦(第二次大戦)の後に産まれる文明の基礎にならなければ、人類は同じ愚なことを又繰り返すのだと、本気で私たち女性は考えなければならないようです…」と。p.12上段

そして、このことはよほど重大なことと見えて、作者はさりげなく山田夫人の言葉として別の文脈の中でも書いている。「この大戦(第二次大戦)後、ヨーロッパはどうなるのでしょう、関係ないことのようですが、又、十年か二十年先に、同じ大戦が起きるのでしょうか。女性のこころが、次の文化の基礎にならなければ、人類は同じ愚昧をまた繰り返すだろうと、書いているルネ夫人からして、次の復讐を言外に響かせているように感じます。あんな風に激しい平和論者だったルネ夫人までが」と。P.24下段

この一見やや反する二つの文脈におかれたルネ夫人の「情愛に基づく進化した文明論」を素直によめば、人類には、夫や息子を国に捧げた世界の多くの女性の「情愛」に基づくあたらしい文明の構築が求められているように見える。このことは、フランス最大のユマニスト、デュアメルが、機械主義文明や画一主義をするどく批判し、機械技術的な文明の発展ではなく人間の心に基礎をおく文明の発展、人間的なユマニスムの寛容を尊ぶ文明の必要を説いたことを考え合わせると、きわめて明快にわかる。

しかし、作者は、そのあたらしい文明の基礎として、「情愛」は、必要条件ではあるが、十分条件ではないと考えていたようだ。

では、一体十分条件とは何か。それは、デュアメルをはじめフランスのモラリストが唱えていた人間にとってもう一つの大切なものの再評価、魂や精神をふくめた神の分身たる意識(あるいは人間の欲・高慢を抑える超越的な良心といってもよい高次の精神作用)が、必要条件を補完する十分条件になりうるということを作者は行間に書いていたのではないか。

(注3) 「情愛」は、web辞典等では、次のように解説されている。

情愛(じょうあい)とは、愛情と言う言葉を逆さにしたものだが、ニュアンスには大きな違いがある。愛情とは、相手に注ぐ愛の気持ちであり、また、深く愛する暖かな心も意味する。一方、情愛は、情け、慈しみといった意味合いが強く、勿論、愛情にもつながる言葉であることは間違いないが、愛情が意味するものよりも、相手を客観的にみているような感じがする言葉。細やかな情愛、情愛のこもった態度などと使う。

芹沢先生の下足番T様

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