昭和20年~40年頃の3枚の写真です。それぞれ軽井沢の山荘、三宿の借家、東中野の自宅と場所が異なります。
昭和30年頃の軽井沢の別荘にて
毎夏この高原で過ごすことで、病後の身体を養いました。
疎開先でもあり、氏にとっての第二の我が家でしょうか。
窓に名前があるのは、戦後のどかな田舎でも、人心が荒廃して盗難が増えたためでした。
昭和25年頃、三宿の借家にて
戦後十数年間をここで暮らしました。戦後の混乱の中で数多くの作品が生まれた書斎でもあります。
戦地から戻った学生(氏は鳩と呼んだ)たちは、以前の立派な書斎(中野の洋館)と比較して、あまりに惨めな様子に驚いたようです。
昭和40年頃、東中野の自宅にて
最後の日まで創作した自宅の書斎です。
『人間の運命』、神シリーズもここで書かれました。
この写真で見てもその乱雑さがわかりますが、氏にとってこれが最高に考えられた配置で、家人には一切手を出させなかったそうです。