場所は現在の自宅と同じですが、この旧宅は義父の仮屋として建てられた洋館で、芹沢氏家族は留守番のような立場でした。
昭和20年5月の東京大空襲で戦災に遭う前の自宅
出資者の藍川氏も度々訪れました。
昭和6年頃、自宅庭にて。
右から長女万里子、妻金江、次女朝子、光治良。
下の写真は昭和14年5月、玄関にて。
制服姿の大きい順に長女万里子、次女朝子、三女文子、芹沢氏の右隣で妻金江に抱かれているのが四女玲子。
他の女性たちは、金江の父藍川氏が知人の娘を花嫁修業だとして次から次に送り込んでいた人たちか、と書いていたら、阿部光子氏が右端は自分だと名乗り出てくださいました。
昭和8年頃、自宅でピアノを弾く芹沢氏。
氏は音楽をクラシック音楽をこよなく愛しました。