/// 哲学の道  ///  (99/05/20)

哲学の道は銀閣寺門前の
琵琶湖疎水に架かる
銀閣寺橋から南へ1.5Kmの
若王子橋まで続く散歩道です。

「哲学の道」のその由来は、
京都帝国大学、今の京大の
西田幾太郎、河上肇らの
哲学者が思考の場として
好んで散策したところから、
哲学の道と呼ばれます。

 銀閣寺橋から南下すると
ほどなく洗心橋という勾配の
きつい橋に出ます。

洗心橋の向う側には喫茶店
「アトリエ・ド・カフェ」
(1.)があります。
喫茶店は疎水に面しており、
春には枝垂桜、染井吉野、
そして黄色や白のユキノシタ、
マンサクなどの春の花が
咲きほこります。
 坂道の洗心橋を登り右に折れるとすぐ法然院の参道に出ます。
茅葺の門を入ると白砂の砂絵が目に入ります。判りやすく砂絵と
表現しましたが、本当はお寺にとっては重要な意味合いがあります。
季節の絵柄が描かれますが、そこには幾筋かの線条の模様が
描かれていると思います。これは水の流れを意味しており、
この砂段の間を通ることによって、身を清めるという意味合いが
あります。

この法然院には「内藤湖南」、「九鬼周造」、「河上肇」、
「谷崎潤一郎」らが眠っています。本堂は特別公開の時以外は
非公開ですが、法然院サンガと云うつどいの会があり、頻繁に
イベント、法話、音楽会などが行われております。
その折りには本堂で行われる催しもあるので、ちょっと拝見は
可能です。なお境内は自由に散策できます。

法然院前の道を南下すると安楽寺、この安楽寺は後鳥羽上皇の
女御であった松虫と鈴虫が出家した寺として知られ、茅葺きの山門、
そして苔むした庭に咲くツツジなど美しい寺です。でも残念ながら
一般には「鹿ケ谷かぼちゃ」の催事がある時と、春と秋に公開される
だけで普段は見ることは出来ません。

安楽寺をあとにすると、すぐ右手には少し大きな森があります。
冷泉天皇桜本陵です。興味ある方ならすぐ陵墓であることは
判別できると思います。ちなみに正面は反対側の西側にあります。

そして霊鑑寺の門前にでます。鹿ケ谷比丘尼御所とも呼ばれ歴代
住職は皇女が勤めてきた門跡尼院です。

ここから坂道を下れば再び哲学の道に出ますが、話は再び洗心橋に
戻って橋のすぐ南には京都の土産によく登場する「八ツ橋」を
売る店があります。ここの「八ツ橋」はあの白い生八ツ橋では
なくて、焼いたせんべいのような堅八ツ橋です。目の前で
焼いています。ひと袋300円だったかの、お徳用を買って
みるのも良いかと思います。
そして、このすぐの所には、哲学の
道の由来ともなった、西田幾太郎の
碑「人は人吾(われ)はわれ也 
とにかくに吾行く道を吾は行くなり」
(2.)がひっそり建っています。
観光の人はあまり目に止めないけれど、
私は哲学にはまったく縁は無いですが、
この「人は人…」で始る文言は好きで
哲学の道を通る度に眺めています。
法然院橋、巽橋をすぎ右手に冷泉天皇粟田山陵を見て六月には
蛍が乱舞する大豊橋に出ます。大豊神社をすぎて、S字カーブを
抜けると一直線の桜のトンネルを見ることが出来ます。
大豊神社は狛犬ならぬ狛ネズミ、狛猿、狛鳶で知られる、地元の
神社です。ちょっと一服にはちょうどよい場所です。
栗塚旭さんの緑のとんがり屋根の喫茶店「若王子」の前あたり
には匠寿庵(しょうじゅあん)(3.)と云う和菓子の店があります。
茶席もあり京都では少しは有名な店です。
突き当ると哲学の道も終点ですが、
若王橋を渡ると若王子神社があり、
この神社は京都三熊野に数えられる
名社です。
もともとは若王寺、永観堂の鎮守社で
あったのが明治の廃仏毀釈
(はいぶつきしゃく)によって
寺が廃され神社だけが残ったのです。
若王子神社前の山道を10分ほど登り、若王子山頂に出ると
同志社大学の創立者、新島襄と夫人、協力者の
墓があり、時おり同志社の学生らしきグループが登るのを見る
ことが出来ます。

※ 哲学の道のホタル
 哲学の道を沿うように流れる琵琶湖疎水には源氏ホタルが
飛び交います。早い年は5月中にも飛び始めますが、
平均すれば6月の声を聞いてからになります。
例年多く見られるのは、大豊神社参道の大豊橋付近、
そしてその北側で飛びます。

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