/// 京都のひなまつり  ///  (01/02/23)

 私には少し縁のない分野ですが、子どもの成長を祈るという、
ひなまつりの意味は、今も昔も変わっていないのかなと思います。
ひなまつりの起源は、平安時代の雛(ひいな)遊びとする説や
室町時代の庶民の遊びからとする説などがあるようですが、
一般には罪やけがれを祓うために人形(ひとがた)に汚れを託し、
水辺に流した三月三日の上巳(じょうし)の節句がその始まりと
云われているようです。

今のような、ひなまつりの形になるのは、江戸幕府の頃に、
三月三日を含む五節句が式日と制定されてからのようです。
雛壇を設けるようになったのも江戸中期からで、それまでは畳の
上に直に毛氈を敷き、雛人形や調度を飾っていたそうです。

 京都の雛人形は「京びな」とも云われます。すべて手作りで
完全な分業制で作られています。
西陣織もそうですが、この古くからの分業制のため小回りが利かず、
製作コストも高くなりがちで、こういった古い体質を持った
京都の伝統産業は衰退の一途を辿っています。

話は逸れましたが、京都では公家や武家社会の衣食住のしきたりに
のっとった「有職」、「高倉雛」と云う様式の雛人形、雛段に
人気があります。
丸く穏やかな顔立ちで、気品を漂わせ、眼は切れ長で伏せ目がちな
昔ながらの公家の顔付きが再現されています。
髪は黒く染めた絹糸、着物には、西陣織や京友禅が使われています。

また京都では男雛、女雛を飾る位置は関東などの一般的な飾り
方とは逆になっていると思います。女雛を向かって左、男雛は
向かって右に飾ります。
これは御所の紫宸殿の向きと関係していて、紫宸殿に座された
親王からみて左、日の登る東側が位の高い場所とされたためです。
このため親王からみて左に左大臣(向って右)、右に右大臣
(向かって左)とされました。

このため男雛を向かって右に飾ります。今の時代ではこの位が
高いと云う思いでの飾り方には違和感を持たれる方もあるかと思い
ますが、京都では一般的な飾り方になっています。

ちなみに京都の右京、左京も同じような理由で、紫宸殿からみた
位置で左京、右京となっています。地図では右側が左京区、左側が
右京区です。

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