/// 虚空蔵法輪寺と重陽の節会  ///  (02/08/24)

紅葉の時、ちょっと綺麗な山門
 船下りで有名な保津川、渡月橋付近は
大堰(おおい)川、渡月橋より下流は
桂川と云うことが多いです。
嵐山はその大堰川左岸より対岸に見渡せ
る山並みです。そして渡る渡月橋より
山腹に見える塔堂が虚空蔵法輪寺です。
今昔物語、枕草子、平家物語などにも
登場し、地元では十三まいり、針供養、
漆祖神にまつわるお寺として知られます。

その法輪寺の歴史を遡ると、古墳時代、
三光明星尊を祀った「葛野井宮」
(かずのいぐう)にまで行き着きます。
この地は渡来人の秦氏一族が住んでいた
所と云われ、秦氏と云えば木島坐天照
御魂神社(このしまにますあまてるみ
むすびのやしろ)の三つ鳥居、通称三角
鳥居で知られますが、土木灌漑、養蚕、
酒造などをもたらしたことでも知られ
ます。舌を噛みそうなこの神社の通称は
「蚕の社」(かいこのやしろ)。普通の
鳥居は二面に対しますが、三角鳥居は
三面に対します。裏と表の感覚しかない
日本人には面食らう三角鳥居です。
現在の堂宇は明治、大正時代の再建
その時代、南部には高麗(こま)氏、
北部には賀茂氏、東部には八坂の造
(みやっこ)の一族が住み着き、いわば
京都の先住人達です。

奈良時代に移ると、産業、技術の進んだ
この地に元明天皇の勅願により、五穀
豊穣、産業の興隆を祈願する葛井寺
(かづのいでら)が建立され、この
葛井寺が今に伝わる法輪寺と云うことに
なります。なお、応仁の乱による戦災を
被り、後陽成天皇により再建されるも
幕末の蛤御門の変で再び灰燼に帰し、
今の堂宇は明治、大正時代に再建された
ものです。
狛犬ならぬ、狛虎??
虚空蔵法輪寺と云われるように、ご本尊
は虚空蔵菩薩。これは弘法大師の高弟で
あった、道昌(どうしょう)僧正が大師
から「虚空蔵菩薩の霊験ある相応の地は
嵯峨葛井寺である」との教えにより、
修行の中で葛井の中に姿を表した虚空蔵
菩薩を彫りあげ祀ったのが、そのいわれ
です。奥州柳井津、伊勢朝熊と共に日本
三大虚空蔵と云われます。
虚空蔵菩薩は知恵と慈悲を司り、
鳥獣虫魚あるいは諸天善神に身を変じて
利を授け、日、月、星、そして自然界の
あらゆる森羅万象を宝蔵に納めている
そうです。

こちらは狛牛??
このいわれから、その知恵、森羅万象を
授かろうと、十三まいりで知られ、
また美術工芸、酒造、漆器などの商工
業者からの信仰も篤い法輪寺です。 
十三まいりは、数え年十三歳に成長した
男女が、成人の儀礼として法輪寺に参拝し、
虚空蔵菩薩の知恵を授かろうと云う風習
です。渡月橋を渡り終えぬまでに振り
返ると授かった知恵を失うと云われ、
主に春の渡月橋では微笑ましい風景が繰り
広げられます。
菊の被綿(きせわた)
同じように針供養も、諸芸に通じた虚空蔵
菩薩に針技術の上達祈願針への感謝の行事
として行われます。皇室で使った針を供養
せよとの天皇の命により始まったと云われ、
大きな蒟蒻(こんにゃく)に大針を刺し
ての針供養は京都の冬の風物詩のひとつ
です。同じように針仕事に携わる人の信仰
の場と云うことから人形供養でも知られます。

また、道昌僧正によって大堰川が改修され
るのですが、橋が架けられ、その橋の名は
「法輪寺橋」、亀山天皇はこの橋を見て、
「くまなき月の渡るに似たり」として
渡月橋と命名、今に伝わる渡月橋になった
と云う話です。

やっと副題の重陽の節会(ちょうようの
せちえ)にたどり着けそうです。重陽の
節句は五節句のひとつで、九月九日に
あたります。法輪寺でも重陽の節会として
九月九日に行事が執り行われます。
大手電機会社の銘々もちらほら
古来中国では陽(陽数)の極まる数字で
ある「九」が重なると云うことで重陽と
云われます。日本では「苦」につながると
云う感覚もありますが、中国などでは
おめでたい数字のようです。
この重陽の節句には菊酒を飲み厄を祓って
長寿を願い、菊の被綿(きせわた)と云って、
前の晩に菊に綿を被せ、これに降りた露で
身体を撫で拭くと、これまた長寿になると
伝わります。でも、この菊の被綿は中国には
ないらしく、日本独特の習慣のようです。
また、菊枕を作る風習もあって、重陽の日に
摘んだ菊の花を乾燥させ枕に詰めると、菊の
香りで長寿になると伝わります、
今で云うところのアロマセラピーのような
ものでしょうか。そして、女性から男性へ
菊枕を贈ることは特別な意味があったようで、
男女間の機微を綴る物語があったりします。

ヘルツとエジソンのレリーフ
ところで、花札では9月の役札に菊の花と
「寿」が記された盃が描かれていますが、
これも重陽の節句の菊酒と関係あるのかな??
旧暦の風物を新暦の九月九日では、菊花を
準備するのは大変だろうなと思いつつ、
重陽の節句に思いをめぐらすのが例年のことと
なっています。

他に法輪寺境内には電電宮があります。
古来は電電陰陽融合光源を祖とした鎮守社
である電電明神、今は電気電波の祖神が祀ら
れているそうです。そう云えば電電社の
階段下にはヘルツ、エジソンのレリーフも
掲げられています。現代感覚も持ち合わせた
法輪寺ってところでしょうか。

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