/// 岩神さん /// (10/02/15)
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岩神さんと云っても人の名ではなく 前回に続き石にまつわる話題です。 場所は上立売通浄福寺、西陣と呼ば れる地域になります。 地元では”岩神さん”と呼ばれ親し まれる石、石と云うより岩石との 表現が的を射てるでしょうか。 そこには人の背丈ほどもあろうかと 云う岩石が祀られています。 この岩上さんには幾つかの言い伝えが あり、古い話は平安時代に遡ります。 当時この辺りは藤原時平の屋敷があり、 時平の乳母の霊がこの岩石に取り憑き 近くの北野天満宮へ詣でる人々を祟った と云います。 そう北野天満宮と云えば菅原道真を祀る 神社、時平と道真の確執、讒言により 道真を左遷した時平の話は前回も紹介 した通りですが、岩神さんにもその 当たりの歴史、怨念が垣間見られます。 |
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この石に纏わる話は他に二条堀川辺りに あった石を後水尾上皇の生母に当たる 中和門院前子の御所に移した折、池で 夜な夜な”帰りたい、帰りたい”と すすり泣く声が聞こえたと云います。 ある夜、意を決して泣き声を突き止めて みると池畔にある移した庭石だと判った と云います。帰りたいと云うのであれば 元の場所に帰してやりたいと、ともかく 真言宗の高僧を招いて供養が行われた そうな、僧の読経の声に石は”帰りたい、 帰りたい”とすすり泣いたとか、僧の ”何れへ帰りたいのじゃ”との問いかけ に石は”藤原時平が屋敷跡”と答えた ので、時平の屋敷跡を探し当て、今の 地に有乳山岩神寺の本尊として祀ったと 云います。すると怪奇な現象もなくなり その後その岩の形から授乳神として 婦人の信仰を集めたとか。 二条城の南には今も岩上町に岩上通と 云う地名、小路名が残ります。 江戸時代の初めには「岩神通」と云わ れていたことが「京雀」と云う書物に 記されています。これが江戸中期の書物 「京町鑑」になると「岩上通」と変化 していると云います。 |
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今の岩上町には中山神社と云う小さな 社があり母乳の神様として知られて います。 想像の域は出ませんが西陣の岩神さんの 授乳神としての伝説はこの当たりとも 関連がありそうです。 江戸時代には妖怪が現れたとか、子供に 化けるとか云われ禿童石(かむろいし) と云われたこともあり、怪奇な現象で 人通りが途絶え町は寂れたけれど、 三日三晩の祈願で怪奇現象は治まった とか。 有乳山岩神寺は享保・天明の大火で 多くを焼失、明治維新の際に廃寺となり 岩だけが残ったと云います。 今は住宅と駐車場に囲まれた平穏な 町中ですが、その伝説は怪奇です。 また、一説にはこの岩は男性のシンボル を現す、陽石だとする説もあったりし ます。 |