/// 城南宮  ///  (03/10/26)

日、月、星の珍しい神紋を持つ城南宮
 城南宮は往時の鳥羽離宮の敷地内にあり
ます。神功(じんぐう)皇后、大国主命、
国常立尊(くにとこたちのみこと)を祀る
神社。

社伝によれば、その起源は神功皇后が戦舟
(いくさふね)に掲げる御旗を大国主命の
御霊と共に、この地に納めたことによると
され、さらに桓武天皇平安遷都に際して
国常立尊を合祀し、国を護る城南明神と
したとあります。

しかし、また別の説には、元々この地に
あったとされる城南寺の鎮守社がその
起こりとする説もあったりします。

今の城南宮境内には”真幡寸(まはたき)
神社”と称する小宮が祀られていますが、
この真幡寸神社と云う名は、この前に
登場した御香宮の紹介でも登場している
神社名です。
城南宮境内に鎮座する真幡寸神社
真幡寸神社は、どうもこの地一帯の
産土神として存在していたのではないか
と思える存在です。

現に明治十年には延喜式内真幡寸神社と
して公定された後に、昭和40年に城南宮と
云う名に復しており、そうなれば、
社伝に伝わる歴史とは少々異なる側面も
出てこようと云うものです。

史料に残る記録では「吏部王記」
(りほうおうき)に延長三年(925)
八月に城南寺祭行幸との記述が残ります。
また、祭の一つが城南寺明神御霊会と
云われ、降雨祈願や競馬(くらべうま)、
流鏑馬が催されていたようです。

後鳥羽上皇がこの流鏑馬にかこつけて
密かに兵を集め、その真意は鎌倉幕府
打倒にあって、そしてこの画策が
承久の乱(1221)へとつながっていった
史実はよく知られるところです。
城南宮境内は広〜〜い。
この平安末期の頃には熊野詣の出立地
として、白河上皇を始めとする院や
上皇が、この地で精進潔斎を重ねたと
伝わり、それが旅の安全、熊野詣に
当たっての方除信仰ともつながっていき
ますが、この地、城南宮は神宮と云う
一面と鳥羽離宮と云う側面が混ざり
合って今に伝わります。
城南宮と名付けられるのも、この白河
法皇の最初の熊野行幸の時だと云われ
ます。

城南宮が城南寺の鎮守社であったこと、
方除けの記述として残るのは白河上皇の
頃であることなどを考えると、
平安遷都の折に桓武天皇が災い除けの
社として設けたと云う説は、はなはだ
怪しくなって来ます。
城南宮は四季折々の草花が咲く神苑でも
有名で、落水苑とも云われる庭園には、
源氏物語に登場する花をなぞらえた
多くの草花が咲きます。

そして、鳥羽離宮の秋の山に対する
春の山、平安の庭、室町の庭、
桃山の庭、城南離宮の庭と五つの庭から
なります。

特に平安の庭で執り行われる”曲水の宴”
は京都の春と秋の風物詩の一つとなって
います。テレビなどでもよくニュースに
なりますが、もし見学に行かれるならば
早めに行かれることをお勧めします。

さほど広くない平安の庭で、遣水(やり
みず)と云われる小川のそばに座って、
流れ来る酒盃の上の短冊に歌を詠む行事
なので、遅れていくと人垣を前にして
何も見えません。
雰囲気だけは楽しめますが…
曲水の宴が行われる平安の庭、遣水
それではと云うことで味を楽しむならば、
西鳥居から国道1号線をはさんだ所に
”おせき餅”を商う店があります。

何でも江戸時代に「せき女」と云う名の
娘さんがいて、茶屋を設け鳥羽街道を行き
交う旅人に編笠の形をした餅を笠の裏に
並べてもてなしていたそうな、

その心のこもったもてなしと、
餅の美味さが大層評判になって、いつしか
誰ともなく「おせき餅」と名付けられた
そうです。

赤福にも似ていますが、こちらの
”おせき餅”の方がさっぱりした餡です。
少々不便な所にある城南宮ですが、
おせき餅を楽しみに訪れるのも良いかと。

※ 備考
曲水の苑、春は4月29日、秋は11月3日。
おせき餅、月、火曜日休み、8:30〜18:00
     電話、075-611-3078

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